『たとえば君』と須田剋太のどくだみの絵


『たとへば君−四十年の恋歌』(河野裕子・永田和宏 文藝春秋 2011)を読んだ。
そろって歌人であった夫妻の、出会いから妻が先立つまでの40年間の恋歌を夫が編集した本で、しばしば涙ぐみながら読んだ。
その出会いには、須田剋太が描いたどくだみの絵が関わっていた。

僕が須田剋太研究会に関わっていることを知る友人の橋本博行さんから、こんな本があると教えられて、図書館で借りて読み始めた。でもこれは手元におきたい本だと思い直して、買って読んだ。
恋歌といっても、どちらも個性的であり、実生活は多忙で厳しい。ただ相手を慕う柔らかい歌ばかりではなく、鋭くとがった歌が現れる。
2人ともすぐれた歌人だから、自分のなかの機微を表現してしまい、もちろんすぐれた読み手でもあるわけだから、互いにそれを残らず読みとってしまいもする。
それを40年続けた男女の生きように圧倒された。

そのふたりが親しくなったきっかけが、須田剋太が表紙を描いた短歌誌だったことが、永田和宏の文章にある。

私の所属しはじめた「塔」という結社誌を見せたら、彼女はその表紙にとても興味を示した。須田剋太画伯によるドクダミの表紙だった。「塔」は創刊以来、主宰者の高安国世先生の友人ということで、須田画伯の表紙絵を半年ごとにいただいていたのである。私が河野に見せたのは、たぶん七月号だっただろう(これも河野の記憶と違っている)。グレイの単色刷りの表紙だが、切り絵のようなタッチのドクダミの白十字の花が数片、鮮やかに浮き出している。

河野裕子はこう詠んでいる。

七月のとある日なりき君に会ひどくだみの表紙の歌誌をもらひき

これは1967年のことで、「半年ごとにいただいて」とあるのは、半年間、毎月同じ絵が表紙になるのだった。
近くの図書館や文学館に所蔵がなくて「塔」短歌会にお願いしたら、現物を一時お借りして拝見できた。

その号には永田和宏の作は5首掲載されていた。
そのうちの1首。

夕闇を忍びてのぼる煙青くわが十代は駆けて去りゆく

こういう歌を作ったころにふたりは出会って、妻が64歳で亡くなるまでの長い伴走が始まったわけだ。
そこに須田剋太の絵も運命的なイメージとして関わっていたことになる。


編集後記には高安国世がこう記している。

□ 本号からまた須田剋太画伯の新作をいただいて表紙を飾ることができた。御厚意にいつも感激を禁じえない。

須田剋太は親しくなった人には絵をプレゼントすることが多かった。
高安国世にも無償で表紙絵を贈り続けたようだ。
高安が記した編集後記の最初には、出版にあたっての経費のやりくりが説明されている。この頃はギリギリの収支を見きわめながら発行していたらしく、須田剋太のプレゼントはとても貴重に受けとめられていたろうと思う。

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