「甲州街道」−武蔵野を歩く


1970年の「甲州街道」の旅で、司馬遼太郎は八王子で徳川慶喜の熱心な研究者に会った。
今、その人が営んでいた履物店に行ってみると、荒井呉服店のすぐ隣。
荒井呉服店は荒井由美、のちに松任谷由実となった歌手の生家で、こういうところに司馬遼太郎や須田剋太が来ていたのかと驚いた。
また、須田剋太が武蔵国分寺跡の絵を描いているが、そこは1968年の3億円盗難事件のゆかりの地だった。ほんの1キロほど南に府中刑務所があり、その塀の外で東芝府中のボーナス3億円ほどをのせた車を奪った犯行者は、国分寺跡付近で別の車に現金を移し、乗り換えて、逃走した。
そんなことがあった1970年代あたり、僕は立川に住み、妻(になる人)は府中に住んでいて、互いの家の往き来の途中にときたま寄った府中街道のデニーズ西国分寺店は国分寺跡に近い。
「甲州街道」をめぐると、知らなかったことの発見があり、青春を回想する懐かしい思いもあった。

第1日 小仏峠 高尾駅 大垂水峠 相模湖 八王子[荒井呉服店 サクラヤコーヒー 河合履物店 千人同心屋敷跡記念碑] 八王子(泊) 
第2日 八王子[田町旅館遊郭跡 八王子市役所 村内美術館] 
第3日 武蔵国分寺跡 武蔵国府跡 大国魂神社 府中市郷土の森博物館

第1日 小仏峠 高尾駅 大垂水峠 相模湖 八王子[荒井呉服店 サクラヤコーヒー 河合履物店 千人同心屋敷跡記念碑] 八王子(泊)

* 「甲州街道」の旅の起点、八王子には、妻と車で向かった。
東松山i.cから関越自動車道に入り、圏央道に分岐して、高尾山i.c.を出た。
国道20号を北へ、八王子市街に向かって走る。
高尾山への登り口である京王線・高尾山口駅の脇を通りすぎる。
西浅川の信号を左折、20号線をそれて、西に向かう。
道は浅川に沿った狭い谷間につけられている。
人家があるが、ほとんど道に沿ってだけあって、せいぜい道から2軒目くらいまで。
それで集落は面的な広がりはなくて、細く線のようにある。
狭い谷間をJR中央本線も並行して通っていて、道は窮屈なのだが、こんな道をバスが走っている。
意外に本数が多い。人家はあってもわずかだし、住む人はほとんど車を持っているだろうから、利用者はほとんど小仏峠に登るハイカーのようだ。
やがてバスの終点・折り返し場がある。
車はもう少し先までいけて、舗装区間が終わるあたりに駐車した。
山に登るハイカーが置いていった車がいくつもあり、僕らの車がそこに置ける最後の1、2台だった。


■ 小仏峠(こぼとけとうげ)

車を降りて歩く。
風がなくて、晴れていて、冬の低山のハイキングにはいい日だった。
この日は12月27日、日曜日だった。
暮れとはいえ、かなりのハイカーがいた。
30分ほど歩いて、ハイキングというほどのこともなく小仏峠に上がりきってしまう。
峠には、いくらかの平坦な広がりがあって、いくつかのハイキング・ルートの交差点になっている。
司馬遼太郎は坂道が苦手だったことが『街道をゆく』のあちこちで吐露されている。
ここでは珍しく自分だけ峠まで行ってくるから同行の女性に待っていてくれるようにいったけれど、女性たちも一緒に峠まで向かったと書かれている。
ところが途中でひと休みすると、司馬はもう坂を上がる気をなくしたようで、
坂道を中途でひっかえして、八王子の繁華街にもどった。(『街道をゆく 1』「甲州街道」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1971。以下引用文について同じ。)
ということになった

「甲州街道」の旅では、須田剋太は司馬遼太郎と一緒ではなかった。
「甲州街道から八王子、小仏(こぼとけ)にかけての道をゆきましょう」
 と、私は早くから須田画伯に言いながら、両方の日の繰り合わせがつかず、私のほうが先に行った。あとで須田画伯が行った。
あとから行った須田剋太は峠まで上がったろうか。
絵では開けた明るい風景が描かれている。
でも実際に峠に立ってみると、木々が繁って森の中にいるようだし、ここまでの道も狭く、木の枝に覆われていた。

小仏峠への道 須田剋太『甲州街道小仏峠付近』
須田剋太『甲州街道小仏峠付近』

『街道をゆく』の文章では、司馬遼太郎はこのとき山菜をとって降りてくる女性たちに出会っている。
須田剋太が描いた挿絵は、たぶん司馬遼太郎が行ったときに同行していたカメラマンが撮った写真をもとにしている。

小仏峠 須田剋太『小仏峠付近』
小仏峠 須田剋太『小仏峠付近』

須田剋太は『街道をゆく』の挿絵で、絵に別の素材を貼りつけて画面を合成するコラージュの技法をしばしばつかっている。
この絵では山道に立つ2人の女性像が、背景から妙にクッキリして、浮きあがっているように見える。

原画を見ないと定かに確認はできないが、たとえば左の女性の頭部を拡大すると、こんなふう。黒い輪郭線から白い余白がはみだしていて、しかもその白い部分のへりはハサミで切ったように直線的。
女性の姿を別に描いて貼りつけたコラージュと判断していいだろう。
須田剋太『小仏峠付近』を部分拡大

須田剋太の挿絵は印刷物でもじゅうぶん魅力的ではあるけれど、モノクロでしか印刷されないのにカラフルに彩色していたり、原画を直接みると幾倍もわくわくさせられる。

* 道を先に行けばやがて相模湖にいたるし、高尾山に向かう道もある。歩くのは楽しそうだけれど、峠から引き返して道を降り、車に乗る。
また狭い道を戻ると、20号線にぶつかる西浅川の信号よりいくらか手前に小仏関跡がある。


■ 小仏関跡
東京都八王子市裏高尾町

武蔵国と相模国の間に設けられた甲州街道のかつての関所あと。
もとは小仏峠にあったものが、東に(市街地よりに)移されたらしい。
石碑を中心に小さな公園になっている。
谷あいの狭い道にあるから、公園も道に沿って細長い。

小仏関跡 須田剋太『史蹟小仏関阯』
須田剋太『史蹟小仏関阯』

石碑の上部が、須田剋太の絵では△になっている。
手前に石段があるが、現状は平坦なところにある。
場所を移したときに石碑を作り直したのかもしれない。

* 国道20号線を高尾駅に向かう。
地図を見ると、駅の北口はすぐ20号線があって狭そうだが、南口は広場ふうになっている。そちらなら駐車場がありそうと見当をつけて、20号から右折して踏切を越えた。
予想どおりコインパーキングがあって車を置く。


■ JR高尾駅

高尾駅はJRと京王線が接続しているが、JRが北側、京王線が南側にある。
JR高尾駅の寺社ふう建築を眺めてみようと思ったのだが、それは北口にある。
南口の京王線の駅員さんにどう行ったらいいかたずねると、入場券を買って駅内を通り抜けるか、駅の東か西の踏切をぐるっと迂回するかになるという。踏切を越えるのは、さっき車で走ってきた道を歩いて戻ることになるわけで、なんだかおもしろくない。
140円の入場券を自販機で買って駅を北に抜けた。

駅から出て、駅前から見た高尾駅。和風の、寺社風の意匠で、中央線の駅としては異色の顔をしている。
高尾駅

● Ichigendo
東京都八王子市高尾町1201-2 tel. 042-669-4701

駅構内に小さな店があってランチにした。
僕は豆カレーセット、妻は野菜カレーセット。
外に向かった窓に面したカウンターに座る。
正面にはみやげものと高尾山名物とろろそばの店。
八王子市街からやや距離があり、山に近い駅なのだが、いくつかの路線バスがここを基点にしていて、眺めているとバスがひんぱんに着いては出ていく。
高尾駅 Ichigendo

僕が四谷の大学に通っていたころ、先輩で高尾から通っている人がいた。
僕はその頃(高尾より東京よりの)吉祥寺から通っていた。南口が新しくできたり、駅も周辺も大きく変わったころだった。
吉祥寺がさきがけだったか、その後、中央線の駅は新宿から立川あたりまで、広場ができ、再開発ビルができ、似たような表情にかわったところが多い。
高尾駅北口周辺はあまり変わっていないようだ。
南口から北口へ回るのに不便な気がしたが、橋上駅舎と自由通路を新設する計画があるという。北口駅前もほかの中央線の駅と似たような風景にかわるかもしれない。

* 京王線のひとつ先の駅、高尾山口駅は新しくなったばかり。
そちらも見に行くことにして、京王線の高尾駅から電車に乗った。
ひと駅で130円。
あれ?さっき高尾駅を南から北に抜けるのに買った入場券140円より安い。


■ 高尾山口駅−高尾駅

2015年4月に隈研吾氏の設計で新しい駅舎ができた。
「高尾山のスギ並木」にちなんで杉材を使用し、和風でいて近代的に清潔ですっきりした隈氏特有のデザインになっている。
オリンピックのために新設される国立競技場は隈研吾氏による木を多用したデザインに決まった。競技場でもこんな景観を目にすることになるだろうか。

高尾山口駅

駅からちょっと歩くと、高尾山に上がるリフトとケーブルカーの乗り場がある。
その手前で右に行くと、歩いて上がる山道になる。
僕も妻も住んでいる所が近かったからそれぞれに来たことがあり、子どもや親も交えてにぎやかに登ったこともある。
今日は山には行かないで、また電車に乗って高尾駅に戻った。

* 駐車場に戻って車に乗る。
『街道をゆく』の旅で、司馬遼太郎が乗ったタクシーは小仏峠に向かうはずを間違えて大垂水峠に行ってしまった。
一緒に同行していたのではなかったが、須田剋太は先行者の間違いにしたがって大垂水峠も描いている。
僕らは先に小仏峠に行ったが、これから大垂水峠に向かう。
一度車で通りすぎ、さっきは電車で来た高尾山口駅前をまた通りすぎる。
甲州街道=今の国道20号線は、高尾山の南べりを西に走って、大垂水峠を越えると神奈川県に入る。(甲州街道はその名のとおり甲州=山梨県に向かうが、相模湖付近だけ神奈川県がはさみこまれている。)


■ 大垂水峠

『大垂水峠』の絵には、「松山園」という文字が見える。
かつてそういう名のドライブインがあったらしい。
ただこの絵に描かれた建物が松山園なのではなくて、たまたまそこの電柱に「松山園」の広告が架かっていたのではと思う。
ゼンリンの住宅地図で『街道をゆく』の取材時の1970年以降をたどると、「松山園」は「サンセットメモリー」という名の店にかわっている。
須田剋太『大垂水峠』
須田剋太『大垂水峠』

20号線を走って大垂水峠を越えた先にサンセットメモリーがある。
道がUの字に曲がっていくその先端にある。
やはり絵のように数軒の家がほぼ直線に並んでいるのとは立地が違う。
絵の場所は松山園ではなく、広告看板があるだけと判断していいようだ。
大垂水峠の道

では『大垂水峠』の絵の場所はどこだろうか?
絵の風景は、古い街道に沿った宿場町のようにみえる。
でも大垂水峠付近は、下の写真のような山道で、たまに上の写真のような店がポツリポツリとあるくらい。
40年以上経って建物が建て替わっていることもありそうだし、『大垂水峠』を描いた場所はわからなかった。

大垂水峠 須田剋太『広告のにぎやかな甲州街道峠路』

右の絵は須田剋太『広告のにぎやかな甲州街道峠路』。
今はこれほど看板が乱立しているふうではなかった。

* 国道20号線を先に進むと相模湖にでる。

■ 相模湖

相模湖は相模川にダムを作ってできた人造湖。
火口に水がたまったようなのと違って細長い。
中央道が並行していて、高速で走っていてもしばらく相模湖がつづく。
これまで何度も脇を走り抜けたが、湖畔に降りてきたのは初めて。

湖畔に食堂やゲーム機がある店が並んでいるが、寒い暮れの日で、ポツリポツリしか人がいない。(右上の写真では、左の店のうしろに湖面がある。)
「まもなく遊覧船がでるので乗ってきませんか」と声をかけられてクジラ形の遊覧船に乗った。
僕ら夫婦だけの貸切状態かと思っていたら、出る間際に小さな子を連れた若い夫婦が乗りこんできた。
舵のわきに石油ストーブがある。
相模湖畔の店

相模湖の遊覧船

須田剋太『相模湖』 須田剋太『相模湖』。
須田剋太とは別に(先に)来た司馬遼太郎は、大垂水峠で引き返したのだが、須田剋太はその先の相模湖の風景も描いている。

* また大垂水峠を走り、またまた高尾山口駅前をすぎて、八王子市街に向かう。
八王子中心部を東西に貫いて国道20号がある。
南北には国道16号がはしる。
北から南にきた16号は、20号にぶつかると一部重なって東に行き、400mほどでまた南に向きをかえる。
その16号と20号が重なっているあたりが八日町という、八王子でいちばんの中心地になる。
今夜はそこにある八王子スカイホテルを予約してある。
ホテルの駐車場に車を置き、いったんチェックインしてから、散歩に出た。


● サクラヤ コーヒー (SAKURAYA COFFEE)
東京都八王子市八日町10-11 tel. 042-621-1955

『街道をゆく』の旅で、司馬遼太郎は、八日町で老舗の履物店を営む河合重子さんに会っている。
前から徳川慶喜の研究者として知り合っていたが、八王子行きの機会に待ち合わせて、小仏峠に同行した。
市街に戻ってから「どこかコーヒー屋さんがありませんか」と司馬遼太郎がたずね、「裏町の角の、道路からいきなり室内に入るコーヒー屋」に入った。
NHKテレビの番組でその後の『街道をゆく』の地を訪ねた様子が放送され、DVDになっている。その「甲州街道」の回を見ると、河合重子さんが喫茶店の椅子に座って、司馬遼太郎と会ったときのことを話す場面があった。
『街道をゆく』の文中にコーヒー屋の店名はないが、DVDでは一瞬「sakuraya」の店名が写った。
番組内でとくにコーヒー店についての説明はなかったが、かつて司馬遼太郎と入った店に行って河合さんから思い出を語ってもらったと考えていいだろう。

ホテルから2軒おいたところに細い道があり、角にデニーズがある。
その細い道を北に行った最初の角に喫茶店があった。

このごろスターバックスのような店にはときたま入るが、喫茶店というのにはほとんど行くことがない。
でも喫茶店というのもやっぱりいいものだと思わせるような、落ち着いた、雰囲気のある店だった。椅子やテーブルや照明が調和してぴったりおさまっている。
サクラヤ コーヒー

■ 河合履物店・荒井呉服店
荒井呉服店:東京都八王子市八日町9-8 tel.042-625-5291

『街道をゆく』によると、河合さんの履物店は八日町の目抜き通りにあるという。
八日町の表通りにでて歩いても河合履物店は見つからない。
前記のDVDでは、商店街をぐるりと映し出していく映像があり、河合履物店は荒井呉服店の並びにあったようだった。
荒井呉服店は、荒井由美、のちに松任谷由実となった歌手の生家。
荒井由実がシングル「返事はいらない」をだしてデビューしたのが1972年。
「あの日にかえりたい」が大ヒットして広く知られるようになったのは1975年。
司馬遼太郎が訪れたのは1970年だったから、荒井由美はまだ歌手として知られる前、立教女学院高等学校に通っていたころだった。

荒井呉服店は明るく盛んな印象を受ける。
中に入って河合履物店のことを若い店員さんにたずねると、いったん奥にさがって年長の方に確認されて、隣の、今はビルになっているところが履物店だったとのこと。
荒井呉服店は古い都市の店によくあるように間口が狭いが奥がとても長い。
もしかしてたまたまユーミンが実家に帰っていたらお会いできるかもと思ったのだが、そんな都合のいいことはなかった。

もと河合履物店と荒井呉服店
緑色の荒井呉服店の左のビルが、もと河合履物店

『街道をゆく』の文章では、司馬遼太郎は河合さんの精度の高い知識におどろいているが、
Kさんの面白さはこれだけの文章力をもちながら、一度も慶喜についての自分の考えや研究を活字にしたことがないのである。
とある。
司馬遼太郎が八王子に行って河合重子さんに会ったのは1970年で、河合さんは1927年の生まれだから43歳ころだった。
その後2007年、80歳ころに、ようやく河合さんは慶喜についての本を出版された。
(『謎とき徳川慶喜 なぜ大坂城を脱出したのか』河合重子 草思社 2007)
さらにその後、その本の編集に関わった戸張裕子氏が2013年に自身で慶喜についての著作をだしたとき、監修者となっている。
(『微笑む慶喜―写真で読みとく晩年の慶喜』戸張裕子/著 河合重子/監修 草思社 2013)



須田剋太が『K女史』を描いている。
「K女史」はとうぜん河合重子さんのことで、ご自身の履物店の前に立っている。
須田剋太は司馬遼太郎よりあとに別に行ったのだが、会ってスケッチしたろうか。それとも司馬遼太郎が来たとき撮った写真があって、それをもとに描いたろうか。
須田剋太『K女史』

* 国道20号を西に歩く。
交通量の多い国道に面しているが、古くから営業していそうな店がいくつもある。
八百屋が歩道にまで屋台をせりだして売場を広げてさかんに商っている。小さな商店街ならともかく、広い国道に面してこういうのは珍しい。
仏具屋がいくつもあるのも古い都市ならではだろう。


■ 八王子千人同心屋敷跡記念碑
東京都八王子市追分町

道が+ではなくてXに交わるところがあって、追分町という。
20号線はここで左に折れていくのだが、右に分かれる陣馬街道のほうに進む。


八王子千人同心屋敷跡記念碑


須田剋太『千人同心屋敷の有った現代八王子千人町付近』
須田剋太『千人同心屋敷の有った現代八王子千人町付近』

まもなくさっきより小規模な分かれ道がまたあり、その突端に木の植え込みがあり、「八王子千人同心屋敷跡」と刻んだ石碑がある。
千人同心は、ふだんは農民として暮らし、非常時には兵となる人たちで、将軍が上洛したり日光に参るときには供もした。

● 焼肉まんてん
東京都八王子市横山町14-7 tel. 042-628-1168

焼肉まんてん 「八王子千人同心屋敷跡」からホテル方向に戻るうちにすっかり暗くなった。
八日町の交差点から斜めに入って八王子駅に向かう道がある。
その角におもしろい表情をする店があって、飲みながら焼肉にした。

● 竹の家
東京都八王子市中町4-2 tel. 0426-42-5450

焼肉の店より駅寄りにラーメン専門の店があり、最後の食事にはいった。
メニューはいさぎよくラーメンのみ。
ラーメン、かけラーメン(ふつうのラーメンより100円安い)、チャーシューメン、メンマラーメンの4種に、それぞれ大盛りなどのバリエーションが加わるくらい。
焼肉のあとでもさらっと食べてしまった。

● 八王子スカイホテル
東京都八王子市八日町2-3 tel. 042-623-1100

僕が住む埼玉県鴻巣市から八王子までは、電車でも車でも1時間半ほど。ふつう泊まるほどの距離ではない。
でも、ただ見て歩いて離れてしまうのではなく、1晩でも泊まると、そのまちにひたった感じになる。
ちょうど八日町に手ごろなホテルがあって泊まった。

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第2日 八王子[田町旅館遊郭跡 八王子市役所 村内美術館]

● デニーズ八王子八日町店
東京都八王子市八日町1-10 tel. 042-622-1250

デニーズ八王子八日町店 ホテルから1軒おいた隣にデニースがあり、朝7時に開店するという広告に、きのう夕飯の帰りに気がついた。
ホテルで朝食をとらないとするとコンビニで調達するのがふつうだけれど、この朝はデニーズに行った。
妻はベーコンエッグサンド、僕は野菜粥スープ。各800円。手ごろでいい朝になった。

* ホテルのチェックアウトは10時まで。
その前に、朝食がすんだところでそのまま散歩に行く。
北へ、浅川のほうに向かう。
表通りの商店街は活気があるようだったが、住宅街にはいりこむと、あちこちで家が欠けてTimesの時間貸し駐車場にかわっているところをいくつも見かけた。


■ 八王子市田町旅館遊郭跡

浅川に架かる暁橋の南西に「田町」という一画がある。
須田剋太が『八王子市田町旅館遊郭跡』を描いている。
それらしい家が今もあるものかどうかぷらぷらと歩きまわっていると、さっき見かけた散歩中の高齢男性に、また別な道で行きあってしまうということがあり、何かお探しかと声をかけられた。
遊郭の絵を描いた人があり、そこをたずねてきたと話すと、ちょうどそのときいた通りが遊郭街だった。
他の道より広く、かつては柳の並木があり、端には門があったという。
家はほとんど建て替わっていて、特徴を残す建物の1つが2014年の火災で焼けたという。来るのがちょっと遅かった。
今は門はなく、並木はハナミズキにかわっている。

八王子市田町 遊郭があった通り 須田剋太『八王子市田町旅館遊郭跡』
須田剋太『八王子市田町旅館遊郭跡』

* ホテルに戻り、チェックアウトし、車に乗り、市役所に行った。

■ 八王子市役所市政資料室
東京都八王子市元本郷町3-24-1 tel. 042-620-7309(市政資料室直通)

図書館に郷土資料はあるだろうけれど、市役所にも市政や市の歴史に関わる資料を置いた市政資料室というのがある。
村内美術館へ行ってみようと思っていたので、その途中にある市役所に寄った。

市政資料室の案内の人から『続・八王子の今昔−いま見つめたい昭和の八王子−』という本を教えられた。昭和のころの懐かしい写真をいくつも収め、現代の様子も対比して並べてある。

そのなかに須田剋太が描いたのと同じらしい遊郭が写っているものがあった。
遊郭がにぎわったのは、明治後期から昭和中葉だという。
写真の時期は1960年代とあり、すでに廃業したあとで、建物は荒れかけている。
田町遊郭跡 関谷常夫撮影

写真を撮ったのは関谷常夫さんと記されている。
「洋品のせきや」の経営者で、店は甲州街道沿いにあり、河合重子さんの履物店からほんの2ブロック、歩いて数分の近さにある。
「web八王子辞典」という、八王子に関わるインターネット上の百科事典がある。
そこに「ミシン収集No.1」という項目があって、関谷常夫さんがミシンを収集していたことが説明されている。
職業柄ミシンに関心があったのだろうが、歴史を残そうとする意識があり、写真を撮るのもそのためだろう。
履物店の人が徳川慶喜を研究し、洋品品の人が歴史を記録し、呉服店からはシンガーソングライターがでて、八王子の甲州街道の商店街はただごとではないという気がする。

(須田剋太が描いた遊郭について関谷さんに直接話を伺いたいと思って後日「洋品のせきや」を訪れた。
残念ながら関屋常夫さんは数年前に亡くなられていた。
夫人の関屋喜美さんがおられて話をうかがうことができた。
喜美さんは山梨県のいちばん東京よりの上野原から小仏峠を越えて嫁に来られた。繁華な街道沿いに住んで、はじめいちばん苦労したのは甲州街道を走る車の騒音だったという。ユーミンが歌った中央フリーウェイがまだなかったころ、東京−山梨間を走る車は大型車を含めてみんなここを通ったはず。深夜まで走って早朝から動き出す。今も国道20号は交通量が多いが、かつてよりはよほどいいといわれる。
店の前にアーケードがあったが、今は撤去されたという。
以前は近くの店にちょっとした買い物に行くのに、雨の日でも傘を持たずにすんだ。店が通りの北側にあるので、アーケードが日よけにもなっていたので、撤去されて不便になった。
(2014年2月の大雪でアーケードの一部が壊れたため、秋に撤去されたようだ)
そういえば須田剋太の『K女史』の絵にアーケードが描かれていた。)

■ 村内美術館
東東京都八王子市左入町787 村内ファニチャーアクセス八王子本店内
tel. 042-691-6301

八王子に来たので、しばらくぶりに村内美術館に行った。
20年ほど前にすぐ近くにある冨士美術館とあわせて、何度か立て続けに来たことがあるが、その後すっかり遠ざかっていた。
かつてはバルビゾン派と印象派の名画がそろっていた。
2013年にリニューアルしてからは、名作家具と現代アートに重点をおいていて、それはそれで今もいい。
レストランもあって、窓辺の明るい席でランチにした。
村内美術館は暮れの12月28日にも開館していて入れたが、冨士美術館のほうは年末休館になっていて、久しぶりのチャンスだったが行きそこねた。

* 須田剋太が国分寺を描いているが、それはちょっと離れているし、あわせて国府にも行きたいので、別の日に出直すことにした。
以下、第3日としているが、年が明けて別の日のこと。


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第3日 武蔵国分寺跡 大国魂神社 武蔵国府跡 府中市郷土の森博物館

どうやら甲州街道沿いが武蔵の農耕地域の中心であったことはほぼまちがいあるまい。律令制による武蔵国の国府も、江戸村にはなく、ずっと西のいまの府中市にあり、国分寺もそのあたりにあった。

『街道をゆく』では、武蔵国の国府と国分寺については、はじめのほうにそうさらっと書かれているだけ。
あとは小仏峠や八王子に行き、徳川慶喜のことが中心になり、国府も国分寺もふれられない。
須田剋太は『史蹟武蔵国分寺趾』の絵を描いている。
地図で国分寺をさがすと中央線と武蔵野線が交わる西国分寺駅に近い。
暮れに車で八王子に行ったが、年が明けてから電車で出直した。

* 西国分寺駅で降りて改札口を出る。
僕は以前、立川に住んで北浦和に通勤していたことがある。
西国分寺駅で中央線から武蔵野線に乗りかえるのだが、改札口から外に出てどこか寄り道したとかいう記憶がない。
今日出てみると、高層住宅棟がいくつも並んでいて驚いた。
中央線で駅のすぐ近くにこんなふうに高層住宅が並んでいるところは他にないと思う。
府中街道を南に歩くと、高層住宅区域が終わって、普通サイズの住宅街になる。
やや行って左に(東に)折れる。


■ 武蔵国分寺跡
東京都国分寺市西元町2-1,2

広い空き地が広がっている。
周囲は密な住宅街だが、ここだけはあっけらかんとして、一部では今も発掘作業をしている。

須田剋太『史蹟武蔵国分寺址』
須田剋太『史蹟武蔵国分寺址』

武蔵国分寺跡 武蔵国分寺跡
写真A 写真B

上の須田剋太の絵で、「史蹟武蔵国分寺址」の碑のすぐ左に(向こうに)描かれている小さな石には「金堂址」とという文字がある。
写真Bで、「史蹟武蔵国分寺趾」は大きな木の根元にあり、画面の左はし近く(上下には中央あたりに)小さな粒のように見えるのが「金堂址」と刻んだ石。
その木は写真Aの、道の右にある木。(碑は木の向こうに隠れている)
40数年で木がこれほど育ったか、須田剋太が木を画面にいれないふうに描いたか。

ここからほんの1キロほど南に府中刑務所があり、その塀の外で1968年に3億円盗難事件があった。
刑務所とは府中街道をはさんで向かい側に東芝府中がある。
その社員に渡されるはずの冬のボーナス3億円ほどをのせた車が奪われたのだが、後日その車はこの国分寺史蹟付近で発見された。
犯人はこのあたりで現金輸送車から別の車に現金を移しかえ、乗りかえて、逃走したのだった。
今だと丸見えになってしまうが、当時の現場写真を見ると木や草が繁っていて、人目につかないように車を捨てるにはいい場所だったようだ。
須田剋太の絵ではもうすっきりした風景になっているから、3億円事件のあと整備されたのかもしれないし、かんぐれば事件が契機となって整備が進んだということもありそうだが、見当ちがいな考えすぎかもしれない。

● おたカフェ
東京都国分寺市西元町1-13-6 tel.042-312-2878

おたカフェ
公園の北のはずれに「史蹟の駅 おたカフェ」があった。
案内資料などが置かれている。
コーヒーを注文してひと休み。

カフェの脇、細い水の流れに反って遊歩道がある。
東西にのびる国分寺崖線に沿ってずっと東まで続いているようだ。
歩いて行けば、建築家・藤森照信氏の自邸「たんぽぽハウス」や「はけの森美術館」があるが、今日はそこまでは行かずに南に向かう。

* 府中街道に戻って、府中駅行きのバスに乗る。
まもなく左にデニーズがあった。
まだ結婚前、僕は立川に住み、妻(になる人)は府中に住んでいた。
僕がいたのは南武線の西国立駅のすぐそばだったから、妻(になる人)との往き来には、電車なら南武線だったが、車だと府中街道を通って、そんなとき何度かデニーズに入った覚えがあって、懐かしい。
さらに南に行くと、道の左に府中刑務所の塀があり、右に3億円のボーナスを受け取るはずだった東芝府中工場がある。


* 府中駅でバスを降りる。

大きなケヤキ並木を歩く。
旧甲州街道を越えた先に鳥居があり、けやき並木の道はまっすぐ参道につながって大国魂神社に突き当たる。
府中市 ケヤキ並木


須田剋太がケヤキの並木を描いている。
大木が並んで、府中のこの道を思わせる。
八王子では大きなイチョウの並木があったが、ケヤキの並木は見かけなかった。
『街道をゆく』の文章にはケヤキ並木のことはないし、武蔵野のどことは特定できない。


須田剋太『関東武蔵野の街道に見受けるケヤキの並木』
須田剋太『関東武蔵野の街道に見受けるケヤキの並木』

■ 大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)
東京都府中市宮町3-1

ケヤキ並木はほぼ正確に南北方向にある。
ケヤキの下を歩いて行って、旧甲州街道を横切ると大国魂神社の境内に入り、長い参道の南端に神社の本殿がある。
もと武蔵国の国府があったところ。
古代には国司はそれぞれのクニにある神社を一宮から順に巡拝していたが、国府近くにクニ内の神を合祀した総社を設けて、まとめて祭祀を行うようになった。大国魂神社はそうした武蔵国の総社で、一之宮(一宮)から六之宮までを祀る。かつては「武蔵総社六所宮(ろくしょぐう)」といったが、明治になって1872年に大国魂神社に改称した。
大国魂神社の歴史はおよそそんなふうだが、国府が神社に置き換わっていった過程がわからない。
「まつりごと」というくらいに、古代には祭政がわかちがたくあったにしても、もとは国府=役所としての建物もあったはずで、それが神社の社殿にどんな経過で変わっていったろうか。

大国魂神社 大きな随神門(ずいじんもん)は2011年に改築したばかり。その向こうに中雀門(ちゅうじゃくもん)があり、その先に拝殿がある。

■ 武蔵国衙(こくが)跡
東京都府中市宮町2-5-2

大国魂神社の参道の途中に相撲の土俵があり、そのあたりで東へ境内の外に出る。

住宅街になるのだが、宮町5丁目2番の街区の角に赤い柱が並んでいる異様な一画がある。
府中の国府があったことを示す遺跡で、赤い柱は役所の建物の柱があった位置に立てられている。(役所の所在地を国府といい、その中枢の役所群が置かれていたところを国衙という。)
この一画と大国魂神社境内とが、国の史跡に指定されている。
武蔵国衙(こくが)跡

国衙跡としてこのように整備されたのは、まだ最近のことで、以前は山崎医院があった。
妻の実家はここから数軒先にあり、妻は子どものころ風邪をひいたりすると山崎先生に診てもらっていた。
先生が高齢になって医者をやめ、土地は市有地になり、発掘作業がおこなわれ、史蹟として整備された。
妻の実家も発掘調査をすれば何かでてくるかもしれない。

* その妻の実家に寄ったあと、府中市役所前から「ちゅうバス」(府中市コミュニティバス)に乗った。
中央自動車道と多摩川の土手の間に、府中市郷土の森公園がある。
スポーツ施設のほかに博物館があり、博物館の庭には江戸から明治初期に市内にあった建物が復原されている。


■ 府中市郷土の森博物館
東京都府中市南町6-32 tel. 042-368-7921

博物館の中に入ると、古代の府中の大きな復原模型があった。
今の大国魂神社の位置には国府がある。

武蔵国府付近の街並みの模型 武蔵国府付近の模型。
中央下にケヤキ並木。
森の中央を参道が貫き、奥に本殿がある。
神域の左、上方が神官、下方が祢宜(ねぎ)の区域。
その境界あたりに国衙跡がある。

祢宜(ねぎ)は神官(宮司)より下位の職で、神官を補佐する。
どういう経過をたどってか、やがて神社の外側では、神官の地も祢宜の地も、個人が所有するようになった。
妻の祖父は種子島の出身で、若い頃東京にでてきて警官になり、祢宜がいたあたりの土地の一画を手に入れて住むようになった。
前に『街道をゆく』の「種子島みち」をたどっているうち、妻の祖父が生まれ育った土地に行き着いたことがある。(→[種子島へ−丸木舟と宇宙船−])
祖父がその後住んだ土地は「甲州街道」に関わるところだった。
『街道をゆく』をたどっていると、思いがけない副産物に行き当たることがあるが、種子島−甲州と、妻の家族の歴史をしのぶようなことにもなった。

博物館にはプラネタリウムもあり、久しぶりにドームを仰いで遙かな気持ちにひたって見た。

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参考:

  • 『街道をゆく 1』「甲州街道」  司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1971
  • 『晩年の徳川慶喜―将軍 東京へ帰る』 比屋根かをる 新人物往来社 1997
    『謎とき徳川慶喜 なぜ大坂城を脱出したのか』 河合重子 草思社 2007
    『微笑む慶喜―写真で読みとく晩年の慶喜』 戸張裕子/著 河合重子/監修 草思社 2013
  • 『新シリーズ 司馬遼太郎 街道をゆく 5』 (DVD) NHKエンタープライズ 2009
  • 『市民の写真集 八王子の今昔−昭和の八王子を振り返る−』 市民の写真集八王子の今昔刊行会編 揺籃社 2008
    『続・八王子の今昔−いま見つめたい昭和の八王子−』 続・八王子の今昔刊行会編 揺籃社 2012
    『八王子遊郭の変遷』 わだち編 かたくら書店新書32 1989
  • 『三億円事件〜20世紀最後の謎』 一橋文哉 新潮社 1999
  • 1泊2日+1日の行程 (2015.12/27-28  2016.1/31ほか) (→電車 −車 =バス …徒歩)
    第1日 自宅−小仏峠−小仏関跡−JR高尾駅・Ichigendo…京王線高尾駅→高尾山口駅→高尾駅−大垂水峠−相模湖−八王子スカイホテル…サクラヤ コーヒー…荒井呉服店(河合履物店)…八王子千人同心屋敷跡記念碑…まんでん…竹の家…八王子スカイホテル(泊)
    第2日 デニーズ…八王子市田町旅館遊郭跡…八王子スカイホテル−八王子市役所−村内美術館−道の駅八王子−梅洞寺−自宅
    第3日 西国分寺駅…武蔵国分寺跡=府中駅…武蔵国府跡…大国魂神社…府中市役所前=府中市郷土の森博物館=府中本町駅