港町・釜山と古都・慶州-「韓のくに紀行」


『街道をゆく 2』「韓のくに紀行」をたどりに韓国へ行った。
司馬遼太郎と須田剋太の韓国紀行は、釜山から慶州、大邱、扶余と周遊して、連載では30回にもわたるのだが、僕のこの旅は釜山と慶州を短くめぐった。

第1日 釜山-南浦洞周辺 [龍頭山公園 国際市場 チャガルチ市場 海雲台 釜山(泊)]  
第2日 慶州 [石窟庵 仏国寺 大陵苑・天馬塚 瞻星台 雁鴨池 釜山(泊)] 
第3日 釜山-釜山駅周辺 [甘川文化マウル 草梁イバグギル] 

* 「韓のくに紀行」には日本国内の関連地もあって、そこは前に訪れたことがある。(→[韓国行きの国内予習の旅-大阪・猪飼野と近江・鬼室神社」])
* 「壱岐・対馬の道」をめぐったとき、対馬の北端にある韓国展望所の双眼鏡から、釜山の建築物からと思える反射光が見えた。(→[壱岐の博物館と対馬のレストラン])

第1日 釜山-南浦洞周辺 [龍頭山公園 国際市場 チャガルチ市場 海雲台 釜山(泊)]

■ 金海(キメ)国際空港 (김해국제공항)

釜山市は朝鮮半島の南端にあり、そのあたりの陸地の輪郭線は複雑で、小さな島がいくつもある。
大観航空機の右の窓側席から、そんな眺めが見おろせた。
空港は釜山市街の東、洛東江と西洛東江にはさまれた大きな中州にある。
空港に近づくと、2つの川と中州が見えてきて、北から南に流れてきた河口の先には、その水流を妨げるかのように、中州とは別のいくつかの砂州が東西方向にある。
飛行機はまわりこんで着陸体勢に入る。
中州の外側は低い丘陵地帯で、川との間がかろうじて狭い平地になっている。 
平地から丘陵にかけての境あたりに高層のマンション群が立ち並んでいる。白い立方体が接近して垂直に並んでいるので、巨人の歯列のよう-なんていう比喩が思い浮かんだ。

空港で入国管理を過ぎると女性のガイドさんに迎えられた。
僕も妻も30代くらいと思ったのだが、あとでまもなく50歳だときいて驚かされた。
今日と明日は、このガイドさんと運転手さんと僕ら夫婦の4人で移動することになる。

* 洛東江を東に越えて、釜山市街に入る。

■ 龍頭山(ヨンドゥサン)公園 (용두산공원)

釜山市の中央部の小高い丘が公園になっている。
南の正面から上がっていくと李舜臣像がある。
李舜臣は、16世紀、豊臣秀吉が2度にわたって朝鮮半島を攻撃したとき反撃に活躍し、救国の英雄として慕われている。


須田剋太『釜山市忠武公李舜臣像』
須田剋太『釜山市忠武公李舜臣像』
釜山タワーと李舜臣像

李舜臣像のうしろには釜山タワー。118m。
完成したのは1974年のことで、司馬遼太郎一行が訪れた少しあとのことだった。
展望台に上がると、もともと高いところにあることも加わって、釜山市街の大展望がひらける。
ここには日本の江戸時代、今でいえば大使館にあたるような倭館があった。
江戸幕府は鎖国していたが、ここから海外の情報をえていた。
そのころ丘の南と東は海に囲まれ、船着き場があったくらいだが、その後埋め立てで陸地が広げられた。
前に対馬を旅したとき、北端の韓国展望所から、微かにグレーをおびた朝鮮半島を望めた。展望所に備え付けの双眼鏡をのぞくと、水平線からわずかに離れた上に、キラキラ輝く光の点が見えた。
それはこの釜山タワーだったか、別の高層住宅だったか。
はるか遠く向こうに見えたところに、今こうして来ている-という感覚は、旅のおおきな楽しみだ。(→[壱岐の博物館と対馬のレストラン])

須田剋太がもう1枚この公園で描いた絵『釜山港竜頭山公園』には教会がある。
タワーから周囲を見回しながら、教会は見あたらないと話していたのだが、ふとすぐ下に三角屋根と十字架が見えた。
どうもそこらしい。
もう何度もここに来ているガイドさんが、「今までそういうものがあることに気がついてなかった」とのこと。
上からでは見えにくいし、木々に囲まれてもいる。

須田剋太『釜山港竜頭山公園』
須田剋太『釜山港竜頭山公園』

右上の写真、中心点のわずかに左下にある水色の屋根のすぐ上に教会の塔。
右下の写真が、そのあたりを拡大したもの。

釜山タワーから龍頭山公園

龍頭山公園わきの教会

龍頭山公園わきの教会
タワーから下ってから、教会の近くまで行ってみた。
すぐそばにベンチが置かれているし、絵の場所はここのようだ。
木が大きく育って、教会をなかば隠してしまっている。

『釜山市忠武公李舜臣像』の絵では、そこにいる人がみな特有の民族服を着ている。
ガイドさんによると、司馬一行が来た1970年代でも、民族服を着た人がふつうに歩いていることはなかったと思うとのこと。
須田剋太がこの服の様子が気に入って実景にかかわらず好みで描いたとも思えるが、司馬遼太郎の文にも、服が着られていることを思わせる記述がある。
明治維新で日本は開国し、その報告に洋服を着た使者が倭館を訪れた。
韓国ではそういう変化が気にいらなかった。
「・・・その形を変じ、俗を易(か)えたり」
 と、文章はいう。日本人が洋服でやってきたということを指す。つまり日本人は形を変じ、俗を易えた。俗とは風俗、または民族衣装。
「これすなわち、日本人と謂(い)うべからず」
 というから、ぼろくそである。だから相手にするな、日本人との商売を禁ず、とこの告示ははげしく命じている。(中略)
朝鮮というこの民族はかつては中国体制をとり、いまは近代技術を導入しつつも、服装だけは頑固に変えず、いまなお、この釜山市で一目瞭然であるように、老若男女の多くが、その「俗」を守りつづけているのである。偉(い)とすべきであろう。(『街道をゆく 2』「韓のくに紀行」 司馬遼太郎)
若い男女も含めて多くの人が伝統的な服を着ていたように読める。
図書館とか博物館に行って当時の街の様子を写した写真でもあればわかりそうだが、短い日程でそこまで探している時間はない。
『釜山港竜頭山公園』のほうに描かれた人は民族服ではないようだ。後ろ姿だからはっきりしないにしても、『釜山市忠武公李舜臣像』の絵にあるような帽子がないから、たぶんふつうの現代の服だろう。


釜山タワーから見おろした釜山港。
写真の中央に旧国際旅客ターミナル。
2015年にいくらか北(写真では左)に新しいターミナルが完成し移転している。
釜山タワーから釜山港

司馬遼太郎にとって釜山港は、戦争中、戦車連隊に属し、そこから佐渡へわたった印象深いところだった。
僕には釜山港といえばチョー・ヨンピルが歌った『釜山港へ帰れ』が思い浮かぶ。
韓国で1976年にヒットし、日本では1982年に日本語版が発売された。
「釜山港へ帰れ」という部分が韓国語で歌われ、思えば僕がなにげなくだが最初に覚えた韓国語ということになる。
1984年1月22日、NHKホールでのチョー・ヨンピルのコンサートに行きもした。
それから30年以上たって実際の釜山港を目にすることになった。

もうひとつ僕の関心とクロスするのは、ドイツの建築家ブルーノ・タウトのこと。
ナチスの台頭から逃れて1933年から1936年まで日本に滞在し、トルコに招かれて去った。
タウトの日本滞在中の日記は、1936年10月15日に下関港から関釜連絡船で発つところで終わっている。
 朝、下村邸に別れを告げる。京都駅で見送ってくれたのは、ブブノワ、上野の両夫人のほかには、下村氏と運転手の島田さんだけだった。(中略)
 列車は瀬戸内海に沿って走り、夜、下関に着いた。私達はすぐ関釜連絡船に乗込んだ。
 夜闇をついて、汽船は朝鮮に向ってはしる。さようなら日本よ!
 これをもって私の日本日記を終る。
(『日本-タウトの日記-一九三五~六年』  ブルーノ・タウト。一部字体をかえている。)
そして北京、モスクワを経由して1か月ほどかかってトルコのイスタンブールに着いた。
僕はブルーノ・タウトの足跡に興味があったが、『街道をゆく』をたどっているとブルーノ・タウトと司馬遼太郎・須田剋太の行跡がかさなるところがいくつもあり、「長州路」をたどったときには下関港に寄った。
これで連絡船の起点と終点を訪ねたことになった。(→[ いつか行きたかった萩・津和野へ-「長州路」2])

* 釜山で泊まるホテルは公園から下った位置にあり、車に乗っていったんホテルにチェックインして、近くの見どころに歩いていく。

■ 国際市場 (국제시장)

小さい商店が密集している。
1本の通りに沿ってだけ店が並んでいる線状の商店街ではなく、道が縦横に交差して面状に広がっているので、道に迷うこともあるという。
ちょっと広い通りには中央に屋台がでていて、トッポッギや、海苔巻きや、長い串にさしたおでんや、ソフトクリームや、栗など、立ち食い向きの食べ物が並んでいる。

* 九徳路(下を地下鉄が走っている)を南に横切っていくと、海鮮類が並ぶ市場がある。

■ チャガルチ市場 (자갈치시장)

4階だか5階だかのビルのなかにたくさんの店がある。
ここで好きな魚を買って、2階の食堂で調理してもらって食べることができる。
僕らは魚は買わずに、ふつうの店に夕食に入った。
ナッチボックム(タコの辛味噌炒め)がメインで、あとキムチや海苔などの定番小皿がついている。
飲み物はcassビールのほかにマッコリというものを初めてためしてみた。
洗面器ほどのカメにたっぷりの量で驚いた。
どちらも軽めで飲み尽くした。
すぐ前が海で、板が敷かれた遊歩道になっている。
午後3時に空港に着いて、移動して景色を眺めて夕飯がすんだ。それでも僕が住む日本の関東地方からずっと西に来ているから、日没が遅くてまだ明るい。

* 車に乗って、やや離れた海雲台(ヘウンデ해운대)に行った。
近くに古くからの海水浴場もあるリゾート地で、このあたりは新しいウォーターフロントになっている。対岸にカラフルな照明で着飾った高層マンションがそびえ、こちら側にはおしゃれな複合ビルがある。


* 2泊するホテルに戻る。

● アベンツリー釜山 (Hotel Aventree Busan 호텔 아벤트리 부산)

ホテルは龍頭山公園の南の光復路という繁華な通りにある。
ファッショナブルな店が入った複合ビルの6-8階がホテルになっている。
国際市場やチャガルチ駅、南浦駅などに近く、便利だった。
部屋は広いし、ロビーにコーヒーの無料サービスがあるのも役だった。

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第2日 慶州 [石窟庵 仏国寺 大陵苑・天馬塚 瞻星台 雁鴨池 釜山(泊)]

* 高速道路で北に1時間ほど走って慶州にはいり、吐含山(トハムサン토함산)の山道をあがる。

■ 石窟庵 (ソックラム 석굴암)

1909年、郵便配達員が配達のため吐含山の峠を越えようとして雨に降られ、逃げこんだ洞窟の中に仏像があるのを発見した。
8世紀、新羅の時代の宰相が父母のために石仏をおさめる堂を建てたという記録があり、郵便配達員が発見したのはこれと推定されている。
その後修復され、数キロ下ったところにある仏国寺とあわせて世界遺産になっている。
(その指定は1995年のことで、司馬一行が訪れたときはまだ世界遺産ではなかった。)

花崗岩のブロックで築いたドームに石仏をおさめ、上から土をかぶせた人工石窟で、今はその手前に木造の参拝施設を作ってある。
新旧の間にはガラス壁があって、なかの石仏を保護している。
中央の大きな仏も、背後の仏たちも、独特の表情をしている。
ガイドさんが「ここで願をかけるといい、私はこれまでお願いしたことが叶ってきた、兵役に行った息子の任地はうちの近くになったし、不動産のことでトラブルがあったのも無事に解決したし」という。
具体的な願がいいというので、僕らもそのようにした。

須田剋太『慶州吐含山石窟』
須田剋太『慶州吐含山石窟』


慶州石窟庵 ソックラム

須田剋太の絵は、やや離れたところから正面を見上げて描いている。
木造の堂の向こうに、ドームの頂上部が見えている。ドームは土で覆われ、草が生えているので、円形の古墳のよう。
絵では正面を歩く人の姿がある。
今は左から迂回して近づくように道が整備されている。


釈迦の生誕日が近いので、カラフルな提灯がたくさん飾られていた。
日本ではふつう4月8日とされ、花祭と呼ばれている。
韓国では中国の旧暦により5月4日で、その日にむけて4月半ばから提灯が準備されている。
慶州 釈迦の生誕日の提灯

* 山道を車で少し下ると寺がある。

■ 仏国寺 (プルグクサ불국사)

仏国寺も8世紀、新羅の時代の宰相が父母のために建立したと記録がある。
これも石窟庵と同様に、李氏朝鮮による仏教弾圧で長く荒廃していた時期があるが、20世紀に調査・修復され、世界遺産になっている。

須田剋太『慶州仏国寺石塔』 慶州仏国寺
須田剋太『慶州仏国寺石塔』

2段構えの階段を上がった先にあるのは紫霞門。
石窟庵と同様に、須田剋太の絵では正面階段を上がり降りする人の姿が描かれているが、今は保存のために通行禁止になっていて、右から迂回して上がっていく。

須田剋太の絵では、門の左右奥に塔が見えている。
左が多宝塔、法華経の教えを造形的に表現したもの。
右は釈迦塔という3層の石塔。


もう1枚の絵の場所がなかなかわからなかった。
境内にはいくつかの建物があり、回廊があるから、それらしいところがあっても、ここはそうだが、ここが違うというふうで、すっきりしなかった。
順路の終わり近く、極楽殿の前にきて、一緒に絵を見てもらっていたがガイドさんが「ここです!」という。
絵と見比べてみると、たしかにここだった。
左に極楽殿。
回廊の向こう、絵では中央にあるのが仏国寺の中心の大雄殿で、その右に多宝塔と釈迦塔も描きこまれている。
写真のほぼ中央で人だかりがしているのは、イノシシ像があって、さわるとご利益があるという。
須田剋太『慶州仏国寺』
須田剋太『慶州仏国寺』

慶州仏国寺、極楽殿

* 慶州市街に向かう。
途中で昼食をとる。


■ 大陵苑 (テヌンウォン 대릉원)

広い苑地に新羅時代5-6世紀の古墳23基が散在している。
慶州大陵苑
そのうちの1つ、天馬塚は内部が公開され、トンネルのような入口から入って見学できる。
白樺の皮で作られた馬具に、翼の生えた白馬が描かれていたことから天馬塚といわれている。

* このあたりは慶州市街の文化財密集地区で、次の雁鴨池に向かう途中に小さな石塔がある。

■ 瞻星台 (せんせいだい チョムソンデ 첨성대)

石塔は高さ9m、7世紀新羅27代善徳女王のころにつくられた天文観測施設と推定されている。
漢字では「瞻星台」。「瞻」というのは見なれない文字だが、「みる みあげる あおぎみる」といった意味。
韓国語では「첨성대チョムソンデ」となっている。
僕がもっている小型の韓日辞書ではそのままの言葉が項目にないが、「첨성술チョムソンスル占星術」というのがある。観測施設なのに「占」になるのはおかしい気がするが、かつては観測と占いとはわけがたいものだったかもしれない。
(須田剋太が描いた『街道をゆく』の挿絵はすべて大阪府に寄贈された。この絵に須田剋太は「慶州瞻星台」と文字をかきこんでいるが、大阪府で管理のためにタイトルを付したとき、その文字が難しいと判断して「慶州観星台」としたようだ。)

須田剋太『慶州観星台』
須田剋太『慶州観星台』

慶州瞻星台

■ 雁鴨池 (アナプチ 안압지)

647年につくられた庭園で、園内に宮殿もあったが、新羅が滅んで破壊された。
今は公園に整備され、一部の宮殿が復元されている。
広い庭園をめぐっているとき、数メートル先の草むらにカササギがいた。
ガイドさんがここには多いと予告していたとおりに見られた。
カラスに似ているが、腹が白い。
雁鴨池

天の川で隔てられている牽牛と織女の2つの星を、七夕の夜、カササギが橋になって行き会わせる。
瞻星台という古い天文観測施設があるほどに韓国の人は星に親しみがあるのか、そんなロマンがあるカササギが人気があって国鳥だという。

* また高速道路を走って釜山に戻る。
ロッテ百貨店釜山本店に寄って、妻が気にかけていた化粧品を買う。


● 海金剛(ヘグムガン해금강

夕飯は釜山駅近くの店に入る。
カルビをハサミで切って焼く。
パジョン(チヂミ)もおいしい。
ビールcassと焼酎テソン。
韓国の映画やドラマを見ていると、小さいグラスで焼酎をカッと一気にのみほす場面をよく見る。韓国の人は酒に強いのだなあと思って見ていたが、韓国の焼酎はアルコール度数16度くらいで、ほぼ日本酒くらい。ウイスキーやウォッカをあおるほどの強烈さではなく、僕でも意外に飲みやすかった。

* ホテルに戻って、日暮れが遅く、まだ明るい。
散歩に出て、100円均一のダイソーをのぞいたり、セブンイレブンでみやげの菓子を買ったり、パン屋で明日の朝食のパンを買う。


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第3日 釜山-釜山駅周辺 [甘川文化マウル 草梁イバグギル]

* ホテルをチェックアウトして荷物をあずけ、近くからタクシーに乗って西へ向かう。

■ 甘川 (カムチョン) 文化マウル (감천문화마을)

甘川文化マウルは、釜山中心部の西にある丘の斜面にできあがった住宅地。
釜山は平坦地が少ないので、海を埋め立てて陸地を広げる一方、丘の高いところにも住宅が作られていった。
小さな家が密集していて、1988年のソウルオリンピックを前にしてどうかすべきという議論があったときに、解体再開発ではなく、アート的に転換がはかられた。
あちこちにアート作品が置かれるだけでなく、家そのものもカラフルに彩色する。
この転換は成功して、今では釜山の主要な観光地になっている。
住所は「甘川」なのだが、そこに「文化」が加わって呼称されているのは、アートを意味しているのだろう。
マウルは「町」のこと。
釜山市内の主要地を結んで幹線を大型バスが走っているが、こうした狭い区域内を循環して小型のマウルバスというものが走っている。

マウルのなかの坂を上がってみる。
観光客は多いらしく、通りに面したところには土産物屋やカフェがずいぶん多い。
いちばん高くにある道から見おろすと、家々の屋根が、先へしだいに低くなりながら連なり、その先に海がある。
屋上にはキムチを漬けるらしきカメや、花を咲かせた植木鉢が並んでいる。

須田剋太『釜山市街』
須田剋太『釜山市街』


甘川文化マウル

須田剋太の絵がここかどうかはわからない。釜山では斜面を家が建ちあがっている風景がほかにもある。

* またタクシーに乗って今度は東へ走り、釜山駅に。
在来線、地下鉄、ソウルと結ぶ新幹線などが発着する大きな駅。
正面はゆるやかな曲面を描いて特徴ある様子をしている。
駅前は囲われて大規模な工事中だった。


■ 草梁 (チョリャン) イバグギル (초량이바구길)


朝鮮戦争で北方の戦乱地域から逃れてきた人たちが丘の高いところに向けて住宅を建てていった。
「イバグ」は方言で物語のこと。「ギル」は道。
古い家が残るあいだを上がる坂道に沿って、このあたりの歴史を示す展示がされている。
釜山は韓国第2の大都市だが、駅からすぐにこういう街並みが残っているのが魅力的。

坂を上がっていくと長い長い階段が現れ、階段の段数から「168階段」という固有名詞になっている。
ふうふういって上がりきると、釜山港を見おろす大展望が広がっている。
階段の隣りに定員6人だったかの小さなケーブルカーがあって、下りはそれに乗っておりた。
草梁 (チョリャン) イバグギル

● Brown Hands 百済(브라운핸즈백제)(BROWNHANDS DESIGN CAFE 釜山店)

歴史的建造物が現代的センスのカフェになっているので入ってコーヒー・ブレイク。

もとは1922年に建築された釜山最初の近代的な病院「百済(ペッチェ)病院」。
1932年に閉院となり、そのあと中華料理店、日本軍の将校宿舎、臨時中華民国領事館、結婚式場として使われてきた。
2016年にデザイン会社BROWNHANDSが1階にカフェをオープン。
さすがにインテリアがすてきで、レンガの古い風合い、外の光と中の照明のとけ具合などいい感じで、ゆったりと時の流れにひたる。
Brown Hands 百済

* 釜山駅から地下鉄に乗り、2駅目の南浦駅で降りる。
ロッテ百貨店光復店で買い物と昼食をし、ホテルに寄って荷物を受け取り、金海国際空港に戻った。


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参考:

  • 『街道をゆく 2』「韓のくに紀行」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1972
  • 『近代植民地都市 釜山』 阪本悠一・木村健二 桜井書店 2007 (釜山港の歴史が詳しい)
  • 『歴史探訪 韓国の文化遺産 下』 「歴史探訪韓国の文化遺産」編集委員会/編 山川出版社 2016 (仏国寺の伽藍配置図が掲載されている)
  • 『新・韓国風土記 第1巻 ソウル・釜山・済州島』 ソウル市〈根の深い木〉社/編著 読売新聞社 1989 (草梁の20世紀初頭の写真が掲載されている)
  • 『日本-タウトの日記-一九三五~六年』  ブルーノ・タウト 篠田英雄訳 岩波書店 1975
  • 2泊3日の行程 (2019.4/17-19) (>飛行機 -自動車 …徒歩 ➩タクシー ⇒リフト ⇒地下鉄)
    第1日 成田空港>金海国際空港김해국제공항-龍頭山公園용두산공원…国際市場국제시장…チャガルチ市場자갈치시장-海雲台해운대・The Bay 101-アベンツリー釜山(泊)
    第2日 -石窟庵석굴암-仏国寺불국사-大陵苑대릉원・天馬塚천마총-瞻星台첨성대-雁鴨池안압지-アベンツリー釜山(泊)
    第3日 ➩甘川文化マウル감천문화마을➩釜山駅부산역…草梁イバグギル초량이바구길・168階段168계단⇒…Brown Hands 百済브라운핸즈백제…釜山駅부산역⇒南浦駅남포역…ロッテ百貨店光復店-金海国際空港김해국제공항>成田空港)