坂の上の雲ミュージアム『街道をゆく』挿絵原画展 2016.2017


松山市にある坂の上の雲ミュージアムで『街道をゆく』挿絵原画展を継続的に開催している。
これまで「14南伊予・西土佐の道」「27檮原街道」「32阿波紀行」と四国島内の道を対象にし、挿絵が描かれた地の今の風景の写真を撮って作品と見比べるように展示されてきた。
2016年の「21芸備の道」、2017年の「30.31愛蘭土紀行」では、現在の風景として僕が撮った写真がつかわれた。

 2016年「芸備の道」
 2017年「愛蘭土紀行」 

*それぞれ僕が行ったときのレポートは
[「芸備の道」としまなみ海道 +尾道市立美術館の須田剋太展]
[6月のロンドン]


 2016年「芸備の道」


・歴史の記憶 須田剋太「街道をゆく」挿絵原画展 第4回 芸備の道
・2016年10月1日(土)から10月31日(月)
・記念対談「街道をゆく」の挿絵の魅力
 松原正毅館長/渡辺恭伸
 10月2日(日)14:00~15:30
・坂の上の雲ミュージアム
松山市一番町3-20 tel.089-915-2600
http://www.sakanouenokumomuseum.jp/

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坂の上の雲ミュージアム 須田剋太『街道をゆく』挿絵原画展「芸備の道」

原画展にあたって、坂の上の雲ミュージアムの松原正毅館長と僕の対談も企画された。
その日、対談は午後からだが、午前中にミュージアムに入ると、11時ころ、館内放送があり、開館140万人目の人が入ったとのこと。
松原正毅館長が迎え、くす玉を割り、記念品が渡された。
島根県益田市から来られた人だった。
開館から9年5か月で、地方都市にあり、しかも1つのテーマに限定したミュージアムなのに、たいしたことと思う。

会場には大阪府から借用した「芸備の道」の挿絵26点が展示された。
あわせて僕が2013年に行って撮った写真も前に置かれている。
挿絵と写真はすべて1:1で対応しているのではなくて、写真がないものもあり、全体と部分と2枚あるものもある。

坂の上の雲ミュージアム 須田剋太「街道をゆく」挿絵原画展 松原正毅館長との対談
対談ではUSBメモリーに用意した画像を映しながら、「芸備の道」での話をした。
須田剋太が夏目漱石の『坊っちゃん』を介して松山ともつながりがあることもお話しした。

(左の写真:坂の上の雲ミュージアム玉井友子さん撮影)

松原館長はお話しのなかで、「坂の上の雲」に関する展示について40年かかる構想があると言われた。
1編の本に関わるミュージアムでそれほどのテーマがあり、ふくらみがあるのかと印象に残った。
また『街道をゆく』の挿絵原画についても、すべての街道を展示するのに40年かかるとも言われる。
遠大なことだ。
松原館長は遊牧の研究のためにトルコの遊牧民にまじって1年暮らしたことがあり、『街道をゆく』の中国の旅に同行されたこともあり、思いが深く、スケールが大きい。
    ◇     ◇
対談にあわせて、思いがけない2人の来場者が来られた。
1人は、松山行きの便を待つ羽田空港の待合室にいるとき、携帯に連絡があった。
「湖西の道」をめぐったときに訪れて話をうかがった琵琶湖西岸にある興聖寺(こうしょうじ)の住職、森泰孝さんからだった。(→[琵琶湖から南へ、北へ-「湖西のみち」 ほか])
10月に開催される松山市と鴻巣市の須田剋太展の案内をお送りしてあったのだが、松山展に行かれるとのことだった。

もうおひとりは、対談が始まる前、ミュージアムの方たちと打合せしていたときにたずねてこられた。
一色成人さんといわれる。
須田作品の多くの額を作られた金田明治(かなたあきはる)さんに、松山での挿絵原画展の案内をお送りしたところ、「当地在住の知人にお報らせしておきます」と返信の手紙をいただいていた。(金田さんは大阪住)
その知人というのが一色成人さんで、松山にお住まいで、かつて松山三越の美術部にお勤めだったという。
1978年、『街道をゆく』の「南伊予・西土佐の道」の旅のとき、一色さんが全日空ホテルのロビーで須田さんと話しているとき、朝食に降りて来られた司馬さんに行きあうということもあった。
松山三越では1986年、1988年の2回、須田剋太展を開催し、とても好評だった。
どちらも図録を作っていて、1回目の図録には司馬さんが序文を寄せている。
坂の上の雲ミュージアムの方々にもご紹介すると、地元にこういう関係者がいらしたことに驚いておられた。

対談のときには、最後に琵琶湖近くから来られた興聖寺の住職、森泰孝さんをご紹介した。
車で片道7時間もかけてご夫妻で来られていた。
興聖寺は『街道をゆく』の第1回「湖西のみち」の最後に語られる印象深いところで、そんなゆかりの方にはるばる来ていただいてありがたいことだった。

一色さんは対談前にお話ししたとき、こういう場で紹介されることを遠慮されていたので、こういう方がいらしていただいたということと、一色さんに連絡された金田明治さんのことをお話しした。

会場に展示されている作品は、すべて金田さんが額装されたものだった。
1点ごとにていねいに手作りされた独特の額で、金田さんのものと一見してすぐわかる。
その額のなかにある須田剋太の作品は正確な長方形ではない。
剋太は大きな紙を適当な大きさに大雑把に切って使っていて、紙の角は90度ではないし、紙のはしはきちっとした直線ではない。
印刷された画集や、このサイトでも、作品の画像をすっきり長方形にトリミングしてしまっているが、実は作品の大きさ、形は1点ごとに違うといえるほど。
紙の形が大雑把といっても、須田剋太は描くことに手を抜いていたわけではない。
金田さんは額作りを始めてまもないころ、剋太が絵の縁(ふち)を指さして「金田くん、僕はここまで命をかけている。この先はあなたが命をかけてくれなくてはいけない」と迫られたという。
しだいにその思いにこたえられるようになり、画家が若い額制作者を育てたことになる。
須田剋太の挿絵は原画を見なくてはそうしたことは見えない。
また、もともと週刊朝日でも、単行本や文庫本に掲載されたときでも、『街道をゆく』の挿絵は絵はモノクロで印刷された。
でも須田剋太は色をつけていたのだし、別な紙に描いたものを貼りつけたり、チョコレートの包装紙を刻んで画面にふりまいたりもしている。
そうした多彩な制作のありようも、原画を間近で見なくてはわからない。
坂の上の雲ミュージアムがこれから40年もかけて展示し尽くそうということは、そうした点でも魅力ある企てになる。
挿絵の原画を見ることは、もちろんほかに『街道をゆく』の文章と関わって、描かれた地への思い、時間の変化への思いも重ねることになる。

対談を終えて松山から帰ってからのことになるが、坂の上の雲ミュージアムの学芸員の石丸耕一さんが産経新聞にことしの挿絵展について『「街道をゆく」が生んだ縁』というタイトルで寄稿され、掲載紙を送っていただいた。
僕が『街道をゆく』の挿絵の地をたどって訪ねた興聖寺の森泰孝師が松山展を見にこられたことを紹介し、こういう文章で結んでいる。
 博物館の展示や事業が、いろいろな人々との出会いや縁を生み、一つの形になっていく。そうしたことを改めて感じさせられた出来事であった。
『街道をゆく』の挿絵の地をたどっていると、ただ過去をなぞるということだけでなく、ささやかでもこんふうに今の人の動きに関わることがある。

● 松山三越
愛媛県松山市一番町3−1−1 tel. 089-945-3111

松山三越
対談の日、坂の上の雲ミュージアムに向かう道筋で、たまたま松山三越の前を通りかかった。70周年記念とあり、そんなに長いのかと思って店内に入ってみた。

70年前といったら戦後まもなくのこと。
戦後の混乱期に、松山から東京や大阪へ物資を送り出し、周辺の商店街に刺激を与え復興にも貢献した。
混乱期を過ぎると、東京資本の百貨店として、東京の文化や香りを松山に紹介する役割を担ってきたという。
店内では、過去を振り返る写真が展示され、愛用者に記念品が配られていた。
6階に上がると 美術ギャラリーがあった。
広い面積を占めていて、今、売れ筋の有名作家の作品が並んでいた。
数十万から数百万の値がついている。
ミュージアムに訪ねて来られた一色さんは、かつてここにお勤めされていたのだった。

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 2017年「愛蘭土紀行」


・歴史の記憶 須田剋太「街道をゆく」挿絵原画展 第4回 芸備の道
・2017年9月30日(土)から10月30日(月)


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坂の上の雲ミュージアム 須田剋太『街道をゆく』挿絵原画展「愛蘭土(アイルランド)紀行」


『愛蘭土紀行』の挿絵90点のうち20点を展示してある。
司馬遼太郎一行はアイルランドに行く前にロンドンに寄るのだが、僕が行ったのはロンドンのみ、それも一部で、写真が展示されたのはタワーブリッジ、ウォルドルフホテル、ウォルドルフホテル食堂、ロンドン・ユーストン駅構内の4点だった。
坂の上の雲ミュージアム 『街道をゆく』挿絵原画展 会場風景

このころ愛媛県美術館で『没後20年司馬遼太郎「21世紀"未来の街角"で」』が開催されていて、あわせて見によった。
この展覧会は全国を巡回していて、僕は6月に横浜のそごう美術館ですでに一度見ている。
『街道をゆく』の挿絵原画も数点が展示されるのだが、各会場にゆかりの地の絵が選ばれていて、松山では「南伊予・西土佐の道」から『松山城』と『檮原神楽』だった。
どちらもかつて行ったところで懐かしい。

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参考:

  • 『街道をゆく 21』 「芸備のみち」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1983
  • 『街道をゆく 30』「愛蘭土紀行Ⅰ」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1988
  • 『「街道をゆく」が生んだ縁』 石丸耕一 産経新聞愛媛版「坂の上の雲ミュージアムカフェ213」 2016.10.21