酒田の最上川、山形の千歳山−「羽州街道」1


友人の造形作家、古郡弘さんから、山形で展覧会をすると案内をいただき、山形に行くことにした。

 第1日 酒田 (土門拳記念館 酒田市美術館 山居倉庫ほか)
 第2日 山形 (東北芸術工科大学 山形大学 山形市郷土館ほか)

『街道をゆく』の「10 羽州街道」(1978)では、一行は山形空港から旅を始めて、いったん米沢まで南下してから、また折り返して山形に入っている。
僕は上越新幹線・新潟経由で前から行ってみたかった最上川河口の酒田に行き、帰りは山形から山形・東北新幹線で戻る周遊コースにした。
(今回は米沢には行かないことにしたので、須田剋太作品の場所をたずねたのは1か所だけ。米沢などにはまたあらためて行く楽しみが残った。→[米沢から狐越街道を山形へ−「羽州街道」2])

* 新幹線で新潟へ、そこから特急に2時間乗って酒田に着く。
古く栄えた街なのに、駅前の風景は何だかガランとして、空が広い。
駅が市街から離れてあるようだ。
レンタカーを借りて酒田市内を回った。

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 第1日 酒田 (土門拳記念館 酒田市美術館 山居倉庫ほか)

□ 土門拳記念館
山形県酒田市飯盛山2-13 飯盛山公園内 tel. 0234-31-0028
http://www.domonken-kinenkan.jp/

池に面してコンクリートが水平と垂直に組み合わされた美術館がある。装飾的な造形はなく、禁欲的にキッパリと仕上げてあって、ミニマル・アートのよう。 土門拳記念館

その中に厳しい対し方で写真をとったことで知られる土門拳の写真を展示している。
展示も緊張しているべきだが、相当ゆるい。作品の設置が水平でなかったり、作品間の間隔があいまいだったり、キャプションを額に貼りつけたり。
写真の展示では、東京都写真美術館がいつもピシっとしまったみごとな展示をしていて気持ちがいい。ここでもあんなふうだといいと思う。

美術館の設計は谷口建築設計研究所(1983年)。
飯盛山公園付近には、ほかに東北公益文科大学、酒田市国体記念体育館などの公共建築が集中し、美術館にも続いている。

□ 酒田市美術館
山形県酒田市宮野浦字飯森山西17-95 tel. 0234-31-0095
http://www.sakata-art-museum.jp/

数段の階段を上がって塀をくぐって美術館の敷地に入ると、いきなりすばらしい眺めが開けて、驚かされた。

緑の芝生が広がり、右方向には安田侃の白い大理石の彫刻。そのずっと先には白い雪をかぶった鳥海山。 酒田市美術館

企画展は『ちばてつや 漫画原画展』を開催中だった。『あしたのジョー』だの『紫電改のタカ』だの懐かしい。
常設展には地元作家の穏やかな作品が並んでいた。酒田出身のシュンのアーティスト、佐藤時啓(さとうときひろ)さんの作品や活動の紹介があるかと期待していたのだが、企画展でとりあげる(とりあげた)ことはあっても、ふだんは展示してないようだ。ちょっとものたりない。

喫茶室からも眺めがいいので、コーヒーブレイクにした。
鳥海山の白い峰を眺めながらモンブランを味わう。

□ 山居倉庫
山形県酒田市山居町1-1-20 tel. 0234-24-2233

酒田港には、最上川のほかに新井田川(にいだがわ)が流れこんでいる、
その河口近くに物流拠点の山居倉庫があり、ここから江戸や大阪に米が運び出された。

山居倉庫 屋根が三角で壁は黒塗りの米倉が12棟並んでいる。
倉庫群の裏側には日よけと風よけのためにけやきの大木が並び、酒田を代表する風景になっている。
物流施設とはいいながら、風格がある。

□ 河口ウォッチング 最上川

酒田港には、東から新井田川、南から最上川が流れこんでいる。
2つの川が混じり合わないようにするかのように、間を隔てて元は砂州かと思われる細長い突堤がある。
狭いのに釣り人の車がずらっと駐車して、すれ違いができない状態になっている。今はハタハタが釣れる時期だとあとで聞いた。

最上川の河口 中州から、最上川の河口を望む。

□ 酒田市立光丘(こうきゅう)文庫
酒田市日吉町2-7-71 tel. 0234-22-0551

酒田港の東側に光丘文庫という、古びた図書館がある。
酒田の大地主、本間家の3代目の当主、本間光丘(みつおか)の夢を実現するために、8代目が1925年に財団法人「光丘(ひかりがおか)文庫」を設立した。
その後、酒田市立図書館となった時期を経て、今は「酒田市立光丘(こうきゅう)文庫」になっている。

酒田市立光丘(こうきゅう)文庫 木立のあいだに異様な正面が現れる。
設計は内務省神社局建築課長、角南隆(すなみたかし)、施工は森山善平(ぜんべい)で、当時としては進歩的な森山式鉄筋コンクリートブロック工法によるという。

「第一閲覧室」に入ると、変形の部屋で、左右に書架が並んでいる。
「大川周明文庫」とか「石原莞爾文庫」とか表示された書棚から始まっている。
そのほか、財団から引き継いだ和漢書、明治から昭和前期ころの図書、雑誌、新聞、旧家の文書を所蔵している。
建築といい、蔵書といい、タイムマシンで過去にさかのぼったかのように感じる。

中を見たあと、外に出るとたまたま散歩でとおりかかった人に声をかけられた。
文庫についていろいろ教えてくれたうえに、日和山公園まで案内していただいた。

□ 日和山(ひよりやま)公園

日枝神社を抜けていく。
山門も本間家の寄進によるもので、たいへんな材が使われている。
神社から通りに出たすぐ先にあるのは、映画『おくりびと』のロケに使われた料亭である。
−というような説明を聞きながら日和山公園に入る。

日和山(ひよりやま)公園 酒田 公園の先端は海を見おろす高い位置にあり、眺めが開けた。
眼下には、新しい灯台が造られたときに移築された六角形の木造灯台。
先ほど見てきた最上川河口。(釣り人がハタハタ釣りであることもここで教えられた)。

もっと遠くの水平線には、扁平な飛島が青くかすんで見えている。
この地に暮らす人の話は興味深いもので、礼を言って別れる。

□ 本間美術館
山形県酒田市御成町7-7 tel. 0234-24-4311
http://www.homma-museum.or.jp/

本館の清遠閣は、庄内藩主を迎えるために建てられた別荘で、明治末期には皇族を迎えるために2階が増築された。
豪華な材と、腕のいい職人の技を、感心しながら眺める。
新館での企画展『幕末・明治の書』では、大河ドラマで『龍馬伝』をやっている時期でもあり、勝海舟や西郷隆盛は、おう、こんな字か、という感じで、なかなかいい。

閉館間際になって外に出ると、美術館の風変わりな形の屋根の先端に夕日があたっていた。
鳥海山の雪をかぶった白い山頂は、藍色を深めた空を背景にして影を濃くしていた。
本間美術館

* レンタカーを返して酒田駅から電車に乗る。
新庄で乗り換え、山形に着いた。
今日は(乗り換え時間も含めて)合計7時間半ほども電車に費やした。


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 第2日 山形 (東北芸術工科大学 山形大学 山形市郷土館ほか)

● 山形グランドホテル
山形県山形市本町1-7-42 tel. 023-641-2611
http://www.yamagatagrandhotel.co.jp/

僕が山形で泊まったホテルは山形グランドホテル。
『街道をゆく』羽州街道では、山形に泊まったホテルについて「山形市街の一つの中心ともいうべき本町1丁目にある」と書かれている。
そこのロビーで、須田剋太にとって国画会の仲間だった遠藤賢太郎氏らと待ち合わせたりしている。
今、その本町1丁目内にあるホテルはここだけで、格式の高いホテルでもあるようだからここと見当をつけたのだが、フロントで尋ねると、「さあ、違うのでは」とのこと。
ホテル内には、中村研一の絵や、佐藤忠良の彫刻など、多数展示してある。芸術的関心が高そうなホテルなのに確たる答えがないということは、違うのかもしれない。

山形グランドホテル 眺めのいい高層階で、気分のいい朝食をとる。

* 2日目は、ホテルをチェックアウトして、まず歩いて市内を回る。

□ 専称寺ほか−山形五堰

少し北に行くとこの寺がある。
出羽山形藩初代藩主の最上義光(もがみよしあき)が、先立った娘・駒姫を弔うために、天童市から菩提寺を移したという由緒のある寺。

門を入ってすぐに細い流れがあり、山形五堰のうちの八ケ郷堰になる。
みごとに黄葉したイチョウの大木がある境内を、いい感じで流れている。
専称寺

山形市内には、城への水の供給と、農業・生活用水の確保のため、5つの堰が引かれている。1624年に、山形藩主鳥居忠政が5ヶ所の取水口を設けたことに始まる。
笹堰(ささぜき)、御殿堰(ごてんぜき)、八ケ郷堰(はっかごうぜき)、宮町堰(みやまちぜき)、双月堰(そうつきぜき)の5つ。

このほかに見たのは、
・ あこや公園(笹堰) 山形大学の東。公園内に堰の水ををひきこんで、せせらぎのある風景にしている。
・ 中央親水広場(御殿堰) 市街中央、旧済生館近く。市立病院と一体に整備して、段状に水が流れ落ちる広場が作られている。
・ 七日町商店街(御殿堰) 泊まったホテルの近く。夜は照明されてきれいだった。

埼玉県内の荒川には中流に「六堰」があり、荒川から引いた農業用水が熊谷市内に流れている。
箱田用水に沿って暮らす人たちが、毎年春に自分たちが作った作品を展示する「川沿い作品展」を開催しているが、そのほかには用水は実用以外の関心をあまり持たれていない。
山形では、堰の流れへの関心が高く、親しまれているようだ。

山形市役所に寄って、農村整備課で山形五堰関連の資料をいただいた。
観光課でもらった『城下町やまがた探検地図』という観光用地図にも、「堰ビューポイント」がいくつも記されていた。

□ 文翔館(旧山形県庁舎)
山形市旅篭町3-4-51 tel. 023-635-5500

広い通りの突き当たりに旧県庁舎と旧議事堂がある。
その通りの手前の両側に、市役所や裁判所や県民会館など、主に公共の大きな建築物が並んでいる。
県庁は城(または城跡)付近に作られることが多いのに、ここでは城から離れたところに、軸線を意識して街ごと作った誇らしさが感じられる。

近代の山形市内を形成するのに、初代県令の三島通庸(みしまみちつね1835 - 1888)が権力をふるったが、開発記録を残すために、画家、高橋由一(たかはしゆいち1828-1894)に絵を描かせた。
そのうちの1点として、高橋由一が1881年から82年にかけて描いた山形県庁の図があり−ここでも複製画が展示されているが−その県庁は大火で焼失した。
今、文翔館としてある県庁舎と議事堂は、1916年に再建されたもの。
現県庁は、1975年に、市街からやや離れた東部に移転している。

旧山形県議事堂 ウィーン郵便貯金局
旧山形県議事堂
田原新之助 1916
ウィーン郵便貯金局
オットー・ワーグナー 1906

□ 千歳山

文翔館を出て、山形市役所前のバス停から「芸工大」行きに乗る。
『街道をゆく』では、そばを食べにタクシーで向かう途中で千歳山に出くわすという記述がある。


 山形市の町の中に、千歳山(ちとせやま)がある。その形状からみて、上代、この盆地で耕作していたひとびとにとって神名備(かむなび)(神南備)山であったろうということは、すでにのべた。神名備山を、県庁所在地の市がその中心に持っているというのは、例がない。
 地図で見ると、東南から山形市街に向かって山並みが押し出してきていて、その山崎(地理用語として)にあたるのが、千歳山である。

「芸工大」行きのバスも千歳山に向かい、途中で方向を変えて、別の丘を上って大学のバス停に着いた。
大学は丘の中腹にある。
丘の上にあるのは、「悠創の丘」という、県が整備して株式会社が運営しているらしいスポーツや芸術やレクリエーションのための一帯。
丘の下方は新興住宅地。


□ 東北芸術工科大学ギャラリー 古郡弘展「からぎ、かりどの」
山形県山形市上桜田3-4-5 tel. 023-627-2000
http://www.tuad.ac.jp/

本館最上階7階にあるギャラリーに、古郡弘さんの作品があった。

1,5トンの古紙を水で練った白い素材で、山やウネの地形を作ったうえに、大小の造形作品を配置している。
誕生/生命や、一方で崩壊/死の印象を受ける。
土俗的であり、神話的であり、根源的であり、現代的でもある。
古郡弘「からぎ、かりどの」

ギャラリーの透明なガラス壁から外を見ると、坂上側には紅葉の丘があり、反対の坂下側は、遠く山形市街を望む。
ここに来て、初めて「端山(はやま)信仰」という言葉を知った。
端山は、奥深い山並みが、人の住む平地に接するあたりにある山のこと。
(司馬遼太郎の文章でいえば「山崎」という言葉にあたるだろう。)
集落で人が死ぬと、死者をその山の麓に葬る。死者の魂は、その山に登ってそこに宿り、子孫を見守っている。さらに年月が経過すると、さらに高く深い「深山」を経て天に昇り、正月や彼岸やお盆に、子孫のところに戻ってくる。

古郡さんの作品は、ガラス壁を通じて上下につながる眺望とあわせ、的確に端山の位置づけを示している。
土地の固有の精神を作品にこめるのは、このところの古郡さんの作品の特徴だが、展示が土地の形状とギャラリーの位置関係にまでピッタリはまっている。
タイトルにある「かりどの」とは、神社の改築や修理のときに、一時的に御神体を置く仮の御殿のことで、まさにこの展示が端山信仰を目の前に見せてくれている。
ほとんどが現地制作である古郡さんの作品は、作られたその時に遠くても見にいくしかないのだが、今回も見に来た者にしか味わえない幸福にひたった。

□ 東北芸術工科大学図書館
山形県山形市上桜田3-4-5 tel. 023-627-2044
http://www.tuad.ac.jp/

同じ大学内の図書館に寄る。
大きくはないけれど、書架の配列やパソコンの配置、書庫との関係など、よく考えられている。
2層あるうちの上の階には、スタジオ144とかガレリア・ノルドとかのAVやギャラリーの施設も嵌めこまれている。
期間限定の展示として「地球のいのちを考える200冊」とか、古建築のおこし絵図とかがあり、HELMUT NEWTONの超大写真集は専用に作られたかと思えるほどの大きな机に置かれて、図書館のヘソのよう。
家具のデザイン、照明なども含めて、全体のdisplayのセンスはさすが美術系大学で、文句なしに快い。

* 東北芸術工科大学を出ると、台地の斜面は新興住宅地。
その住宅街の角ごとに、右、左、右、左と、あみだくじ方式に曲がり降りて、国道に行き着いたところに、目ざすそばやがあった。


● 麺房(めんぼう)
山形市東青田1-8-1 tel. 023-632-8383

『街道をゆく』で司馬遼太郎、須田剋太らの一行が千歳山に出くわしたのは、そばやに向かうタクシーからのことだった。

 ホテルの前でタクシーに乗り、そのそばやの名前を言っただけで、通じた。よほど名のある店らしい。

そのそばやに入る。

麺房 庭に面した席に座って、ひるどきの限定メニューの「板そばと山菜むすび880円」を注文する。
板そばはA4サイズほどもあろうかという大きな四角いざるにのせられている。
香りが立ち、おいしい。

建物は司馬・須田一行がきたあとに建て替わっているというが、そばの味は変わらないようだ。

* また山形市街に戻っていく。
大学方向に少し戻った道をバスが走っているが、本数は少ないと、そばやで教えられた。満腹して、ゆるい上り坂をゆるゆる歩いているとき、ちょうどタクシーが通りかかった。
これはこの旅最大の幸運だった!!
郊外の住宅街で、流しのタクシーがあたりまえに通っているようなところではない。
そばやを出るのが少し早くても、少し遅くても出会わなかったドンピシャのタイミングで、ほとんど奇蹟のようにタクシーが現れた。
バスの時刻はわからないけれど、間がわるければ相当な時間をロスするところだったし、バスで駅を経由しないで次の目的地の山形大学に直行できたから時間の節約効果はとても大きい!
おまけに親切な運転手さんで、そばの話や、山形牛の話などしてたら、夕方、仕事を終わってから案内しましょうか?と言われる。
ゆっくり飲んでるほどの余裕はないので遠慮したが、ありがたいことだった。


■ 山形大学図書館・山形大学附属博物館
山形県山形市小白川町1-4-12 tel. 023-628-4006
http://www.lib.yamagata-u.ac.jp/
http://www.lib.yamagata-u.ac.jp/museum/

図書館の中に博物館があることだし、大学のすぐ近くに、山形五堰が流れるあこや公園があるので、寄ってみた。
図書館は5階まであり、たっぷりの蔵書。
閲覧用の机が機能本位の無骨なものだったり、芸術系大学のあとに来て見ては、デザインに関することでは落差が大きい。

図書館最上階からの眺め。
中央やや右にポッコリして見えるのが(たぶん)千歳山。
山形大学図書館

この図書館には貴重書がいろいろあるが、3階にある博物館もわくわくするところだった。
対象分野は自然、歴史、民俗、美術など。通常のミュージアムのように分化していない。本来「博物」とはそういうものだろう。

化石があり、ガラス瓶に入った生物標本があり、土器や石器があり、彫刻や絵画がある。
それらがほとんど木製の展示ケースに収められているか、むきだしに置かれている。モノがゴロっとある存在感がとてもいい。博物館の起源である「驚異の部屋Wunderkammer」の興奮を彷彿とさせる。
山形大学附属博物館

展示品にキャプションはあるが、多くのモノに詳細な説明はない。価値判断がないといってもよく、玉石混淆かもしれず、どれが玉で、どれが石か、見る者の眼が試されもする。
コンピュータをしかけ、照明を工夫した、ツルツルピカピカの今どきの主流の博物館の展示室では、すっかりできあがってしまったものを拝見するばかりで、「そうですか」と気持ちがひいてしまうところがある。
こういうゴツゴツザワザワとした、展示室というより収蔵庫に近いようなところでは、モノに向き合う気持ちがイキイキしてくる。

かつて僕は自然史博物館にいて、来館者を案内することがあった。展示室では、いちおう「ああ」とは「ほう」とかと見てくれる。
まれに収蔵庫まで案内することがあったが、こちらでは扉を開けた瞬間、「オオッ!!」と素直で強い感嘆の声があげられること例外なしだった。
生き物の収蔵庫には、天井には鳥、床には大きなほ乳類、棚には小動物がずらっと並んでいる。そのナマの集積が、見る者の目を圧倒する。
置いたままの収蔵庫が目覚ましい驚きを与えるのに、手間暇かけて展示した展示室は半ば眠くなってしまうとしたら、博物館の展示ってなんなんだと、しばしば考えさせられた。
(その興奮を展示室で実現したのがパリの国立自然史博物館だが、あれほどの財と才の集中もまた難しい。(→[国立自然史博物館])

展示品の中に、『三島県令道路改修記念画帖』があった。
今朝、文翔館で高橋由一の県庁図を見て、どこかで見たことがあると思っていたのだが、ここにもあったか。
としても、では、他にどこで見たろうかと気になるので、事務室に寄って教えていただいた。
『山形大学附属博物館50周年記念 明治の記憶 : 三島県令道路改修記念画帖』という本が刊行されていて、ここに全国の所蔵状況が記録されていた。
その本を参照しながら、
・ 高橋由一による石版画は今は7種あるのが確認されている。
・ 1枚ずつ分けて額装されたのもあり、当館が所蔵するように画帖のままあるのは貴重である。
・ 石版にする前の原画は山形美術館が所蔵している。
・ 山形県庁図は、視点の位置などから、写真を基にして描いたと判断される。
など、教えていただいた。
謎に思ったことが、現物があり、背景までするすると解明されていく快感とありがたみ!
楽しい博物館だった。
(それにしても、「僕が前に山形県庁図を見たのはどこでだったか」は、やはりナゾのまま、いまだに思い出せない...)

■ 最上川

『街道をゆく』の「羽州街道」では、司馬遼太郎は連載の終盤になって、
最上川を見るために山形県まで来たようなものだが、まだこの川を見ていない。
と書いている。
米沢を見てから山形に向かう途中、白鷹町の荒砥という集落のあたりで、ようやく最上川を眺めている。

 須田画伯は、小雨の中で画板を出して最上川を描いている。ケント紙がみるみる濡れるのだが、この人は例によって無頓着で、雨が点々とふえてゆく上へ速度のはやい線が引っ掻くようにして描かれてゆく。ついにはケント紙が雨びたしになったころ、やっとふりかえって、
「雨がふりはじめましたね」
と、いった。

このケント紙はどうなったのだろう?

『週間朝日』では、『羽州街道』10回の連載のうち、8回目の週に、『荒砥よりの最上川』という絵が掲載されている。
『街道をゆく』の挿絵を収録した『大阪府現代美術コレクション 須田剋太「街道をゆく」挿絵原画全作品集 』という本が刊行されているが、この絵は掲載されていない。『週間朝日』の各回には2つの挿絵がのったから『羽州街道』10回では20点になるが、その『全作品集』には19点きりない。
濡れたケント紙は、印刷するところまではもちこたえたが、あとは保存に耐えなくて処分されたかもしれない、と勝手な想像をした。

■ 山形市郷土館
山形県山形市霞城町1-1 tel. 023-644-0253

最後に山形市郷土館に行った。
もとは済生館という1878年竣工の病院。
貴重な擬洋風建築で、国の重要文化財に指定された機会に、山形城跡地の霞城公園に移築された。

須田剋太『山形市内に残る明治西洋館』 山形市郷土館
須田剋太『山形市内に残る明治西洋館』

病院の草創期に指導にあたったオーストリアの医師アルブレヒト・ローレツ(1846-1884)の資料が展示されていたが、ウィーン大学医学部に学んだ人という。

郷土館は円(階によっては多角形)のかわった形をしている。
ウィーン・円形・病院と組み合わさると、ウィーン大学にある元病院、「愚者の塔」が、今は病理・解剖学博物館になっているのを連想した。遠い符合がはるかな思いを誘う。
(→[はじめの円筒/円塔 リングに囲まれた円環都市の円形建築])

● 山形特選牛めし
夕飯にする駅弁を買って新幹線に乗る。980円。車内で買った生ビールは500円。ほてったのどがうるおう。
ひとたび終えて、山形の人のやさしさ、親切さをあらためて思い出した。
光丘文庫の散歩の人、タクシーの運転手さん、2つの大学の司書さん、学芸員さん、山形大学で道やバス便を教えてもらった学生さんとインフォメーションセンターの職員さん。
郊外のそばや近くでタクシーが奇蹟のように現れたのも幸運だった。
そして、素晴らしい展示にふれ、よい旅をするきっかけを作ってくれた古郡弘さんというアーティストと出会ったのが、そもそも何よりの幸運と、しみじみと思った。

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参考:

  • 『街道をゆく 10』 「羽州街道」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1978
    『大阪府現代美術コレクション 須田剋太「街道をゆく」挿絵原画全作品集 第3集』近畿建設協会 2000
  • 『山の形をした魂 山形宗教学ことはじめ』千歳栄 青土社 1997
    『山形大学附属博物館50周年記念 明治の記憶 : 三島県令道路改修記念画帖』 オフィス・イディオム/編集 山形大学附属博物館/刊 2004
    『高橋由一 風景への挑戦』 栃木県立美術館 1987
  • 『街道をゆく 10』 「羽州街道」のうち、今回行けなかったところには6年後に行った。→[米沢から狐越街道を山形へ−「羽州街道」2]
  • 1泊2日の行程 (2010.11/21-22)
    (→電車 −レンタカー =バス …徒歩)
    第1日 上越新幹線・新潟経由→酒田駅−山居倉庫−酒田市斎場−土門拳記念館…東北公益文科大学…酒田市国体記念体育館…酒田市美術館−最上川河口−酒田市立図書館・光丘文庫…日和山公園…旧割烹小幡−本間美術館−酒田駅(余目・新庄経由)山形駅…千歳館…山形グランドホテル
    第2日 明善寺…専称寺…文翔館…山形市役所=東北芸術工科大学…麺房(タクシー)山形大学図書館・山形大学附属博物館…山形五堰(あこや公園)=山形五堰(中央親水広場)…山形市郷土館…山形駅から山形・東北新幹線