絵のさざ波−「大久保喜一・須田剋太師弟展」


須田剋太の生地の鴻巣市では、毎年秋に須田剋太展を開催している。
須田剋太の没後まもなくに故郷で発足した須田剋太研究会が、主要事業として展覧会を開催してきた。
その継続する活動に敬意を寄せられ、須田剋太と親しかった方々から多くの作品が寄贈されている。
今、それらの作品は鴻巣市の所蔵として市の収蔵庫に保管し、展覧会は鴻巣市生涯学習課と須田剋太研究会とで実行委員会を組織し、主に鴻巣市の経費で実施している。

2016年の展覧会は「大久保喜一・須田剋太師弟展」。
大久保喜一は旧制熊谷中学校の教師。
須田剋太が熊谷中学に在籍したのは1920年ころ、今からおよそ100年ほど前のことだった。
須田剋太にとっては美術の教師というだけでなく、剋太が美術にのめりこんで他の教科の成績を落とし卒業があやうくなったとき、熱弁をふるって卒業をみとめさせた恩師でもあった。

須田剋太研究会が発足してから開催してきた展覧会は今年が20回目で、その記念の年にはじめて師弟展が実現できた。
会場には例年来られる方々のほか、大久保喜一との関係で初めて来られた方もあり、いろいろな話をきくことになった。

● 林京子さん

林京子さんはかつて須田剋太に絵を教わっていたことがある。
一方で支援者でもあって、剋太の注文にしたがってつなぎ服を剋太仕様に作り替えることもされていた。
関西から移って今は都内にお住まいで、秋恒例の須田剋太展を欠かさず見にこられる。
ほかに同様な立場にあった崎川富美子さんという方もおられる。
崎川さんは西宮にお住まいで、高齢になられ、お元気ではあるが去年からだったか展覧会場までは来られなくなった。
おふたりとも多くの須田剋太作品を鴻巣市に寄贈されている。
今年の「大久保喜一・須田剋太師弟展」では、大久保喜一作品は熊谷市立図書館と熊谷高校からお借りした。
須田作品の多くは林さんと崎川さんから寄贈されたものだった。

展覧会の初日、展示室で林京子さんご夫妻と話していて、坂の上の雲ミュージアムに行き、かつて松山三越にいて須田剋太展の開催に関わった一色成人さんにお会いしたことをお話しした。(→ [ 坂の上の雲ミュージアム 『街道をゆく』 挿絵原画展 ])
すると林さんと崎川さんも松山三越の須田剋太展を見に行かれたという。
まだ瀬戸内海を越える橋がなかったころで、船で渡って見に行ったとのこと。
そういうことは、まあ、ありそうなこととしても、さらに驚いたことがあった。

そんな話をしているとき、目の前の展示壁に『寒山拾得』という大きな絵があった。
いかつい男2人が立っている。
林さんがその絵を指さしながら、「これは崎川さんが松山で買ったもの」といわれる。

「大久保喜一・須田剋太師弟展」展示室
展覧会場。
左の大きな作品が、崎川さんが入手された『寒山拾得』。
須田剋太が西宮のアトリエで描いた絵が松山で展示され、西宮の人に買われて戻り、さらに生地の埼玉県鴻巣市へ、はるばる来たのだった。

林さんと崎川さんは、松山展には一度行っただけだが、その後ほかの展覧会場で一色さんには幾度も会っている、親しい関係でもあった。
一色さんは、その後に独立して松山画廊をはじめて、須田剋太作品も扱った。

鴻巣展には金田明治(かなたあきはる)さんも来られた。
金田さんは、須田剋太の作品の額の多くを作った額制作者で、松山展に一色さんが来られたのは、金田さんから知らせていただいたからだった。

■ 熊谷市教育委員会・野原晃教育長

「大久保喜一・須田剋太師弟展」が始まる数日前に熊谷市役所に行き、野原晃教育長にお会いした。
この展覧会に作品を借りる熊谷市立図書館の最高責任者にあたる。
作品の貸借は当事者の熊谷市立図書館と交渉すれば足りることで、教育長にまで話をする必要はとくにないのだが、僕は前から親しくしていただいている縁があり、訪ねた。

展覧会のチラシに大久保喜一の『温室への道』の写真がある。
野原教育長が「この絵は私が寄贈に関わったもの」と、思いがけないことをいわれる。
かつてJR行田駅前に三友さんという病院があった。
野原さんの祖母の実家に近く、野原さんが風邪をひいたりして病院に行くと、待合室に大久保喜一作『室内』(これも展覧会に展示予定)の絵がかかっていたのを覚えているという。
病院を廃業して家の中を整理していたときにか、三友家の方は絵をどうするか悩んだ。
それで近くにいた縁があり、今は教育長になられている野原さんに「晃さん、どうしよう」と相談があり、それなら市立図書館へと寄贈されることになった。

(画像をクリックすると拡大します)

このとき寄贈されたのは、大久保喜一『温室への道』『室内』と谷部正氏の作品1点、計3点だった。
野原教育長が展覧会場に来られ、「寄贈のことで見て以来、久しぶりのこと」と、懐かしそうに見ておられた。

■ 松原博夫妻+娘さん

熊谷市役所の南がわを箱田用水という農業用の用水路が流れている。
農業用といっても市役所あたりはすっかり住宅街で、まちなかの小川といった風情。
その用水沿いに住む人たちが、毎年5月ころの土曜・日曜の2日間、「川沿い作品展」というのを開催している。
自作の絵や書や彫刻や手芸作品を庭先や家の中に展示して、訪れる人に公開している。
季節はいいし、のどかな雰囲気にひかれて毎年楽しみに訪ねる人が多い。
行政の支援もなければ、街おこしなどという目論見もなく、ただそこに暮らす人たちの楽しみでしていて、ことしでもう17回目にもなった。
確たる大義名分とか目標がなくて長い年数つづいていて、たいしたことと思う。
用水路の近くに埼玉県立熊谷図書館があり、僕が勤務していたころ図書館もその催しに加わり、図書館内でも展示をするようになった。

松原博さんは「川沿い作品展」のリーダーのひとり。
大久保喜一邸が用水の近くにあり、作品展の初期のころには大久保喜一の実作品も展示していたことがある。
今は作品の保存状態への配慮などから作品は展示しなくなったが、パネルなどを作って、かつてこういう画家が暮らしてもいたということを紹介している。
大久保喜一の死後、夫人がひとり暮らしをしているところに、松原さんの夫人がよく訪れていた。
「赤いパラソルの絵が好き」といったら、園さん(大久保喜一夫人)が「あれは私が買ってもらったパラソル」と懐かしそうに語っていたという。

「大久保喜一・須田剋太師弟展」に松原さん夫妻が見に来られた。
須田剋太研究会が中心になって開催してきた展覧会が20回なのを知り、「川沿い作品展の20回展をどうするか考えておこう」といわれていた。

■ 野口信夫夫妻

野口信夫さんは彫刻家で、松山女子高校で美術を教えていられる。
今「川沿い作品展」の運営は松原さんたちにまかせているが、初期のリーダーだった。
これまで「川沿い作品展」のときに撮った写真をアルバムに整理してあるのを見せていただいた。
2003年の川沿い作品展では大久保喜一『実験室』が展示され、その絵の前で大久保五一氏・園さん夫妻が写された写真もあった。
大久保五一氏は熊谷高校の生物の教師で、僕も教わったことがある。

■ 山本利一さん

山本利一さん「川沿い作品展」
山本利一さんも「川沿い作品展」のメンバー。
庭でおびただしい種類の草花を育てていて、「熊谷」の名を冠した熊谷草の保存にとくに力をいれている。
93歳になり、軽く杖をついているが、元気で、植物についてたずねると知識も記憶も精細で圧倒される。

今回の展覧会に、須田剋太の『熊谷椿』を展示してあった。
須田剋太は東大寺椿の絵をよく描いていて、東大寺椿はお水取りにつかうために僧が作る人工のもので、そうしたことを知る人から「熊谷椿というのは実際にある花か」とたずねられることがある。
うろ覚えの知識で「あります」と答えていたのだが、山本さんに確認しておこうとたずねると
「熊谷の名のつく椿は4種ある。肥後熊谷、光明熊谷、円城寺熊谷、中部熊谷の4つ」とのこと。
さらに「熊谷」の名のつく桜も4種あることまで教えられた。

■ 浜島義雄さん

浜島義雄さんは画家。
大久保喜一が設立に関わった板東洋画会という美術団体があるが、その後身の朱麦会のメンバーでもある。
熊谷高校で大久保五一先生に教わり、五一先生の息子の貴一氏とは高校・大学とも同じだった。
僕は浜島氏とは熊谷高校で同期で同じクラスだったこともあり、五一先生に教わり、貴一氏と同じクラスだったことがある。


「大久保喜一・須田剋太師弟展」について埼玉新聞に掲載された。(2016.10.25)
この取材のときちょうど来られていて、写真に写っている右のひとが浜島義雄さん。
(記事画像をクリックすると拡大表示します)
埼玉新聞「大久保喜一・須田剋太師弟展」2016.10.25)

■ 酒野晶子さん

酒野晶子(さかのあきこ)さんは東大阪市民美術センターの学芸員。
酒野さんの企画で、『街道をゆく』の原画展を毎年開催していた時期がある。
今は大学でも教えられていて、忙しいなか、展示を見にこられた。
来年3月でセンターを退職することになり、担当する最後の展覧会は安野光雅展を準備しているという。
センター20周年、市制50周年記念展でもあり、酒野さんは安野氏と直接の縁がおありでもあり、気合いのこもった展覧会になりそうで、ぜひ見に行きたいと思う。

東大阪市のホームページによると、展覧会の予定は以下のとおり。
[東大阪市民美術センター 特別展「安野光雅 御所の花(仮称)」展]
 2017.2.1(水)〜3.26(日)
 大阪府東大阪市吉田6-7-22 tel. 072-964-1313
 http://higashiosaka-art.org/

■ 過去の作品が今にさざ波を起こす

坂の上の雲ミュージアムの『街道をゆく』挿絵原画展のあと、学芸員の石丸耕一さんがその展示について、『「街道をゆく」が生んだ縁』というタイトルで産経新聞に寄稿された結びの文章はこうだった。
 博物館の展示や事業が、いろいろな人々との出会いや縁を生み、一つの形になっていく。そうしたことを改めて感じさせられた出来事であった。
須田剋太の生地、埼玉県鴻巣市での秋の展覧会は毎年恒例になっていて、いつの年もゆかりのある方々が訪れてくださる。
今回は師弟をテーマにした展覧会だったために、これまでの展覧会には来られたことがない、大久保喜一に関わりがある方々が来られて、思いがけないつながりを知るようなことがあった。
過去に作られた作品が今の人にさざ波を起こしていくことがある。
石丸さんの文章をあらためて思い起こし実感することとなった。