TOPICS
□ 神戸のギャラリー島田で「須田剋太展 友とゆきし街道 須田剋太と長谷忠彦」 (2019.5.20)
神戸で須田剋太の作品展があった。 カメラマン、長谷忠彦氏が所蔵されていた作品。 長谷氏は『街道をゆく』の旅で、島原、越前、天草などのほか、国外では中国にも同行された。 長谷氏が亡くなられたあと、遺族が遺品を整理するなかに須田作品があり、多くの方に見ていただきたいということで今回の展示になった。 会場:ギャラリー島田 http://gallery-shimada.com/ 神戸市中央区山本通2-4-24 tel.078-262-8058 会期:2019.5/11-22 |
35点の展示。
『街道をゆく』ゆかりのグアッシュが多く、中国、天草などがあり、ほかに絵画では、干支、裸婦、夙川の桜、など。
珍しいものでは、書『切断』。
長谷氏にあてて作品を包んで送った紙の裏面に書いてあり、表面の住所が透けて見えていた。
あとパレットを額装したもの。
画廊は北野の異人館街の近く、ハンター坂にある。
かつてこのあたりには「神戸散歩」をたどって来たことがある。
(→[みなとまちを歩く-「神戸散歩」1] )
ちょうど思いがけず神戸まつりの日で、このあと元町に下って、はなやかなパレードを見て楽しんだ。
□ 「須田剋太挿絵原画展 英国の街とアイルランドの空」 (2018.11.20) 会場:東大阪市民美術センター 会期:2018.11/20(火)-2019.1/7(月) 『街道をゆく30.31愛蘭土紀行』から約40点の原画が展示されている。 (画像をクリックすると拡大します) |
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□ 埼玉県立近代美術館MOMASコレクション (2018.11.7) 埼玉県立近代美術館に「阿部展也-あくなき越境者」展を見に行った。 常設展示室ではコレクションからテーマを設定した展示があり、「激動/変貌-1940-50年代の絵画」として須田剋太の作品があった。 ・ 2018.10/20(土)-2019.1/6(日) |
須田剋太『不協雑音』1953 |
埼玉県立近代美術館では、他館に貸出中の作品については写真と貸出先、展覧名を廊下の壁面に紹介している。
大久保喜一の『熊中正門』を貸し出してあったが、その行った先が熊谷での大久保展で、数日後、こちらも見に行った。
大久保喜一は旧制熊谷中学で須田剋太に美術を教えた人。
僕はそれからずっとあとの新制熊谷高校に通ったが、その頃に図書館に大久保の『実験室』が架かっていたのも展示されていて、懐かしかった。
・2018.10/27(土)~12/2(日)
□ 『須田剋太「街道をゆく」原画展』 (2018.9.20)
大阪府が所蔵する『街道をゆく』の挿絵の原画展。
会期:2018.10/20(土)-27(土)
会場:鴻巣市吹上生涯学習センター
(画像をクリックすると拡大します) |
□ 巨匠たちのクレパス画展 (2018.9.9) クレパスは1925年に日本で開発された画材で、クレヨンとパステルのよさをあわせもっている。 そうそうたる画家たちがクレパスをつかって描いた作品の展覧会で、須田剋太も2点展示されていた。 クレパスの開発と普及に大きく関わった山本鼎は、須田剋太が憧れた村山槐多の叔父にあたる人-という関わりもある。 会場:東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館(東京都新宿区) 会期:20187/14(土)-9/9(日) |
須田剋太『アブストラクト』1953 |
□ 近藤金吾著『壺屋のひとりごと』を国立国会図書館に(2018.4.30) 京都の[古美術近藤]を主宰した故・近藤金吾氏は、須田剋太の大きな支援者でもあった。自身の古稀の祝いを大徳寺宝春院で催したのにあわせて自伝を刊行したが、関係者だけに贈られたその貴重な本を託してくださる方があり、国立国会図書館に納本した。 →続きを読む |
□ [坂の上の雲ミュージアム『街道をゆく』挿絵原画展 2017 ] (2017.12.12)
四国・松山市にある坂の上の雲ミュージアムで、『街道をゆく』挿絵原画展第5回(「愛蘭土紀行」)が開催され、今回も僕が撮った現地写真が須田剋太の挿絵と並んで展示された。 愛媛県美術館で『没後20年司馬遼太郎「21世紀"未来の街角"で」』が開催されているのにあわせて、秋10月の松山に行った。 →[ 坂の上の雲ミュージアム『街道をゆく』挿絵原画展 2016.2017] (画像をクリックすると拡大します) |
□ 壱岐市立一支国博物館の「司馬遼太郎と壱岐」展 (2017.11.1)
『街道をゆく』の旅で1977年に壱岐を訪れたとき、道をたずねたのがきっかけで司馬遼太郎は教育委員会の若い職員が歴史ある島の文化を熱心に吸収しているのに出会っている。その職員はのちの2010年に壱岐市立一支国博物館が開館したとき、初代館長に就任した。『街道をゆく』のいくつもの旅のなかでも、現地で会った人にかかわるこういう劇的な展開は珍しい。僕は昨年(2016年)壱岐を訪れたとき、その須藤資隆館長に島を一周して案内していただき、楽しい旅になった。
その一支国博物館で、司馬遼太郎が見た壱岐を紹介する展覧会があり、須田剋太が壱岐を描いた挿絵原画も展示される。
→[壱岐の博物館と対馬のレストラン] [日本最古の船着き場からその河口へ-「壱岐・対馬の道」2]
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□ 「須田剋太とふるさとの仲間たち」展 (2017.10.20)
須田剋太の郷里の鴻巣市では、毎年秋に展覧会を開催しています。
須田剋太に(旧制)熊谷中学で美術を教えた大久保喜一は、埼玉県内初の洋画家の団体「板東洋画会」の設立に関わります。その会はのちに「朱麦会」と名を変えて今も引き継がれています。こうした動きに関わった里見明星、矢部正らの作品を須田剋太の作品とあわせて展示しています。
会期:2017.10/21(土)-11/7(日)
会場:鴻巣市吹上生涯学習センター
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□ 鴻池新田会所の須田剋太展(2017.9.26)
□ 大久保喜一 須田剋太 師弟展 (2016.9.20)
須田剋太の郷里の鴻巣市では、毎年秋に展覧会を開催している。
今年は、須田剋太が(旧制)熊谷中学で美術を教わった大久保喜一との師弟展。
会期:2016.10/31(土)-11/7(日)
会場:鴻巣市吹上生涯学習センター
→[絵のさざ波-「大久保喜一・須田剋太師弟展」]
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□ 須田剋太「街道をゆく」挿絵原画展 第4回 芸備の道 (2016.9.20)
司馬遼太郎著『街道をゆく』の挿絵と、今の現地写真を対比して展示する展覧会が開催される。 会場:坂の上の雲ミュージアム 会期:2016.10/1(土)から10/31(月) http://www.sakanouenokumomuseum.jp/ 『街道をゆく』で四国をめぐったのは3街道あり、これまで3回の展覧会で四国島内を終えた。 今年4回目は、瀬戸内海を北に越えて広島県の「芸備の道」で、現地写真としては僕が撮ったものがつかわれることになった。 10/2(日)には松原正毅館長との対談も予定されている。(松原正毅館長は、遊牧を主テーマにした社会人類学の研究者で、司馬遼太郎と親交があり、『街道をゆく』の中国の旅に同行した。司馬遼太郎記念財団の常務理事もされている。) (画像をクリックすると拡大します) |
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□ 江之子島文化芸術創造センターで『街道をゆく』挿絵原画展 (2016.8.20)
『街道をゆく』の挿絵原画を所蔵する大阪府で、『街道をゆく』の海外での作品を公開する展覧会が開催される。
展覧会:須田剋太展-『街道をゆく』挿絵原画 海外の道をゆく-
会場:大阪府立江之子島文化芸術創造センター
(大阪市西区江之子島2-1-34 tel. 06-6441-8050)
会期: 2016.9/1(木)-9/18(日) 月曜休館 11-19時
(画像をクリックすると拡大します) |
□ 日本経済新聞『美の美 司馬遼太郎-異端へのまなざし』 (2016.6.5)
日本経済新聞の日曜日の版では、中央の見開きページが「美の美」と題して美術に関わる文章が掲載される。
6月第1週と第2週は、司馬遼太郎の美術観についてで、『街道をゆく』で深く長い関わりがあった須田剋太も当然取りあげられ、6/5の紙面の右半分は須田剋太になった。
文章を書かれたのは編集委員の中沢義則さんで、4月半ばに須田剋太の評伝の著者の加藤勉さんと僕とで、須田剋太について話した。
あわせて写真を掲載する作品についても相談を受けた。
『街道をゆく』から欠かせないのは、司馬遼太郎と須田剋太双方にとって強い思い入れがあるモンゴルの星空。
『街道をゆく』のなかで司馬遼太郎は須田剋太のことをいろいろ書いているが、『街道をゆく』のために描いた挿絵そのものについてふれた文章は意外になくて、僕が気がついた限りでは「デッサンの堅牢なスケッチ」というひとことがある。その言い方にふさわしい作品はもちろんいくつもあるが、僕が想定したのは「嵯峨散歩」から『水尾(A)』。
『街道をゆく』のほかには、埼玉県立近代美術館所蔵の赤い抽象画。
僕がすすめた3点を採用して紙面に掲載していただいたことがうれしかった。
左:『ゴビ砂漠の星空(B)』 右:『水尾(A)』 ほかに抽象画1点(『私の曼陀羅a』)が掲載された。 |
□ 『熊谷高校創立百二十周年誌』に寄稿しました。(2015.11.20) 「街道をゆく」で須田剋太が描いた地をたどっているうち、佐渡で僕の高校時代の恩師の詩に出会うということがあった。京都・嵐山では、夏目漱石とのつながりがボンヤリとながら見えてくるということがあった。 そんなことを母校の創立120周年誌に寄稿した。 ホームページにのせたいのでPDFファイルをいただけないか印刷会社にお願いしたところ、快諾され、送られてきた。 印刷は群馬県前橋市の朝日印刷工業株式会社。ノイエス朝日というギャラリーも運営していて、何度も伺ってギャラリーには前からなじみがある。 http://www.neues-asahi.jp/ |
→本文『大先輩の須田剋太をめぐって、国語の船戸安之先生や、「坊っちゃん」の夏目漱石のこと』(PDF 4.3MB)(「同窓会だより」と「佐渡郷土文化」に書いたものをもとに図版と文章を追加)
□ 日本経済新聞に "「街道をゆく」挿絵の謎追う" が掲載されました。(2015.11.19) 「街道をゆく」で須田剋太が描いた地をたどると、しばしば謎解きを迫られます。時間の経過で風景が変わっていたり、画家が、見たとおりとは違う描き方をしていたり。 そんな楽しみのことを記した文章が11/18の日本経済新聞に掲載されました。 (画像をクリックすると拡大します) |
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* この記事に関わるのは
[東日本大震災3年目の福島-「白河・会津のみち」(2014)]
[淡路島の港のいちじろう]
[大分のふしぎな宿、ふしぎな神社-「豊後・日田街道」と「中津・宇佐のみち」]
[春の奈良めぐり-「奈良散歩」ほか]
□ 須田剋太「街道をゆく」原画展終わる (2015.11.7)
この展覧会では、四半世紀ほど前に須田剋太が描いた地を、最近僕が訪ねて撮った写真をあわせて展示した。 去年、「会津・白河のみち」をたどって白河に行き、『街道をゆく』に登場する書店を訪ねた。親切な方で、絵の地点はここではないかという所を車でいくつか案内していただいた。この展覧会のことをお知らせすると、高速を2時間以上走って家族で見に来られた。 |
「白河でもこうした展覧会を開催したい」といわれる。
ひとつの展覧会がきっかけになって別の展覧会が立ち上がったり、気づかずにいたことを教えられたり、思いがけなかった動きがあって、先に楽しみが続いていく。
(→[東日本大震災3年目の福島-「白河・会津のみち」(2014)] )
□ 須田剋太「街道をゆく」原画展: 展覧会を紹介する記事が2015.11.4の埼玉新聞に掲載されました。 (画像をクリックすると拡大します) |
□ 須田剋太「街道をゆく」原画展:
会場:鴻巣市吹上生涯学習センター
会期:2015.10/31(土)-11/7(日)
主催:須田剋太展実行委員会 共催:鴻巣市・鴻巣市教育委員会
(画像をクリックすると拡大します) |
「33白河・会津のみち」と「34中津・宇佐のみち」の原画を展示する。
僕が最近その道をたどって撮った写真をあわせて展示する。
目の前にある景色から、須田剋太がどこをとって、どう画面に描いたか。
年月を経て景色がどう変わったか。
挿絵だけ見ていたのでは見えないものが見えてくるかも。
□ 「通崎睦美講演会&木琴演奏会-1935をめぐって」: 日時:2015.11/28(土) 14時開演 会場:埼玉県立近代美術館 2階講堂 主催:あなたと どこでも アート実行委員会 埼玉県立近代美術館 (画像をクリックすると拡大します) |
京都に住む通崎睦美さんはマリンバ・木琴奏者で、古い着物のコレクションでも知られる。埼玉出身の画家、須田剋太に、こどもの頃10年にわたって毎年描かれた肖像画コレクションがあり、埼玉の美術に縁が深くもある。
今回のタイトル「1935」は、平岡養一が使った木琴が1935年製であることなど、通崎さんにとって関わりが深いことからとられた。(この講演に直接関係しないことだけれど、僕はしばらく群馬の実業家・井上房一郎をたどっている。ナチスのドイツから逃れてきたブルーノ・タウトが1933年から1936年にかけて日本滞在中の支援をしていたということがあり、僕も1935年あたりにはずっと関心をもってきた。)
トークゲストは、企業メセナの推進者で、さいたまトリエンナーレ総合アドバイザーなど多彩な活躍をされている加藤種男さん。
僕は 通崎睦美さんのコンサートや展覧会を聴いたり見たり縁があった。前に所属していた美術館でお話と演奏を楽しめるといいと思っていたのが実現できた。
□ 坂の上の雲ミュージアム「須田剋太「街道をゆく」挿絵原画展 第3回阿波紀行」展 (2015.10.1) 四国・松山の坂の上の雲ミュージアムでの『街道をゆく』の原画展は、これまで四国をとりあげてきて、「南伊予・西土佐のみち」「檮原街道」につづいて3回目になる。 今回は地元埼玉での須田剋太展と重なってしまって、見に行けなかった。 (画像をクリックすると拡大します) http://www.sakanouenokumomuseum.jp/ |
□ 村上春樹少年が須田剋太先生に絵を習っていたこと (2015.8.17)
インターネット上で読者が質問し、村上春樹氏が回答するという企画があり、その質問と回答の一部が本になった。 本は『村上さんのところ』 村上春樹 新潮社 2015。 Q278に「子供の頃に習い事は何かしましたか?」という質問があり、小学校の低学年ころに須田剋太に絵を習っていたとある。 「須田剋太さんという画家が近所に住んでおられました。司馬遼太郎さんとよく一緒に仕事をしておられたとても有名な方です」 とあって、須田剋太のやさしい教えぶりが印象的に書かれている。 夙川の近くの洋館もすてきに描写されている。(とはいうものの、これはアトリエで、なかは描きかけの絵や絵の具や筆がとても乱雑にあったらしい...) |
須田剋太が美術界のほかにもいろいろな交流があったことは承知していたが、村上春樹氏のことは知らなかったので驚いた。須田剋太を慕って書かれた村上春樹氏にも、いい質問をしてくれた人にも感謝の思いになった。
□ 奈良市美術館で「入江泰吉と須田剋太の奈良」展 (2015.7.10) 展覧会:「入江泰吉と須田剋太の奈良」 会場:奈良市美術館 会期:2015.7/24-8/16 http://www.museum.city.nara.nara.jp/ (画像をクリックすると拡大します) |
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□ 須田剋太展情報 (2015.5.30)
● 若洲一滴文庫 「若洲一滴文庫開館30年記念 須田剋太展」 2015.5/13(水)-8/10(月) 福井県大飯郡おおい町岡田33-2-1 tel. 0770-77-2445 http://itteki.jp/ (画像をクリックすると拡大します。) ● 鴻巣市吹上生涯学習センター 「須田剋太『街道をゆく』挿絵原画展」(仮称) 2015.10/31(土)-11/7(日) ● 飯田市美術博物館 抽象画家-須田剋太とオノサト・トシノブ- 2016.3/19(土)~5/8(日) https://www.iida-museum.org/ |
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□ 秀山堂画廊「須田剋太展」 (2015.4.13)
須田剋太に縁が深い東京・日本橋の秀山堂画廊でも須田剋太展が開催されている。
須田剋太の富士山の絵はこれまでもいくつか見たが、珍しい白い雪景色の富士があった。かつて画廊主が「この人に売りたい」という心づもりがあったが、画家の意向で別の人のものになった絵。
それが最近オークションにでて、「これはあのときの作品!」と手にいれた。こういうふうにめぐって再会することがままあり、今までに3度めぐりあった作品があるという。
(秀山堂画廊 https://www.syuzandou.com/ )
□ 埼玉県立近代美術館の「private,private」展に須田剋太作品 (2015.4.11)
埼玉県立近代美術館が改修工事を終えて4/11(土)リニューアルオープン。
最初の記念展「private,private」は、美術館の所蔵作品から3つのテーマをたてた企画で、そのひとつが「越境者の軌跡-瑛九と須田剋太」。
同時代に活躍し、宮崎からさいたま市に移った瑛九と、鴻巣市から西宮市に移った須田剋太を比較展示している。
美術館の所蔵品主体だが、須田剋太については鴻巣市とその関係者から初期作品・資料が貸し出されている。
(写真右下は須田剋太10代の作品『道』。展覧会は5/24(日)まで。
埼玉県立近代美術館 http://www.pref.spec.ed.jp/momas/)
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□ 須田剋太展 (2014.11.3)
須田剋太の生地である埼玉県鴻巣市に新しい生涯学習施設がオープンし、そこに市が所蔵する須田剋太作品を収める収蔵庫や、展示室もつくられる。 毎年開催している須田剋太展が、今回は新施設のお披露目にもなる。 会場:鴻巣市吹上生涯学習センター 会期:2015.1/10(土)~1/18(日) (ここの3枚とも画像をクリックすると拡大します) |
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□ 坂の上の雲ミュージアムの須田剋太展 (2014.11.3)
『街道をゆく』の南伊予の道をたどって松山に行くと、須田剋太作品の展示があった。 展覧会:『歴史の記憶 須田剋太「街道をゆく」挿絵原画展 第2回 檮原街道」 会場:坂の上の雲ミュージアム 会期:2014.10/12-11/3 松山から南下して高知県に入り、最後の夜は檮原に泊まった。たまたまその日が三島神社の神楽で、さらにたまたま泊まった民宿の主が、このチラシにある「山探し」を舞う人だった。(→[幸運のえひめ-「南伊予・西土佐の道」]) (画像をクリックすると拡大します) |
□ 『街道をゆく 佐渡のみち』と、船戸先生の詩のこと (2014.10.8)
『街道をゆく』の取材で司馬遼太郎、須田剋太らの一行が1976年に佐渡に旅したとき、佐渡の旧家の人で歴史学者の山本修之助氏と、ご子息の佐渡高校教諭山本修巳氏が案内した。 僕が佐渡に行った2014年には、修之助氏はすでに亡くなられ、ご子息の修巳氏が高校を退職して「佐渡郷土文化」誌を主宰しておられた。 僕は佐渡をめぐっているうち、水替無宿の墓の前で、高校生だったとき国語の時間に船戸安之先生にきかされた詩にたまたま再会するということがあった。(その高校は埼玉県立熊谷高校で、須田剋太の出身校でもある(須田剋太のころは旧制で熊谷中学校))。 山本修巳氏にお会いして佐渡のことをおききしているとき、高校の授業できいた詩に佐渡で再開したことを話すと、おもしろいことだから「佐渡郷土文化」に書くようにすすめられ、寄稿した。 |
佐渡の旅の全般については[はるかな佐渡][ふたたび佐渡へ]。)
□ 別所沼のひとたち (2014.10.1) 須田剋太と同じ鴻巣生まれの詩人の秋谷豊は、詩集、文集、60年にわたる詩誌『地球』の刊行など、多くの著作を残した。 僕はポツリポツリと買っては少しずつ読んでいる。 最近手に入れた『地球詩集1957』は、秋谷豊が詩の先輩である神保光太郎に贈ったもので、名刺が入っていた。→続きを読む |
□ 通崎睦美展+コンサート (2014.6.23)
通崎睦美さんの大阪での展覧会「通崎好み 通崎睦美選展 コレクションとクリエイション」と、京都でのコンサート「今、甦る!木琴デイズ」に行った感想などを記した文章が、埼玉新聞に掲載されました。(2014.6.23) (画像をクリックすると拡大します) |
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□ 鶴見俊輔の『象の消えた動物園 同時代批評』(2014.2.22)
大阪に住む大量の「本買い、本持ち、本読み」の友人、橋本博行師からメール。 「今、鶴見俊輔の『象の消えた動物園 同時代批評』(編集工房ノア 2011)という本を読んでいて、その中に須田剋太についてのエッセイが収録されています。全体で5ページほどの短いものだけど、書下ろしのようなので、もしまだ読んでなければ図書館ででも見てください。」 さっそく図書館から借りてくる。 「須田剋太の面影」という5ページの文章があった。 鶴見俊輔は飯沼二郎から『朝鮮人』という雑誌を引き継いだ。 「 日本に住む朝鮮人に対して差別をすることに反対の運動をおこした飯沼二郎を信頼し、その雑誌のあとつぎをする私に共感をもつ。このひとつのことが、須田さんを私に結びつけた。」 |
その雑誌の表紙にする絵を、須田剋太が毎号、無料で描いてくれたことを記してあり、短いが敬愛の思いにみちたいい文章だった。その結びの文-「須田さんは、この日本で生きるひとりの仙人だった。」
別に「隣人としての河野裕子」という文章があった。
『塔』という短歌誌を主宰する永田和宏・河野裕子夫妻と隣人づきあいをしたとある。
鶴見の文には記されていないが、『塔』の表紙も須田剋太が描き、贈りつづけたのだった。
『象の消えた動物園』 の表紙は、須田剋太が司馬遼太郎との『街道をゆく』の旅で描いた『陸奥白川関跡』。
はじめからこうなりそうという予感はあったのだが、やはり買って手もとに置くべき本で、本屋さんに発注した。
□ Eテレ『NHK短歌』で須田剋太が並ぶ (2013.10/20)
2013.10.20に放送されたEテレ『NHK短歌』では、選者は歌人の永田和宏さんで、ゲストが木琴奏者の通崎睦美さんだった。たまたまこういう組み合わせになったのだろうけれど、ふたりとも須田剋太と縁が深い。
永田和宏さんについては、その主宰する短歌誌『塔』の表紙を須田剋太が描いている。
通崎睦美さんは、3歳頃から14歳頃まで、毎年正月に晴れ着を着て須田剋太に描いてもらっていた珍しい連作肖像画を持っている。(そのことは『通崎好み』(淡交社 2004)に書かれている。)
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Eテレの画面では、こんなふうに須田剋太に縁のある人どうしが、須田剋太とは全然関係のない文脈で短歌の話をしていた。2人にそんな共通点があると思うものだから、不思議な感じだった。
□ 美術誌『百兵衛』No.27-表紙に若い須田剋太! (2013.10/13) 須田剋太を特集した『百兵衛』が発売された。 表紙は若いころの須田剋太。 本文では、いかにも剋太に似つかわしい力強いレイアウトで生涯が紹介されている。 http://www.hyakube.com/ |
□ 埼玉県立近代美術館『たまもの-大コレクション展』 (2013.4/14)
埼玉県立近代美術館で『たまもの-大コレクション展』が開催されている。(2013.4/4-5/19) 開館30年をこえて蓄積されたコレクションを、展示室だけでなく、美術館全体をつかって展開する大規模な展覧会で、「詩と版画」とか「深く眠る」とか、32のテーマに分類されて作品が置かれている。 そのうち4つのテーマに須田剋太の作品があった。 |
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[11.百花繚乱]では、文楽に登場する女性を描いて、髪や着物に色とりどりの紙をちりばめた作品。
ここではもう1つ、絵馬も展示されているが、これはお水取りにつかう椿を描いていて、東大寺の二月堂で400円で売っているみやげもの。
[18.世界は丸い]には、円を重ねた抽象画。
違う文脈に置かれてそれぞれに須田作品が輝き、存在感がある。
美術館の所蔵作品がたっぷり展開しているし、切り口のおもしろさ、展示のくふうなど、展覧会じたい楽しいものだが、須田剋太の作品の多様性にもふれられて、剋太ファンには楽しい。
□ 『たとえば君』と須田剋太のどくだみの絵 (2012.9/15)
『たとへば君-四十年の恋歌』(河野裕子・永田和宏 文藝春秋 2011)を読んだ。そろって歌人であった夫妻の、出会いから妻が先立つまでの40年間の恋歌を夫が編集した本で、しばしば涙ぐみながら読んだ。
その出会いには、須田剋太が描いたどくだみの絵が関わっていた。→続きを読む
□ [2012夏文学の集い] 窪島誠一郎+坂本哲男 (2012.8/5)
埼玉県のアーティストの業績をまとめた本などを発表されてきた坂本哲男さんが、埼玉県文化団体連合会から文化選奨を贈られ、さいたま文学館で受賞講演があった。
あわせて信濃デッサン館・無言館の館主の窪島誠一郎氏の記念講演もあった。 →続きを読む
□ 朝日新聞の連載記事中の肖像写真のうしろの壁に、須田剋太展のチラシが貼りつけてあった。(2012.4/20)
朝日新聞の夕刊に「ニッポン人脈記」が連載されている。2012.4.20夕刊に、かつて「宝島」の編集者だった津野海太郎氏の仕事場での写真が掲載された。同じ編集の仕事をしている倉品恵子さんからメールがあり、うしろの壁に須田剋太の絵があるという。
なるほど、壁にはたくさんの紙が貼りつけてあり、虫メガネで拡大して見ると、須田剋太の黄色いヒマワリらしい絵がある。
「須田剋太」という文字も見えるから、展覧会のチラシらしい。
調べてみると、2007.4.28-6.24に、うらわ美術館で開催された「誕生100年記念 須田剋太展」のものだった。この展覧会は、2006年から2007年にかけて、明石市立文化博物館、京阪ギャラリー、うらわ美術館、田原市博物館と巡回していて、それぞれに別なデザインのチラシが作られていた。
それにしても、新聞に掲載されたあまり大きくない写真の、しかも背景の壁に、いくつもの紙が貼られていて一部きり見えていない須田剋太の絵をみつけだす目は驚異だった。
元の絵は須田剋太画『向日葵』1989 | ![]() |