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□ 埼玉県立近代美術館MOMASコレクション 
(2018.11.7)

埼玉県立近代美術館に「阿部展也-あくなき越境者」展を見に行った。
常設展示室ではコレクションからテーマを設定した展示があり、「激動/変貌-1940-50年代の絵画」として須田剋太の作品があった。
・ 2018.10/20(土)-2019.1/6(日)
須田剋太『不協雑音』
須田剋太『不協雑音』1953
□ 熊谷市立図書館 大久保喜一展~没後70周年記念~
埼玉県立近代美術館では、他館に貸出中の作品については写真と貸出先、展覧名を廊下の壁面に紹介している。
大久保喜一の『熊中正門』を貸し出してあったが、その行った先が熊谷での大久保展で、数日後、こちらも見に行った。
大久保喜は旧制熊谷中学で須田剋太に美術を教えた人。
僕はそれからずっとあとの新制熊谷高校に通ったが、その頃に図書館に大久保の『実験室』が架かっていたのも展示されていて、懐かしかった。
・2018.10/27(土)~12/2(日)



□ 『須田剋太「街道をゆく」原画展』
(2018.9/20)

大阪府が所蔵する『街道をゆく』の挿絵の原画展です。
・ 2018.10/20(土)-27(土) 10-17時 会期中無休
・ 鴻巣市吹上生涯学習センター(JR高崎線吹上駅南口)

須田剋太 『街道をゆく』原画展 表 須田剋太 『街道をゆく』原画展 裏

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□ 巨匠たちのクレパス画展 
(2018.9.9)

クレパスは1925年に日本で開発された画材で、クレヨンとパステルのよさをあわせもっている。
そうそうたる画家たちがクレパスをつかって描いた作品の展覧会で、須田剋太も2点展示されていた。
クレパスの開発と普及に大きく関わった山本鼎は、須田剋太が憧れた村山槐多の叔父にあたる人-という関わりもある。
・ 20187/14(土)-9/9(日)
・ 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館(東京都新宿区)
須田剋太「アブストラクト」
須田剋太『アブストラクト』1953




□ 近藤金吾著『壺屋のひとりごと』を国立国会図書館に
(2018.4.30)

京都の[古美術近藤]を主宰した故・近藤金吾氏は、須田剋太の大きな支援者でもあった。自身の古稀の祝いを大徳寺宝春院で催したのにあわせて自伝を刊行したが、関係者だけに贈られたその貴重な本を託してくださる方があり、国立国会図書館に納本した。
続きを読む

『壺屋のひとりごと』掲載の須田剋太『酉歳新春』



□ [坂の上の雲ミュージアム『街道をゆく』挿絵原画展 2017 ]
 (2017.12.12)

四国・松山市にある「坂の上の雲ミュージアムで、『街道をゆく』挿絵原画展第5回(「愛蘭土紀行」)が開催され、今回も僕が撮った現地写真が須田剋太の挿絵と並んで展示された。
愛媛県美術館で『没後20年司馬遼太郎「21世紀"未来の街角"で」』が開催されているのにあわせて、秋10月の松山に行った。

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坂の上の雲ミュージアム 須田剋太『街道をゆく』挿絵原画展「愛蘭土(アイルランド)紀行」



□ 壱岐市立一支国博物館の「司馬遼太郎と壱岐」展 (2017.11.1)

『街道をゆく』の旅で1977年に壱岐を訪れたとき、道をたずねたのがきっかけで司馬遼太郎は教育委員会の若い職員が歴史ある島の文化を熱心に吸収しているのに出会っている。その職員はのちの2010年に壱岐市立一支国博物館が開館したとき、初代館長に就任した。『街道をゆく』のいくつもの旅のなかでも、こういう劇的な展開は珍しい。僕は昨年(2016年)壱岐を訪れたとき、その須藤資隆館長に島を一周して案内していただき、楽しい旅になった。(→[壱岐の博物館と対馬のレストラン]
その一支国博物館で、司馬遼太郎が見た壱岐を紹介する展覧会があり、須田剋太が壱岐を描いた挿絵原画も展示される。
壱岐市立一支国博物館「司馬遼太郎と壱岐」展 「司馬遼太郎と壱岐」展

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□ 「須田剋太とふるさとの仲間たち」展
(2017.10.20)

須田剋太の郷里の鴻巣市では、毎年秋に展覧会を開催しています。
須田剋太に(旧制)熊谷中学で美術を教えた大久保喜一は、埼玉県内初の洋画家の団体「板東洋画会」の設立に関わります。その会はのちに「朱麦会」と名を変えて今も引き継がれています。こうした動きに関わった里見明星、矢部正らの作品を須田剋太の作品とあわせて展示しています。
2017.10/21(土)-11/7(日) 10-17時 会期中無休
鴻巣市吹上生涯学習センター(JR高崎線吹上駅南口徒歩3分)
須田剋太展2017-表 須田剋太展2017-裏

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□ 鴻池新田会所の須田剋太展(2017.9.26)


鴻池新田会所は、江戸時代に豪商鴻池家が開発した新田の管理・運営をおこなった施設で、屋敷や庭園が公開されている。ここで大阪府が所蔵する須田剋太の『街道をゆく』挿絵原画と抽象画が展示される。
「Art Planet東大阪 須田剋太展-『街道をゆく』挿絵原画と抽象画-」
2017.9.26(火)-10.1(日)
東大阪市鴻池元町2-30 tel.06-6745-6409

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鴻池新田会所で須田剋太展



□  [ 横須賀の聖ヨゼフ病院産婦人科と湘南病院精神科-立原道造/須田剋太] (2017.2.20)

横須賀にある聖ヨゼフ病院は、石本建築事務所の設計により1939年に建った。
数年前から、この設計には石本建築事務所の所員だった立原道造が関わっていたことがわかってきた。(関わりがどの程度かは見方が分かれている。)
僕の妻の母は横須賀の人だが、結婚してから東京都府中市に住んでいる。
とくに聖ヨゼフ病院との関連を思ってみたこともなかったのだが、僕の妻の出産にあたっては実家に帰り、聖ヨゼフ病院で産んだことがつい最近わかった。
横須賀では別の病院で僕はアルバイトしていたことがあり、両方たずねてみようと出かけた。

立原道造 聖ヨゼフ病院完成予想図 聖ヨゼフ病院



□ 大久保喜一 須田剋太 師弟展
(2016.9.20)

須田剋太の郷里の鴻巣市では、毎年秋に展覧会を開催しています。
今年は、須田剋太が(旧制)熊谷中学で美術を教わった大久保喜一との師弟展です。
2016.10/31(土)-11/7(日) 10-17時 会期中無休
鴻巣市吹上生涯学習センター(JR高崎線吹上駅南口徒歩3分)

大久保喜一須田剋太師弟展 大久保喜一須田剋太師弟展

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□ 須田剋太「街道をゆく」挿絵原画展 第4回 芸備の道 (2016.9.20)

松山市にある坂の上の雲ミュージアムで、司馬遼太郎著『街道をゆく』の挿絵と、今の現地写真を対比して展示する展覧会が開催されます。
 http://www.sakanouenokumomuseum.jp/
『街道をゆく』で四国をめぐったのは3街道あり、これまで3回の展覧会で四国島内を終えました。
今年4回目は、瀬戸内海を北に越えて広島県の「芸備の道」で、現地写真としては僕が撮ったものがつかわれることになりました。
会期は10/1(土)から10/31(月)で、10/2(日)には松原正毅館長との対談も予定されています。(松原正毅館長は、遊牧を主テーマにした社会人類学の研究者で、司馬遼太郎と親交があり、『街道をゆく』の中国の旅に同行もしました。司馬遼太郎記念財団の常務理事もされています。)

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坂の上の雲ミュージアム 須田剋太『街道をゆく』挿絵原画展2016



□ 江之子島文化芸術創造センターで須田剋太『街道をゆく』挿絵原画展 (2016.8.20)

『街道をゆく』の挿絵原画を所蔵する大阪府で、『街道をゆく』の海外での作品を公開する展覧会が開催されます。

展覧会: 須田剋太展-『街道をゆく』挿絵原画 海外の道をゆく-
会場: 大阪府立江之子島文化芸術創造センター
  (大阪市西区江之子島2-1-34 tel. 06-6441-8050)
会期: 2016.9/1(木)-9/18(日) 月曜休館 11-19時
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須田剋太展の案内



□ 日本経済新聞『美の美 司馬遼太郎-異端へのまなざし』 (2016.6.5)

日本経済新聞の日曜日の版では、中央の見開きページが「美の美」と題して美術に関わる文章が掲載される。
6月第1週と第2週は、司馬遼太郎の美術観についてで、『街道をゆく』で深く長い関わりがあった須田剋太も当然取りあげられ、6/5の紙面の右半分は須田剋太になった。
文章を書かれたのは編集委員の中沢義則さんで、4月半ばに須田剋太研究会の加藤勉さんと僕とで、須田剋太について話した。
あわせて写真を掲載する作品についても相談を受けた。
『街道をゆく』から欠かせないのは、司馬遼太郎と須田剋太双方にとって強い思い入れがあるモンゴルの星空。
『街道をゆく』のなかで司馬遼太郎は須田剋太のことをいろいろ書いているが、『街道をゆく』のために描いた挿絵そのものについてふれた文章は意外になくて、僕が気がついた限りでは「デッサンの堅牢なスケッチ」というひとことがある。その言い方にふさわしい作品はもちろんいくつもあるが、僕が想定したのは「嵯峨散歩」から『水尾(A)』。
『街道をゆく』のほかには、埼玉県立近代美術館所蔵の赤い抽象画。
中沢さんとお会いしたとき僕が話したことは文章に直接には役立たなかったのだが、想定した3点が紙面に並んだことがうれしかった。

須田剋太『ゴビ砂漠の星空(B)』

左:『ゴビ砂漠の星空(B)』
右:『水尾(A)』
ほかに抽象画1点(『私の曼陀羅a』)が掲載された。
須田剋太『水尾(A)』



□ 朝日新聞「be Extra」に須田剋太作品が並ぶ元興寺の記事(2016.1.24)

全国各地を歌ってご当地ソングの女王といわれる水森かおりさんのことが紹介された。
奈良で撮った写真が掲載されていて、場所は元興寺。
その禅室は、国宝であり世界遺産でもあって、そこに須田剋太の大きな作品がいくつも並んでいる。
記事ではいちばん手前に赤とんぼの歌詞とこどもを描いたカラフルな屏風が写っていた。
奈良の歌は『大和路の恋』という。
聴いてみたが、歌詞には元興寺も須田剋太もなかった。



□ 『熊谷高校創立百二十周年誌』に寄稿しました。(2015.11.20)
「街道をゆく」で須田剋太が描いた地をたどっているうち、佐渡で僕の高校時代の恩師の詩に出会うということがあった。京都・嵐山では、夏目漱石とのつながりがボンヤリとながら見えてくるということがあった。
そんなことを母校の創立120周年誌に寄稿した。
ホームページにのせたいのでPDFファイルをいただけないか印刷会社にお願いしたところ、快諾され、送られてきた。
印刷は群馬県前橋市の朝日印刷工業株式会社。ノイエス朝日というギャラリーも運営していて、何度も伺ってギャラリーには前からなじみがある。
http://www.neues-asahi.jp/
熊谷高校創立百二十周年誌

→本文『大先輩の須田剋太をめぐって、国語の船戸安之先生や、「坊っちゃん」の夏目漱石のこと』(PDF 4.3MB)(「同窓会だより」と「佐渡郷土文化」に書いたものに図版と文章を追加)



□ 日本経済新聞に "「街道をゆく」挿絵の謎追う" が掲載されました。(2015.11.19)

「街道をゆく」で須田剋太が描いた地をたどると、しばしば謎解きを迫られます。時間の経過で風景が変わっていたり、画家が、見たとおりとは違う描き方をしていたり。
そんな楽しみのことを記した文章が11/18の日本経済新聞に掲載されました。
(画像をクリックすると拡大します)

* この記事に関わるのは
白河・会津のみちと震災3年目の福島
淡路島の港のいちじろう
大分県を時計回りする
春の奈良めぐり
日本経済新聞「街道をゆく」の記事



□ 須田剋太「街道をゆく」原画展終わる 
(2015.11.7)

この展覧会では、四半世紀ほど前に須田剋太が描いた地を、最近僕が訪ねて撮った写真をあわせて展示した。
去年、「会津・白河のみち」をたどって白河に行き、『街道をゆく』に登場する書店を訪ねた。親切な方で、絵の地点はここではないかという所を車でいくつか案内していただいた。この展覧会のことをお知らせすると、高速を2時間以上走って家族で見に来られた。
2015年須田剋太展の会場風景

「白河でもこうした展覧会を開催したい」といわれる。
また会場で写真を見ていて「白河駅舎は原宿駅と同じ設計者」だと教えられた。
ひとつの展覧会がきっかけになって別の展覧会が立ち上がったり、気づかずにいたことを教えられたり、思いがけなかった動きがあって、先に楽しみが続いていく。
(→[白河・会津のみちと震災3年目の福島])




□ 須田剋太「街道をゆく」原画展:

展覧会を紹介する記事が2015.11.4の埼玉新聞に掲載されました。
(画像をクリックすると拡大します)
埼玉新聞 須田剋太『街道をゆく』挿絵原画展



□ 須田剋太「街道をゆく」原画展:

2015.10/31(土)-11/7(日) 鴻巣市吹上生涯学習センター
主催:須田剋太展実行委員会 共催:鴻巣市・鴻巣市教育委員会

須田剋太「街道をゆく」原画展 表 須田剋太「街道をゆく」原画展 裏面

(画像をクリックすると拡大します)

「33白河・会津のみち」と「34中津・宇佐のみち」の原画を展示する。
僕が最近その道をたどって撮った写真をあわせて展示する。
目の前にある景色から、須田剋太がどこをとって、どう画面に描いたか。
年月を経て景色がどう変わったか。
挿絵だけ見ていたのでは見えないものが見えてくるかも。




□ 「通崎睦美講演会&木琴演奏会-1935をめぐって」:

2015.11/28(土) 14時開演(13:30開場)
埼玉県立近代美術館 2階講堂
主催:あなたと どこでも アート実行委員会 埼玉県立近代美術館

 →ちらし表(PDF 2M)
  ちらし裏(PDF0.7M)
通崎睦美講演会&木琴演奏会 埼玉県立近代美術館

京都に住む通崎睦美さんはマリンバ・木琴奏者で、古い着物のコレクションでも知られる。埼玉出身の画家、須田剋太に、こどもの頃10年にわたって毎年描かれた肖像画コレクションがあり、埼玉の美術に縁が深くもあります。
今回のタイトル「1935」は、平岡養一が使った木琴が1935年製であることなど、通崎さんにとって関わりが深いことからとられました。(この講演に直接関係しないことだけれど、僕はしばらく群馬の実業家・井上房一郎をたどっている。ナチスのドイツから逃れてきたブルーノ・タウトが1933年から1936年にかけて日本滞在中の支援をしていたということがあり、僕も1935年あたりにはずっと関心をもってきた。)
トークゲストは、企業メセナの推進者で、さいたまトリエンナーレ総合アドバイザーなど多彩な活躍をされている加藤種男さん。



□ 坂の上の雲ミュージアム「須田剋太「街道をゆく」挿絵原画展 第3回阿波紀行」展 (2015.10.1)

四国・松山の坂の上の雲ミュージアムでの『街道をゆく』の原画展は、これまで四国をとりあげてきて、「南伊予・西土佐のみち」「檮原街道」につづいて3回目になる。
今回は地元埼玉での須田剋太展と重なってしまって、見に行けなかった。


(→PDFファイル 586KB)
http://www.sakanouenokumomuseum.jp/
坂の上の雲ミュージアム「須田剋太「街道をゆく」挿絵原画展 第3回阿波紀行」



□ 村上春樹少年が須田剋太先生に絵を習っていたこと (2015.8.17)

インターネット上で読者が質問し、村上春樹氏が回答するという企画があり、その質問と回答の一部が本になりました。
本は『村上さんのところ』 村上春樹 新潮社 2015。
Q278に「子供の頃に習い事は何かしましたか?」という質問があり、小学校の低学年ころに須田剋太に絵を習っていたとあります。
「須田剋太さんという画家が近所に住んでおられました。司馬遼太郎さんとよく一緒に仕事をしておられたとても有名な方です」
とあって、須田剋太のやさしい教えぶりが印象的に書かれています。
夙川の近くの洋館もすてきに描写されています。(とはいうものの、これはアトリエで、なかは描きかけの絵や絵の具や筆がとても乱雑にあったらしい...)
『村上さんのところ』 村上春樹 表紙

須田剋太が美術界のほかにもいろいろな交流があったことは承知していましたが、村上春樹氏のことは知らなかったので驚きました。須田剋太を慕って書かれた村上春樹氏にも、いい質問をしてくれた人にも感謝です。




□ 奈良市美術館で「入江泰吉と須田剋太の奈良」展 (2015.7.10)

奈良市美術館で須田剋太の作品が並ぶ展覧会が開催されます。
(画像をクリックすると拡大します)

http://www.museum.city.nara.nara.jp/

奈良市美術館の「入江泰吉と須田剋太の奈良」展ポスター



□ 須田剋太展情報
(2015.5.30)

● 若洲一滴文庫
「若洲一滴文庫開館30年記念 須田剋太展」
2015.5/13(水)-8/10(月)
福井県大飯郡おおい町岡田33-2-1 tel. 0770-77-2445
http://itteki.jp/
(画像をクリックすると拡大します。)

● 鴻巣市吹上生涯学習センター 「須田剋太『街道をゆく』挿絵原画展」(仮称)
2015.10/31(土)-11/7(日)

● 飯田市美術博物館 抽象画家-須田剋太とオノサト・トシノブ-
2016.3/19(土)~5/8(日)
http://www.iida-museum.org/
若洲一滴文庫 須田剋太展



□ 秀山堂画廊「須田剋太展」
(2015.4.13)

須田剋太に縁が深い東京・日本橋の秀山堂画廊でも須田剋太展が開催されている。
須田剋太の富士山の絵はこれまでもいくつか見たが、珍しい白い雪景色の富士があった。かつて画廊主が「この人に売りたい」という心づもりがあったが、画家の意向で別の人のものになった絵。
それが最近オークションにでて、「これはあのときの作品!」と手にいれた。こういうふうにめぐって再会することがままあり、今までに3度めぐりあった作品があるという。
(秀山堂画廊 http://www.syuzandou.com/ )



□ 埼玉県立近代美術館の「private,private」展に須田剋太作品 (2015.4.11)

埼玉県立近代美術館が改修工事を終えて4/11(土)リニューアルオープン。
最初の記念展「private,private」は、美術館の所蔵作品から3つのテーマをたてた企画で、そのひとつが「越境者の軌跡-瑛九と須田剋太」。
同時代に活躍し、宮崎からさいたま市に移った瑛九と、鴻巣市から宮市に移った須田剋太を比較展示している。
所蔵品主体だが、須田剋太については一部の初期作品・資料を須田剋太研究会とその関係者から出品している。
(写真右下は須田剋太10代の作品『道』。展覧会は5/24(日)まで。
埼玉県立近代美術館 http://www.pref.spec.ed.jp/momas/)

埼玉県立近代美術館 須田剋太『道』



□ 須田剋太展が始まりました (2015.1.10)

須田剋太の生地の鴻巣市に、新しい生涯学習施設がオープンしました。そのこけら落としと、鴻巣市市制施行60周年を記念する展覧会が始まりました。
(画像をクリックすると拡大します。)

須田剋太展2015チラシ表 須田剋太展2015チラシ裏



□ 須田剋太展
(2014.11.3)

須田剋太の生地である埼玉県鴻巣市に新しい生涯学習施設がオープンします。市が所蔵する須田剋太作品を収める収蔵庫や、展示室もつくられます。
毎年開催している須田剋太展が、今回は新施設のお披露目にもなり、2015.1/10(土)~1/18(日)に開催されます。
(画像をクリックすると拡大します。)
須田剋太展2015ポスター

須田剋太展2015チラシ表 須田剋太展2015チラシ裏

秋から新年にかけて別所沼つながりのイベントが続きます。

・11/9(日)ヒアシンスハウス夢まつり さいたま市別所沼公園(立原道造)
 http://haus-hyazinth.org/

・11/15(土)秋谷豊ランプ忌 さいたま市詩鴗館
・12/13(土)秋谷豊の作品朗読会 鴻巣市市民活動センター
 http://www.akiya-yutaka.com/



□ 坂の上の雲ミュージアムの須田剋太展 (2014.11.3)

『街道をゆく』の南伊予の道をたどって松山に行くと、須田剋太作品の展示がありました。
・『歴史の記憶 須田剋太「街道をゆく」挿絵原画展 第2回 檮原街道」
・坂の上の雲ミュージアム
・2014.11/3まで。
松山から南下して高知県に入り、最後の夜は檮原に泊まりました。こちらもたまたまその日が三島神社の神楽で、さらにたまたま泊まった民宿の主が、このチラシにある「山探し」を舞う人でした。
坂の上の雲ミュージアム『須田剋太「街道をゆく」挿絵原画展 第2回 檮原街道」チラシ



□ 『街道をゆく 佐渡のみち』と、船戸先生の詩のこと
(2014.10.8)

『街道をゆく』の取材で司馬遼太郎、須田剋太らの一行が1976年に佐渡に旅したとき、佐渡の旧家の人で歴史学者の山本修之助氏と、ご子息の佐渡高校教諭山本修巳氏が案内した。
2014年には、修之助氏はすでに亡くなられ、ご子息の修巳氏は高校を退職して「佐渡郷土文化」誌を主宰しておられる。
僕が『街道をゆく』で須田剋太が描いた挿絵の地をたどって佐渡に行ったとき、40年ほども前、高校生だったとき国語の時間に船戸安之先生にきかされた詩にたまたま再会するということがあった。(その高校は須田剋太の出身校でもある)。
山本修巳氏にお会いして佐渡のことをおききしているとき、高校の授業できいた詩に佐渡で再開したことを話すと、おもしろいことだから「佐渡郷土文化」に書くようにすすめられ、寄稿した。

『佐渡郷土文化』の表紙
(『佐渡郷土文化』掲載の本文はこちら(PDF 2M)。なお末尾にある山本修巳氏の文中「秘書」とあるのは「みどり夫人の友人」がより正しい。
佐渡の旅の全般については[はるかな佐渡][ふたたび佐渡へ])



□ 別所沼のひとたち (2014.10.1)

須田剋太と同じ鴻巣生まれの詩人の秋谷豊は、詩集、文集、60年にわたる詩誌『地球』の刊行など、多くの著作を残した。
僕はポツリポツリと買っては少しずつ読んでいる。
最近手に入れた『地球詩集1957』は、秋谷豊が神保光太郎に贈ったもので、名刺が入っていた。→続きを読む
「地球詩集1957」



□ 埼玉県立近代美術館フレンドの秋の美術館ツアーは、須田剋太の展示館へ(2014.8.1)


埼玉県立近代美術館フレンド(友の会)のこの秋の旅行は北海道で、2泊3日の2日目に美瑛にある新星館を訪れる。
新星館は粒ぞろいの須田剋太作品を所蔵している。主宰者の人柄を司馬遼太郎が気に入り、紹介された須田剋太がたくさんの作品をプレゼントした。
展望室からの展望も絶景!
ほかに、いかにも北海道!な、作品も景色もみごとな美術館をめぐる。

(画像をクリックすると拡大します。
詳細なコースと申込用紙はこちら。)
埼玉県立近代美術館フレンド 2014秋の旅行



 [新潟で「水のあと」と「人のあと」をたどる] (2014.7.4)


かつて新潟の低湿地では、水に深くつかって作業するきびい米作りをしていた。その様子をうつした映画に衝撃を受け、司馬遼太郎は1975年に『街道をゆく』の「潟のみち」の旅にでた。
「潟のみち」を読んで、僕もその映画を見たいと思い、2001年に新潟平野をめぐったことがあるが、それから10年ほどを経て、ふたたび潟をたどった。
水の駅ビュー福島潟



□ 通崎睦美展+コンサート
 (2014.6.23)


通崎睦美さんの大阪での展覧会「通崎好み 通崎睦美選展 コレクションとクリエイション」と、京都でのコンサート「今、甦る!木琴デイズ」に行った感想などを記した文章が、埼玉新聞に掲載されました。(2014.6.23)

(画像をクリックすると拡大します)
埼玉新聞「須田剋太が描いた肖像画」



□ 『日本人の記録 犬養木堂』挿絵原画展 (2014.4.1)
1969年、毎日新聞に犬養道子著『日本人の記録 犬養木堂』が連載されたとき、須田剋太が挿絵を描きました。鴻巣市が所有するその原画のうち40点を展示します。
日時:2014.4.11(金)~17(木) 9時~17時
会場:鴻巣市市民活動センター会議室B(JR高崎線鴻巣駅から徒歩3分)
入場無料



□ 鶴見俊輔の『象の消えた動物園 同時代批評』
(2014.2.22)

大阪に住む大量の「本買い=本持ち」であり、ハードな「本読み」の友人、橋本博行師からメール。
「今、鶴見俊輔の『象の消えた動物園 同時代批評』(編集工房ノア)という本を読んでいて、その中に「須田剋太の面影」というエッセイが収録されています。全体で5ページほどの短いものだけど、書下ろしのようなので、もしまだ読んでなければ図書館ででも見てください。」
さっそく図書館から借りてくる。
続きを読む

鶴見俊輔『象の消えた動物園 同時代批評』 鶴見俊輔『象の消えた動物園 同時代批評』




□ 通崎睦美さんの木琴新刊書+木琴コンサート
 (2013.10/10)

日米で活躍した木琴奏者・平岡養一のことを通崎睦美さんがまとめた本を読んだ。(『木琴デイズ 平岡養一「天衣無縫の音楽人生」』講談社2013)。
平岡養一の人生、その時代背景、木琴とマリンバという楽器のこと、それらに関わって演奏家としての通崎さんの今と、これから志向することとが書かれていた。
僕は通崎さんが須田剋太に縁があることを最近知って、ちょっと前に初めてコンサートに行ったばかり。木琴やマリンバのことなど、わからないことだらけ。でもこの本1冊にまず知りたいことがすべて盛りこまれていた。→続きを読む

通崎睦美「木琴デイズ」表紙 通崎睦美コンサート「木琴文庫」



□ Eテレ『NHK短歌』で須田剋太が並ぶ (2013.10/20)
2013.10.20に放送されたEテレ『NHK短歌』では、選者は永田和宏さんで、ゲストが通崎睦美さんだった。たまたまこういう組み合わせになったのだろうけれど、このTOPICSに前に記したように、ふたりとも個人史的に須田剋太と縁が深い。→続きを読む
短歌誌「塔」須田剋太による表紙



□ 美術誌『百兵衛』No.27-表紙に若い須田剋太! (2013.10/13)

須田剋太研究会も制作に協力した『百兵衛』が発売された。
表紙は若いころの須田剋太。
本文では、いかにも剋太に似つかわしい力強いレイアウトで生涯が紹介されています。

http://www.hyakube.com/
百兵衛 no.27



□ 英文の須田剋太評伝が完成 (2013.9/20)

会員の柳毅氏が書いた英文による須田剋太の評伝が完成した。
『KOKUTA-A Painter f Soul-魂をゆさぶる画家 須田剋太の生涯』柳毅 会議録センター 2013
加藤勉氏の日本語の評伝とあわせて強力な紹介資料ができた。
柳毅「KOKUTA」表紙



□ 10年以上も毎年描かれた肖像画-マリンバ奏者、通崎睦美さん
  (2013.7/5)

マリンバ奏者の通崎睦美さんは、3歳頃から14歳頃まで、毎年晴れ着を着て須田剋太に描いてもらっていた、珍しい作品群をお持ち。その通崎睦美さんの木琴のコンサートを、ロゴバ(東京都千代田区平河町)という会場に聴きに行った。→続きを読む
通崎睦美CD「1935」



 埼玉県立近代美術館『たまもの-大コレクション展』
  (2013.4/4-5/19)

埼玉県立近代美術館で『たまもの-大コレクション展』が開催されている。開館30年をこえて蓄積されたコレクションを、展示室だけでなく、美術館全体をつかって展開する大規模な展覧会で、「詩と版画」とか「深く眠る」とか、32のテーマに分類されて作品が置かれている。
そのうち4つのテーマに須田剋太の作品があった。→続きを読む
須田剋太「東大寺椿」の絵馬



『たとえば君』と須田剋太のどくだみの絵 (2012.9/15)

『たとへば君-四十年の恋歌』(河野裕子・永田和宏 文藝春秋 2011)を読んだ。そろって歌人であった夫妻の、出会いから妻が先立つまでの40年間の恋歌を夫が編集した本で、しばしば涙ぐみながら読んだ。
その出会いには、須田剋太が描いたどくだみの絵が関わっていた。→続きを読む



□ [2012夏文学の集い] 窪島誠一郎+坂本哲男 (2012.8/5)

埼玉県のアーティストの業績をまとめた本などを発表されてきた坂本哲男さんが、埼玉県文化団体連合会から文化選奨を贈られ、さいたま文学館で受賞講演があった。
あわせて信濃デッサン館・無言館の館主の窪島誠一郎氏の記念講演もあった。 →続きを読む



□ 朝日新聞の連載記事中の肖像写真のうしろの壁に、須田剋太展のチラシが貼りつけてあった。(2012.4/20)

朝日新聞の夕刊に「ニッポン人脈記」が連載されている。2012.4.20夕刊に、かつて「宝島」の編集者だった津野海太郎氏の仕事場での写真が掲載された。同じ編集の仕事をしている倉品恵子さんからメールがあり、うしろの壁に須田剋太の絵があるという。
なるほど、壁にはたくさんの紙が貼りつけてあり、虫メガネで拡大して見ると、須田剋太の黄色いヒマワリらしい絵がある。
「須田剋太」という文字も見えるから、展覧会のチラシらしい。
須田剋太研究会で剋太資料を保管されている大橋さん宅に伺い、調べてみると、2007.4.28-6.24に、うらわ美術館で開催された「誕生100年記念 須田剋太展」のものだった。この展覧会は、2006年から2007年にかけて、明石市立文化博物館、京阪ギャラリー、うらわ美術館、田原市博物館と巡回している。それぞれに別なデザインのチラシが作られていて、それらも大橋資料に保存されていた。
それにしても、新聞に掲載されたあまり大きくない写真の、しかも背景の壁に、いくつもの紙が貼られていて一部きり見えていない須田剋太の絵をみつけだす目は驚異だった。

元の絵は須田剋太画『向日葵』1989 うらわ美術館「誕生100年記念 須田剋太展」ポスター