若草丸の錨を追って野島崎灯台へ−「横浜散歩」つづき


野島崎灯台に廃船の錨(いかり)が置かれているのを見に行く。


以前『街道をゆく』の「横浜散歩」に行った。
須田剋太が第三管区海上保安本部で描いた『横浜市燈台局発祥の地』には、発祥の地を示す木柱のとなりに錨がある。
「燈台補給船若草の錨」という説明の文字もかきこまれている。
須田剋太『横浜市燈台局発祥の地』

須田剋太『横浜市燈台局発祥の地』

灯台補給船というのは、陸上交通が不便だった時期、灯台へ海から物資を補給する役をはたしていた。やがて陸路が整備されて補給船は役目を終え、灯台局発祥の地に錨が置かれた。
僕が「横浜散歩」をめぐったときには(2017年1月)、木柱も錨もなかった。
第三管区海上保安本部に照会すると、錨は野島崎灯台に移されて公開されていると教えられた。
それから1年半ほど経ってしまったが、「横浜散歩」にも同行した妻と連れだって、ようやく見に行くことにした。
→[旧正月に中華街へ−「横浜散歩」

第1日 中の島大橋 矢那川河口 木更津(泊)  
第2日 野島崎灯台 青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅 市原湖畔美術館 笠森寺 

第1日 中の島大橋 矢那川河口 木更津(泊)

* 東京駅から総武線快速電車に乗り、千葉駅で内房線に乗り換え、木更津駅で降りる。
木更津駅東口の営業所でレンタカーを借りる。
今夜は木更津で1泊することにしていて、木更津港の近くにあるホテルに車を置いてチェックイン。


■ 中の島大橋
千葉県木更津市

回転寿司で夕飯にしてから、中の島大橋に散歩した。
木更津港の先に小さな人口島があり、そこまで車が通れない橋が架かっている。日本一の高さの歩道橋だという。
橋に向かって歩いていくとき、ジョギングの男3人に抜かれたが、あとで僕らが橋を歩いているあいだ、3人は橋を往復してトレーニングしていた。

ゆるいアーチの橋の最頂部にいたる。
東京湾に突きだしている橋なので、周囲は陸地に囲まれている。
東京湾だからどの方向にも明かりがあって、海が光のネックレスにふちどられているふう。
対岸の低いところ、煙を上げる工場と工場のあいだに、花火がくりかえし開くのが見えた。
6月1日金曜日で、平日に東京湾あたりで花火を上げるとしたらディズニーランドかと思ったが、花火は西に見えていて、方角が違う。
あとで調べると逗子の花火大会だった。
三浦半島の向こう側になるから、高山ではないにしろ、半島中央部の山地にさえぎられそうだが、地図でたしかめると、木更津駅と逗子を結ぶ線状にはちょうど視界をふさぐほどの山がないようだった。


翌朝、ホテルの部屋から撮った中の島大橋。
中の島大橋

● ホテル銀河矢那川河口
千葉県木更津市新田3-1-24 tel.0438-23-7051

ホテルに戻る。
ホテルは矢那川の河口に面している。
矢那川は木更津市内を流れる14kmほどの短い川。
部屋は最上階の7階で、窓から矢那川の河口や、さっき歩いてきた中の島大橋が見える。
川の対岸には、童謡『証城寺の狸囃子』で知られる證誠寺がある。
外を眺めていると、羽田空港に降りる飛行機がひんぱんに飛んでいく。
ホテルの真上を行くのもあった。

河口ビューイング 矢那川の河口
これも朝、ホテルの部屋から見おろした矢那川の河口。

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第2日 野島崎灯台 青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅 市原湖畔美術館 笠森寺

*朝、7:20ころ木更津を出て、8:30ころ野島崎灯台に着いた。
公開は9時からなので、その前に灯台をUの字に囲む海岸沿いの遊歩道を散歩した。
半島の南端の岩の上に2人掛けの白いベンチが置いてある。
大自然のなかにちゃちな人工物を置いて、作り過ぎな気がするが、座ってみればいい気分ではあった。
青い海、青い空、白い灯台、かすかな海風が潮の香をとどけてくる。


野島崎灯台
半島の南端の海岸からふりかえって見た野島崎灯台。
右は霧などで視界がわるいときに音で位置を知らせる霧笛の施設。レーダーやGPSにより役割を終えて数年前に閉鎖された。建物は近く解体されるという。

■ 野島崎灯台
千葉県南房総市白浜町白浜630 tel.0470-38-3231

9時の開館時間になって灯台に向かう。
灯台についての資料展示をしてある別棟があって、その窓口で見学料を支払う。
若草丸の錨がどこにあるか、窓口の女性にたずねると、その窓口のすぐ前にあったが、今は改修のために倉庫にしまわれているという。
しばらく屋外にあったのでサビがでていたが、倉庫内でサビを落とし塗装し直してきれいになっているらしい。
しまったのはつい最近で、来年にはこの別棟の資料展示室に移して公開されるとのこと。
その後は屋内にあるから、さびることはなくなるだろう。


錨を倉庫にしまうとき、台車に載せて運んだが、重いので引きずった跡が残っていると教えられて地面を見ると、たしかにU字形の線が見える。
船には緊急事態にそなえて予備の錨があって、記念に残されたのはその予備の錨だということも教ええられた。
野島崎灯台 若草丸のイカリ展示跡

屋外展示を終え、屋内展示が始まる前のあいにくのときに来てしまったともいえるが、そういう変転が見える時期に来たことは、錨の移動の歴史がわかって、幸運だったともいえる。
また公開後にくるのを楽しみにしておこう。

■ 青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅
千葉県館山市布良1256 tel.0470-22-8271
http://aoki-shigeru.awa.jp/

青木繁が『海の幸』を描いた家が残っていて、公開されるようになった。
漁師がえものをかついで行進するようなスタイルで描かれた絵は、僕にもかつて見たときから忘れがたい。
描かれたのは1904年、友人の森田恒友、坂本繁二郎、愛人の福田たねと4人で房総の布良(めら)の海岸に行ったことから生まれた。
布良という地名のかわった読み方と独特の語感も記憶に残っている。
熱海とか伊香保とか名の知れた保養地だったらゆかりの宿が今もあることはありそうに思える。でも布良なんてほかではきいたことがないし、十分な余裕がなかったろう若者たちが長く滞在したのはきっと簡素な宿か、今でいう民宿みたいなもので、青木繁らが滞在し、『海の幸』が生まれた痕跡はないもののように思っていた。

青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅
『海の幸』記念館として公開されている小谷家住宅を訪ねてみると、青木繁らが滞在したことを別にしても歴史のある家だった。
江戸から昭和初期までつづいた漁家で、明治期に建った家は館山市有形文化財に指定されている。
当主は地方議員や水産関係の役職についたこともあり、そんな縁から内村鑑三が訪れてもいる。

小谷家では青木繁らを迎えた人たちがその後もずっとここで住み継いでいて、改修工事を経て2016年から公開されるようになった。
青木繁らが過ごした家が残っていることが僕には驚異だったが、展示されている資料をみるとさらに驚くようなことがいくつもあった。
(須田剋太の旅のあとをめぐっていると青木繁とクロスすることがいくつもあった。(→[須田剋太のルーツへ−「信州佐久平みち」])

* 富浦i.c.から富津館山道路に入って北上し、房総半島中央部の市原鶴舞i.c.でおりる。
すぐに高滝湖があり、湖畔に美術館がある。


■ 市原湖畔美術館
千葉県市原市不入75-1 tel.0436-98-1525
http://lsm-ichihara.jp/

市原湖畔美術館 美術館は湖畔の開けた風景のなかにあり、湖畔に降りる斜面ぎりぎりのところに別棟のカフェがあり、行列になるほどにぎわっている。
コスチューム・アーティストひびのこづえの展覧会を開催していた。
15時から作品の服を着て踊るパフォーマンスがある日で、僕らが帰るころ、送迎バスが着いて、ダンス目当てらしい人たちが大勢おりてきた。

* 北東に走って20分ほどの寺に行く。

■ 笠森寺
千葉県長生郡長南町笠森302 tel.0475-46-0536

笠森寺の観音堂
山や岩に神性を感じて近くに礼拝のための建築がつくられたが、山の斜面に直接はりつくように建てられたものがあり(懸造りという)、これは各地にある。
ところが笠森寺の観音堂は、孤立した岩にすっかりおおいかぶさるようにしてあり、四方懸造りといわれる。
妻はかなりの高所恐怖症で、「わたしはムリ」と言っていたのだが、階段にすがりつようにして何とか上がり、回廊を一周して、またおそるおそる降りられた。


数年前に『街道をゆく』をたどって鳥取県に行ったとき、三徳山三佛寺投入堂(みとくさん さんぶつじ なげいれどう)に行った。
寺の下まで司馬一行も行っている。
ただ険しい斜面を上がらなくてはならなくて、もともと坂を上がることが苦手な司馬遼太郎は裾で豆腐を食べてひきさがっている。
僕は前から行ってみたいと気にかかっていたところで、「因幡・伯耆のみち」をたどったときに、険しい道を上がって見てきた。(→[鳥取を東から西へ])
三徳山三佛寺投入堂(みとくさん さんぶつじ なげいれどう)

懸造りのなかでも際立った特徴のある寺が、三佛寺と笠森寺とほぼ同じ緯度の東西にあるわけだが、三佛寺に行ってから数年して東のほうにも来ることができた。
これも野島崎灯台の錨が主目的だったから、『街道をゆく』めぐりのおかげといえる。 

* 木更津駅に戻り、レンタカーを返し、西口から東京駅行きバスに乗った。
土曜の夕方で東京湾アクアラインは渋滞していた。
アクアラインは、羽田に戻る飛行機から見おろしたことはあるが、通るのは初めて。まだ開通してたいした年数は経っていないように思っていたが、1997年にできていて、もう20年も経っているのだった。
海ほたるからトンネルに入り、抜けると羽田空港を通り過ぎていく。
レインボーブリッジを経由するのだが、ここも六本木ヒルズの展望台から何度も眺めた覚えがあるが、やはり通ったのは初めて。
アクアラインより早い1993年に開通していて、ほとんど四半世紀も経っている。
すっかり観光バス気分になって、東京駅八重洲口で降りた。
時刻表では1時間のところを渋滞のために2時間近くかかっていた。渋滞は苦手なのだが、初めての道だし、海辺は気分がいいし、帰りにバスルートを選んでよかった。


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参考:

  • 『街道をゆく 21』「横浜散歩」  司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1983
  • 『青木繁「海の幸」と布良』 吉岡友次郎/編 特定非営利活動法人青木繁「海の幸」会/刊 2018
  • 『奇想遺産 世界のふしぎ建築物語』 鈴木博之・藤森照信・隈研吾・松葉一清・山盛英司/著 新潮社 2007
  • 1泊2日の行程 (2018.6/1-2)(→電車 =バス −レンタカー …徒歩)
    第1日 東京駅→木更津駅−三井アウトレットパーク木更津−ホテル銀河…中の島大橋…矢那川河口
    第2日 −野島崎灯台−青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅−市原湖畔美術館−笠森寺−木更津駅=東京駅