最終更新日:2020年1月10日

 須田剋太の旅 目次 


須田剋太が司馬遼太郎『街道をゆく』に描いた挿絵の地をめぐり、国内の全てと国外の一部を旅しおえた。ほかに須田剋太の埼玉の関係地も見て、その生涯の軌跡をたどってきた。まだ尽くせないが、須田剋太の没後30年にあたる2020年を迎えたところで、ひと区切りにする。

01 北海道・東北
 ・ 「北海道の諸道」-開通まもない北海道新幹線に乗る
 ・ 秋田の海べ-象潟から八郎潟-「秋田県散歩」1
 ・ 秋田の内陸へ-大館から鹿角-「秋田県散歩」2
 ・ 米沢から狐越街道を山形へ-「羽州街道」 
 ・ 東日本大震災後の石巻と仙台-「仙台・石巻」1 (2011)
 ・ 東日本大震災後の宮城・岩手の海岸-「仙台・石巻」2(2013)
 ・ 東日本大震災3年目の福島-「白河・会津のみち」(2014)
 ・ 東日本大震災後の三陸海岸北部(八戸~釜石)-「陸奥のみち」 (2015)


須田剋太「石巻ハリストス正教会」 石巻ハリストス教会 「仙台・石巻」から須田剋太『石巻ハリストス正教会』1985。2011年の東日本大震災で内部がすっかり流され、となりに船が運ばれていた。



02 関東・甲信越


 ・ 「赤坂散歩」-都電が走っていたころ
 ・ 「甲州街道」-武蔵野を歩く
 ・ 「横浜散歩」-旧正月に中華街へ
 ・ 須田剋太のルーツへ-「信州佐久平みち」 
 ・ 新潟で「水のあと」と「人のあと」をたどる-「潟のみち」
 ・ はるかな佐渡
 ・ ふたたび佐渡へ
 ・ 日光でオランダの燈籠を見てグラバーの遺産を味わう-「肥前の諸街道」から
 ・ 吹上小学校-郷里の木造校舎
 ・ 絵のさざ波-「大久保喜一・須田剋太師弟展」
 ・ 別所沼のひとたち-須田剋太、神保光太郎、立原道造、秋谷豊


須田剋太『清水谷界隈』 弁慶堀 「赤坂散歩」から須田剋太『清水谷界隈』。今もかわらない桜の名所だが、向こうのビルが高くなっているかも。


03 北陸・東海
 ・ 富山から「飛騨紀行」を行って「郡上・白川街道と越中諸道」を戻る
 ・ 九頭竜川に沿って-「越前の諸道」


須田剋太『御母衣ダム アヅマヒガン桜』 荘川桜 「郡上・白川街道と越中諸道」から須田剋太『御母衣ダム アヅマヒガン桜』。桜はダムによる水没をさけて移植された。絵では2本の間に石碑があるが、根をいためないように移された。


04 京阪神(京都 大阪 兵庫)
 ・ 雨の嵐山-「嵯峨散歩」1
 ・ 桜の洛北、漱石の嵐山-「洛北諸道」と「嵯峨散歩」2
 ・ 秋の日射しの庭-「大徳寺散歩」
 ・ 「大徳寺散歩」と「韓のくに紀行」の国内地へ
 ・ 小さな寺と高い塔-「河内みち」
 ・ 新鮮熱そば-「堺・紀州街道」
 ・ 大阪から奈良へ竹内峠を越え、京都でコンサートを聴く
 ・ 西宮の墓苑で向日葵忌
 ・ みなとまちを歩く-「神戸散歩」1
 ・ みなとまちを歩く-「神戸散歩」2 
 ・ 淡路島の港のいちじろう
 ・ 緑の丹波篠山、青い瀬戸内海
 ・ なつかしい龍野から揖保川をくだって室津みなとへ


須田剋太『室津風景』 浄運寺から海 「播州揖保川・室津みち」から須田剋太『室津風景』。浄運寺でたまたま寺の人が草取りをしていて声をかけられ、絵の地を教えられた。でなければ気づかなかったところで、幸運だった。


05 近畿(滋賀 奈良 和歌山)
 ・ 比叡山越え-「叡山の諸道」
 ・ 琵琶湖から南へ、北へ-「湖西のみち」 ほか
 ・ 春を迎える近江-「近江散歩」
 ・ 春の奈良めぐり-「奈良散歩」ほか
 ・ 桜と桃の紀ノ川-「高野山みち」と「紀ノ川流域」
 ・ 紀伊半島で川めぐり-「十津川街道」と「熊野・古座街道」
 ・ 「大和丹生川(西吉野)街道」-挿絵の地をめぐる国内最後の旅


須田剋太『唐戸風景』 西吉野町唐戸 「大和丹生川(西吉野)街道」から須田剋太『唐戸風景』。僕にとっては挿絵の地をめぐる国内最後の旅で、短い行程だがとても印象深かった。


06 中国
 ・ 鳥取大横断-「砂鉄のみち」と「因幡・伯耆のみち」
 ・ 「芸備の道」と尾道市立美術館の須田剋太展
 ・ 初めてのおいしい山口-「長州路」1
 ・ いつか行きたかった萩・津和野へ-「長州路」2


須田剋太『美保関灯台』 美保関灯台 「因幡・伯耆のみち」から須田剋太『美保関灯台』。司馬遼太郎にならって僕もここのレストランでカレーを食べようと思ったが、あいにく休みだった。


07 四国
 ・ 幸運のえひめ-「南伊予・西土佐の道」
 ・ 坂の上の雲ミュージアム『街道をゆく』挿絵原画展 2016.2017
 ・ はじめの旅-「檮原街道」 
 ・ 台風と同行二人-「阿波紀行」


須田剋太『伊予豆比古神社長屋門』 椿神社の長屋門 「南伊予・西土佐の道」から須田剋太『伊予豆比古神社長屋門』。神社のなかで見つからず、なんとなし鳥居の外に出てみると絵の場所があった。


08 九州
 ・ 大分のふしぎな宿、ふしぎな神社-「豊後・日田街道」と「中津・宇佐のみち」
 ・ 佐賀・長崎のフクザツな海岸線をたどる-「肥前の諸街道」
 ・ 壱岐の博物館と対馬のレストラン
 ・ 日本最古の船着き場からその河口へ-「壱岐・対馬の道」2
 ・ 島原と天草のあかるい海
 ・ 肥後・球磨川へ-「肥薩のみち」1
 ・ 薩摩へ-「肥薩のみち」2
 ・ 丸木舟と宇宙船-「種子島みち」
 ・ 沖縄の西の果てまで(石垣島・竹富島・与那国島)


須田剋太『与那国祖納月見台』 ティンダバナ 「沖縄・先島への道」から須田剋太『与那国祖納月見台』。ここは崖の中腹で、こんな高い位置から見おろして描けるような場所はない。視点の位置を自在にかえて描いていることがほかにもいくつもあり、現地に行ってみてわかることだった。


09 海外
 ・ 5月のパリ-「南蛮のみち」
 ・ 6月のロンドン-「愛蘭土紀行」
 ・ 港町・釜山と古都・慶州-「韓のくに紀行」


須田剋太『キャベツ型の箱レストラン』 ル・クプシュ Le Coupe-chou 「南蛮のみち」から須田剋太『キャベツ型の箱レストラン』。司馬遼太郎一行は古びた風情にひかれて入り、14世紀築の部屋で食事した。行ってみると、ビートルズやローリング・ストーンズも来た店だった。




10 『街道をゆく』挿絵の地めぐりのこと
20 TOPICS 
30 リンク/須田剋太作品を見る
40 更新記録

50 さくいん

・ [須田剋太の旅] → 『街道をゆく』対照表
・ 『街道をゆく』 → [須田剋太の旅]対照表
・ おいしい店/宿・ホテル
・ 河口ビューイング/災害/(現代)建築
・ 図書館/美術館・博物館/自転車で走った街
・ 桃源郷(こんなところが現代にまだあった...)

60 新聞・他誌への寄稿など

・ 『須田剋太が描いた肖像画』 埼玉新聞 2014.6.23 (JPG)
・ 『須田剋太をめぐって、船戸安之の水替無宿の詩について』
    佐渡郷土文化 136号 2014.10月 (PDF 2M)
・ 『大先輩の須田剋太をめぐって、国語の船戸安之先生や、「坊っちゃん」の夏目漱石のこと』 熊谷高校百二十周年誌 2015 (PDF 4M)
・ 『「街道をゆく」挿絵の謎追う』 日本経済新聞 2015.11.18 (JPG
・ (取材協力『美の美 司馬遼太郎-異端へのまなざし』 中沢義則/文
    日本経済新聞 2016.6.5)