初めてのおいしい山口−「長州路」1


山口に行った。
僕も妻も初めて。
『街道をゆく』の「1長州路」をたどるのだが、司馬遼太郎の文章に、高杉晋作が率いた奇兵隊という軍事組織は図書館を持っていて、その蔵書が残っているということにそそられた。そんなこともあって図書館を多く訪れ、それぞれにおもしろかった。
また道々で食べた食事やスイーツがおいしくて、満ち足りた旅になった。

第1日 「奇兵隊蔵書」を見て芸術的スイーツを味わい老舗の宿へ  [山口大学図書館 山口情報芸術センター 袖解橋 松田屋ホテル(泊)]
第2日 雪の雪舟庭、姿を変えた教会、船乗りの宿  [常栄寺雪舟庭 瑠璃光寺 山口サビエル記念聖堂 山口県立美術館 山口県立図書館 シーサイドホテル宇部(泊)]
第3日 秋吉台から川べのレストラン [秋吉台 宇部市立図書館 ノエル]

* 「長州路」のうち、この旅は山口市とその近くに限って、あとの下関、防府、萩、津和野については別に行った。→[いつか行きたかった萩・津和野へ−「長州路」2 ]


第1日 「奇兵隊蔵書」を見て芸術的スイーツを味わい老舗の宿へ [山口大学図書館 山口情報芸術センター 袖解橋 松田屋ホテル(泊)]

* 山口宇部空港でレンタカーを借りて、山口市街より北の先にあるピッツェリア・アンコーラというレストランに直行した。

三分一博志という建築家が設計した斬新な建築が楽しみで、国道435号を北に走っていくと、道のわきにそれらしい木の塀が見えてきた。
ところが入口が閉まっている。
塀の角にはきれいな旗がはためいているから、営業をやめたのでもなさそう。休みともやめたとも表示がないが、とにかく入れなくて、食事ができない。
ピッツェリア・アンコーラ。門の中に入れない。

そこで次の目的地の山口大学の学生食堂で昼食にしようと方針を変えた。
山口大学は、南に下って、湯田温泉街から椹野川(ふしのがわ)を越えたところにある。


● 山口大学第2学生食堂 きらら
山口市吉田1677-1

山口では2001年に開催されたきらら博以来、あちこちに「きらら」の名がつけられているが、大学の学生食堂にまで使われている!
僕はハンバーグのランチ、妻はかき揚げうどん。どちらも100円玉数個。学食なんて懐かしい。

■ 山口大学図書館
山口市吉田1677-1 tel. 083-933-5000

山口大学では奇兵隊のことを知りたいと思っていた。
『街道をゆく』の「長州路」に、こういう記述がある。

 奇兵隊というのは、乱暴者ぞろいのように思われているが、その屯営(長州吉田村)の図書館はじつに充実したものであったという。そのことは故青木正児(あおきまさる)博士の、
「奇兵隊の書物」
という一文にくわしく書かれているそうだが、私はその文章を読んでいない。なんでも奇兵隊蔵書というのは、この隊が小倉城を攻めおとしたときに戦利品としてもちかえったものが、その主な部分をなしているという。いまはその一部が、山口大学図書館におさめられているらしい。(『街道をゆく 1』「長州路」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1971。以下引用文について同じ。)

ちょうど大学図書館の一部と、構内にある山口大学埋蔵文化財資料館を会場にして、「時代を旅する書物たち」という所蔵品による企画展を開催中で、『五代史記』など、旧奇兵隊蔵書も数点展示してあった。
小倉藩の丸い「思永館」の印と並んで、四角い「奇兵隊印」が押されている。
「思永館」の印影 「奇兵隊印」の印影

「思永館」の印は、太いのと細いのと2重の円に囲まれ、文字もしっかりしている。
「奇兵隊印」のほうは、囲いの線も文字もへなへなして、それなりに味があるともいえるが、いかにも成り立ちの相違を象徴している。

司書の方に伺うと、旧奇兵隊蔵書が大学にある事情や、山口大学のほかに旧奇兵隊蔵書があるかどうかは不明とのことだった。
貴重書でほとんど公開されない資料とのことだから、展示されている機会に来たのは幸運だった。
山口大学図書館

* JRの山口駅の北に、県庁、市役所、美術館、図書館といった公共施設が集中している。
1つ南西にある湯田温泉駅の北には、温泉街がある。
その2つのにぎわいブロックのほぼ中間あたりに山口情報芸術センターがある。


■ 山口情報芸術センター/山口市立中央図書館
山口市中園町7-7
情報芸術センター tel. 083-901-2222 http://www.ycam.jp/
図書館 tel. 083-901-1040 http://www.lib-yama.jp/

山口情報芸術センターは、展示空間、図書館、映画館などで構成する複合施設で、広い道に面した芝生の公園のなかにゆったりとあった。

山口市立中央図書館

山口市立中央図書館:
まず図書館に入ると、高い天井の下にすばらしい空間が広がっていた。
カウンターの向かい側の壁はきれいな青いキューブが色彩のアクセントになっている。
壁に並ぶ照明の列を眺めると、回廊を列柱が取り囲むウィーンの楽友協会のホールを思い出した。現代建築に古典的な優雅さ、風格の高さを組みこむのは、磯崎新の特徴の1つといっていいと思う。
トップライトからの光が、天井に垂らした白い幕でいったん受けて柔らかくなり、書架の連なりに降りてくる。
全体が吹き抜けの大きな空間だが、一部にある2階部分から見おろすと、書棚ごとの照明が空間の底に並んで、ため息がでるほどの感興を覚えた。そこに並ぶ書に、知や思想や発見や冒険が潜んでいるという期待感がわいてくる。
ほぼ中央に小さな中庭があり、木が立っている。上が抜けているので、雨水が直接降りかかる。呼吸する樹木が、無機質な図書が並ぶ中で生気を帯びているのもいい。
立ち去りがたく魅惑された。

誕生前後の大波乱:
山口情報芸術センターは、メディアアートの先端的施設+図書館の複合施設として建設が進んでいたが、「これでいいのか」ということが2002年の市長選挙の争点となった。
メディアアートというのがよくわからない、建設費も維持費も高すぎるのではないか、という見方が根強くあり、見直しを訴える合志栄一候補が当選した。
新市長は50%ほど進んでいた工事をいったん中断して、市民アンケートや10回の見直し市民委員会を開催した。
見直しにあたっての可能性は4つあった。
 1.解体
 2.他の用途として何でもありで見直し
 3.アート関係で一部見直し
 4.当初計画どおり進める
市民委員会の議論をみると、解体という激しい意見もでたし、高齢化にともなって介護施設が必要だとか、観光のための植物園や湯治場がいいとかの意見もでた。
図書館については賛成意見が多く、県庁所在地で未だに図書館がないのはよくない、全部を図書館にしてもいい、という発言さえあった。

新市長が工事の中断を指示したのは2002年5月13日。
結局、小幅の見直しにとどめて建設は進めることとなり、工事再開を決定したのが8月30日。
およそ3月半工事がとまり、竣工は翌2003年の4月で、11月に開館している。

ところが翌2004年の9月の台風で、屋根が吹き飛ばされて周囲に散乱し、建物内部に雨が降り注ぐこととなった。
建物の完全復旧には数ヶ月を要し、建設に反対した人たちにすれば、やはりよくなかったじゃないか−という思いだったろう。
その後は災害で被害がでるようなこともなく、存在が定着しているようだ。
図書館の美しい空間にひたってみれば、あってよかったものと思う。

● TRATTORIA ANCOLA トラットリア・アンコーラ
山口情報芸術センター内

図書館を出て、センター内のカフェを通り過ぎかかると、ガラスケースの中のケーキに目をとめた妻が僕の袖を引いて、「とってもおいしそう」という。
なるほど見たこともない様子の鮮やかなケーキばかりが並んでいる。
入ってケーキとコーヒーのセットを注文する。

ただ皿にケーキを置いただけではなくて、カラフルに盛りつけてある。
まずこの絵心にちょっと感動。
食べてみても期待を裏切らない。
妻が食べたブラッド・オレンジのケーキは、かなりのヴォリュームのオレンジがそっくり中心を占めている。
僕が食べたキウイのケーキも美味。

トラットリア・アンコーラのブラッド・オレンジのケーキ トラットリア・アンコーラのキウイのケーキ
ブラッド・オレンジ キウイ

店名が「アンコーラ」なので店の人にきいてみると、やはり今日の最初に向かったピッツェリア・アンコーラと同じ経営で、忙しいので今はこちらに集中しているとのこと。今日のはじめにはずれたのを回復したことになる。
明日のランチにも来られたらいいのだが、道順からすると難しそうなのが惜しい。

■ 袖解橋

情報芸術センターのある中央公園から南東へ椹野川(ふしのがわ)に向かうと、途中に袖解橋の石碑がある。地方から山口に登城する侍が、ここで旅装の袖のくくりを解き、身づくろいをしたといういわれの地。
須田剋太が挿絵に描いているが、絵と写真では石碑のまわりの風景が違う。
道路が拡幅されたようで、絵の中央にある家が解体され、さらに石碑じたいもいくらか場所を移されたのかもしれない。
(追記:2017年6月撮影のGoogleのストリート・ビューを見ると、右の写真で石碑の向こうにある倉庫か事務所かと思える建物が解体されて、石碑の裏手−この写真では右方−がかなり広い空き地になっている。)

須田剋太『山口市袖解橋跡』 2011年の袖解橋
須田剋太『山口市袖解橋跡』

近くに「井上馨侯遭難之地」の碑がある。『街道をゆく』では、井上馨が反対派から受けた攻撃と、その後の治療のすさまじかったことが書かれている。

* しだいに湯田温泉の中心に近づき、宿に入る前に中原中也の記念館に寄る。

■ 中原中也記念館
山口市湯田温泉1-11-21 tel. 083-932-6430

文学のミュージアムは、絵や彫刻のようには作品そのものを鑑賞しにくく、見せようが難しい。でもここでは、はっとさせるしかけがいろいろあって、いい記念館だった。 中原中也記念館

● 松田屋ホテル
山口市湯田温泉3-6-7 tel. 083-922-0125
http://www.matsudayahotel.co.jp/

古い湯:
湯田温泉は、温泉街といっても、浴衣に下駄でカランコロンと散歩するようなのではなくて、センターラインがある道を車が走る市街地で、松田屋は道が交差する角にあった。
田んぼの中にポツンと松田屋が目立っている古い写真をみたことがある。写真がある時代になってもそんなだから、長崎や京都を行き来した坂本龍馬が長州での宿にしていた頃も、もちろん広々とした風景だったろう。
ずいぶん時間が流れたのに維新の頃に龍馬たちが入っていた風呂が残っている。石の浴槽につかって古い木の天井を眺めていると、遙かな思いにとらわれる。

歴史の流れのなかにある宿:
『龍馬が行く』を書いた司馬遼太郎も『街道をゆく』の取材でこの宿に泊まっている。週間朝日に掲載されたのが1971年だから、40年以上も前になる。
司馬がこの宿について書いた文章が、しっかりした板に刻まれてバー&カフェの1室に掲げてあった。ほかに、高杉晋作だの伊藤博文だのが書き残したものも展示してある。
明治維新前からの歴史的遺物と同じく司馬遼太郎の足跡も位置づけられて、長く続けてきた宿ならではの歴史意識が感じられる。
すごい遺産だが、これみよがしではなく、ディスプレーが上質でセンスがいい。
説明などを記したキャプションも適確だし、きちっと水平に置かれている。水平に置くなど当たり前でたいしたことはないようだけれど、ちょっと斜めなだけで全体の信頼をそこねることになる。

『街道をゆく』のこのときの旅には、風間完という画家が同行していた。
その風間氏が、この宿で部屋に入ると「オカシイところがありませんね」と言い、まずだされたアズキ入りの菓子を食べて「この菓子の大きさもちょうどいい」と言う。
 風間さんは、宿というものはね、という。いくら成金が大金を積んで高名な設計者に設計してもらっても、大工が悪かったりしてどこかオカシイところが出てくる。たとえ建物にオカシイところがなくても、出てくる菓子の形が変だったり、畳のへりが目をむいたようにキンキンしていたり、植込みの刈り方が俗だったり、建物に調和しなかったり、「かならずオカシイところがあります」という。
「それがすこしもない。こういう宿はそうありませんよ」
 といった。それは(中略)何代もかかってオカシイところを直してゆかなきゃこうはいきません(中略)ともいった。

僕らが部屋に入ったときは、抹茶となまの外郎(ういろう)を供された。旅館の部屋に置かれている菓子は長持ちするものがふつうだろうけれど、なまの外郎はとても賞味期限が短い。
それに抹茶まで。
僕も着いてすぐのこのもてなしに感嘆していた。
菓子だけでなく、宿で時間をすごしていて、目にするもの、口にするもの、あれこれについて、なるほどそうだと風間完氏の言葉に納得する思いだった。

ふぐ:

夕食には、山口の酒を飲みながら、うの花和えの先付からデザートにいたるまで、味も盛りつけもバランスも量もみごとな料理をいただいた。
なかでも地元の名高い河豚(ふぐ)。さすがという思いにひたりながら味わった。鍋と唐揚げにしてあったが、どちらもやさしくふくよかで、舌が感触と味とを覚えてしまった気がする。

仲居さんはアーティスト:
食事をあげさげの折りごとに、仲居さんから山口のことをいろいろ教えていただいた。
アート系の人でもあって、山口情報芸術センターのイベントにも関わっていられる。ご主人は映像作家で、中原中也記念館で放映されていた中也の紹介の映像も作られた方とのことだった。
情報芸術センターや、これから行く予定の秋吉台芸術村の様子、図書館が市民に親しまれていること、宇部のときわ公園で鳥インフルエンザが発生して残念なこと、アンコーラの建築家のこと、酒に外郎に河豚のことなど、こちらの人にきいてみたかったことがあらかた尽くされた思いがした。
ひと晩過ごして振り返ってみれば、市の図書館でより、宿で得たことのほうが広く深く楽しかった。

須田剋太『山口市湯田温泉街』 2011年の松田屋からの眺め
須田剋太『山口市湯田温泉街』 松田屋からNTT方向の眺め

『街道をゆく』の「長州路」の回では、須田剋太は司馬遼太郎には同行していなくて、別に出かけて絵を描いた。
湯田温泉で残した上の絵はどこで描いたか?
右の写真は僕らが泊まった部屋からNTT(当時は電電公社)の塔の方向を眺めたところ。
大きなビルと繁った木々が塔も家の屋根も隠しているが、この部屋(あるいは同じ並びの部屋)から描いた可能性が高い。

松田屋の庭 朝の庭:
翌朝にはまた風情のある湯に入ったあと、庭を散歩する。池には温泉からの流れがひかれていて、湯気をたてている。小さな滝までがほんわりと湯煙にくるまれていた。

朝の食事もよかった。温かいものは温かく、十分に尽くしてあって過剰ではない。
僕が泊まる宿としては高額なほうだったが、とんでもない額ではない。むしろ得られた満足度に比べれば安く感じられるほど。
その点も含めて、僕の旅の経験のなかで最高といっていい宿だった。

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第2日 雪の雪舟庭、姿を変えた教会、船乗りの宿 [常栄寺雪舟庭 瑠璃光寺 山口サビエル記念聖堂 山口県立美術館 山口県立図書館 シーサイドホテル宇部(泊)]

* 2日目は、山口市内を回ってから、周防灘に面したレストランで食事をして、宇部に泊まる予定。
朝、湯田温泉の宿を出て、車を走らせ、山口市街を東に抜けて、まず最初の目的地の常栄寺に行った。

■ 常栄寺雪舟庭
山口市宮野下2000-1-1 tel. 083-922-2272

常栄寺には雪舟が作ったといわれる庭がある。
本堂から、池をめぐる庭の向こうに歩いて、本堂を振りかえって見る構図の絵を須田剋太が描いている。
数日前の雪がまだ残っていて、庭を巡る道は立入禁止で、絵をかいたのと同じ位置には立てなかった。

須田剋太『山口市常栄寺雪舟庭』 常栄寺雪舟庭
須田剋太『山口市常栄寺雪舟庭』
池の向こうから本殿を見返す
本殿の前から庭を眺める

* 市街地に戻ると、市街地に入りきる手前に瑠璃光寺がある。

■ 瑠璃光寺
山口市香山町7-1 tel. 083-922-2409

瑠璃光寺では、ほかの建物が失われたが、唯一残った1442年築の五重の塔が国宝に指定されている。ちょうど山口各地で開催中の「山口お宝展」にあわせて、塔の四方の扉を開く特別公開が行われていた。
中心部の柱の内部にびっしりと書物が詰まっていた。

『街道をゆく』の「長州路」で司馬遼太郎が瑠璃光寺を見に行ったときはひどい雨で、宿からタクシーを呼んで出かけている。
この旅では須田剋太は司馬遼太郎と同行しないであとで別に出かけ、雨とは無縁にのどかに描かれている。
司馬遼太郎は瑠璃光寺のほかは山口市内をほとんど素通りしていて、上にある常栄寺も、このあとにある山口サビエル記念聖堂も、司馬の文章には現れない。

須田剋太『山口市瑠璃光寺』 瑠璃光寺
須田剋太『山口市瑠璃光寺』

■ 憲政資料館(旧山口県庁)
山口市滝町1-1

憲政資料館の天井のデザイン もと山口県庁と県議会が保存・公開されている。
武田五一と大熊喜邦の設計による1916年の建築。県庁内は各室の天井が大胆な模様を描いていて驚かされた。天井フェチといえるほどに、どの部屋でも天井の意匠に大きなエネルギーをそそいでいる。

低層の旧県庁のうしろに、高層の現県庁があり、さらにその背後には低い山が迫っている。
このあと美術館や博物館が集中している一帯を歩いたのだが、公共建築が木々に囲まれ、ゆったり配置されている。
県庁など主要官庁はにぎやかな市街にあることがふつうなのに、この県庁所在地の様子はとても独特で、異国の風景のようだった。

この駐車場に車を置いて、中心地を歩いて回った。

■ 山口県建設技術センター(旧・山口県立山口図書館)
山口市春日町8-2
http://www.yama-ctc.or.jp/

県庁から広い通りを地下道でくぐって春日山公園に入ると、ほとんど正立方体の建築がある。
1928年に建った、もと山口県立図書館で、今は県と市が出資して設立した建設関係の財団法人が使っている。
休日でもあるし中は見えない。
旧・山口県立山口図書館

公園の一帯に新旧の県立図書館施設があってややこしいので整理してみると、
1903 最初の県立山口図書館が新築開館。
1918 3階建レンガ造りの書庫を増設。
   (今は「クリエイティブ・スペース赤れんが」)
1929 春日山に新築移転。
    のちの昭和天皇が皇太子時代の山口訪問が契機。
    (今は「山口県建設技術センター」。書庫と離れた。)
1973 元あったあたりに新築移転。点字図書館、文書館を併設。
    (ふたたび書庫に近づいた。)
2003 (山口市立中央図書館が開館)

■ 防長先賢堂

春日山に上がる道を行くと、神社のような、寺のような、古典的意匠の小さな建物が現れてきた。「行啓記念 防長先賢堂」と大きな石に刻んであるが、使われている気配がない。 防長先賢堂

1928年に、県立図書館と同じく皇太子来訪記念に建設され、「防長(周防と長州)の先人を慕い、それに続く今の人たちに精神修養を勧める」というもの。第2次大戦後は倉庫に使われるなどして、今はひっそりとただ存在しているようだ。
県庁などからごく近い街の中心部に、こういう建物がひっそりと隠れているのが県庁所在地山口の独特なところ。

■ 山口サビエル記念聖堂
山口市亀山町4-1 tel. 083-920-1549
http://www.xavier.jp/

春日山の南にも亀山という小さなコブがあり、回りこんでいくと、教会とその前の広い広場を見おろす位置にでた。

須田剋太が『シャピエル記念聖堂』と題した絵を描いている。
絵では正面両脇に2本の塔があり、先端は三角形に尖っている。
ところが今、目の前にある塔は、同じように2本あるが、四角で、最上部は水平になっている。
本体の建築もまるで様式が違う。
画家がイマイネーションで変形して描いたろうか?
僕らが須田剋太が描いたのとは別な所に立っているだろうか?

須田剋太画『山口市大内文化の遺跡シャビエル記念堂』 山口カトリック教会サビエル記念聖堂
須田剋太『山口市大内文化の遺跡
シャビエル記念堂』

聖堂に入ってみると、1階がサビエルの足跡などを紹介する記念館になっている。見ていくうちに、尖塔がある教会が炎上する映像が放映されていた。
1991年に火災で焼失し、今の教会は1998年に竣工したものだった。
サビエルが来日したのが1549年。前の教会が建ったのはおよそ400年後の1952年。
須田剋太が描いたのは1970年だろうから、それからおよそ20年経って焼失した。
僕らが来たのはさらに新しいのに建て替わって10年ほどあとになる。
今の教会は現代的センスですてきだが、前の古典的つくりの教会も重みと風格があって、いい感じだったようだ。

■ 山口県立美術館
山口市亀山町3-1 tel:083-925-7788
http://www.yma-web.jp/

春日山の斜面を降りて美術館に行く。
横長の直方体に中央の入口から入る。右に常設展示。左に企画展示。
右の常設区画では「吉祥の花鳥画」を集めたコレクションによる展示、左では山口大学卒業制作展を開催中だった。

建物に並行して細長い庭があり、野外彫刻を置いてある。土曜日の昼近くなのだが、どこもひっそりしていた。 山口県立美術館

いくつもの図書館を手がけた鬼頭梓の設計で(1979)、すぐ近くに同じ建築家による県立図書館(1973)がある。1つの都市で図書館と美術館を同じ建築家が設計しているのは珍しいと思う。

* 昼どきになったが、公園の中に公共建築が点在するあたりには食事の店が見あたらない。駅の近くならあるだろうと、公園地区を抜けて山口駅に向かった。

● めん房だしまる
山口市駅通り1-5-17  tel. 083-920-5511

めん房だしまる ところが、駅付近もとてもジミで、県庁所在地の駅とは思えない。昔っぽい小さな店がポツンポツンとあるばかり。
ようやく入ったうどん屋さんの昼定食は580円。そばかうどんのほかに、皿1枚をとって、幾種類か並ぶ総菜から好きなようにとっていいというシステム。

簡素だが、めんはしっかり作られたものでおいしかった。今夜の夕食はやや高額になりそうだから、金額のバランスもとれて、いい店にあたった。

● 御堀堂(みほりどう)
山口市駅通り1-5-10 tel. 083-922-1248
http://mihorido.com/

御堀堂 すぐ近くにある山口名物の外郎(ういろう)の専門店に寄ってみやげを買った。

■ クリエイティブ・スペース赤れんが(旧県立図書館書庫)
山口市中河原町5-12  tel. 083-928-6666

1918年に建った書庫が、市民の10年近い保存運動がみのって、文化施設として1992年に再生した。れんがの旧書庫を鉄骨で補強したうえギャラリーにし、事務棟を増設している。
駅から遠くないし、公園内にあって、使い勝手がよさそうだ。
れんが造りの図書館の書庫を改造したギャラリー

■ 山口県立山口図書館
山口市後河原150-1  tel. 083-924-2111
http://library.pref.yamaguchi.lg.jp/

山口県立山口図書館の正面

鬼頭梓の図書館建築:
公園の木立の間を近づいていくとレンガ色の建築が現れてくる。
緑の木々−レンガふうの打ち込みタイルの組み合わせは、鬼頭梓の師の前川國男の特徴といっていい。

僕は前川國男が設計した博物館に4年いた。小規模な博物館だったので、かえっていっそう親しみをもってなじんでいた気がする。あいた時間があると、吹き抜けを眺めたり、細部に寄り添ったりして、前川國男の建築にひたっていた。
このところいくつか鬼頭梓の図書館建築を眺めてきたが、ここは前川國男から受け継いだものがかなりストレートに現れているように感じた。打ち込みタイルという外側の表情だけでなく、前川らしい空間の立ち上げ方というか、風合いというか。

山口県立山口図書館の閲覧室 閲覧室では、スロープの向こうに書架が並び、トップライトからの自然光と、ルーバーを通して届くぼわっとした人工の光の輪の連続が室内を明るくしている。この光源は何だろうと真下から見上げると、蛍光灯がある。
(どう交換するのか尋ねてみたら、いくつかある点検口から職員が天井に上がって、腹ばいで進んで交換するとのこと。見えない苦労がしのばれる。)

全体の容量としては、古い歴史と豊かな蔵書をもつわりには、狭いように感じた。

奇兵隊蔵書:
奇兵隊について、青木正児の「奇兵隊の書物」という一文があると、司馬遼太郎が『街道をゆく』に書いている。
青木正児(あおきまさる 1887-1964)の全集の著作目録によると、奇兵隊について書いているのは、
・『奇兵隊の戦利品』1952.12 西日本新聞
・『奇兵隊の読書欲』1953.10 日本読書新聞
の2つがある−ということまでは、山口に来るまでに調べてあった。
青木の専門は日本史ではなく中国文学で、下関出身の人だから郷土のことを軽く随筆ふうに書いたもののように思える。

日本読書新聞はことさら山口の図書館でなくてもいいけれど、西日本新聞はこちらでなら簡単に見られるかもしれないと、レファレンス担当に行って、こういう事情でこういう新聞を見たいときいてみた。
でも、西日本新聞は九州・福岡の新聞なのだった。
この図書館では、1953年から全部あるが、それ以前は山口地方版きりないとのこと。目的の記事が地方版に掲載されている可能性はあるが、この先の行程を考えると、実物をめくって探していては時間がきつい。福岡県立図書館では西日本新聞の記事のデータベースをもっているから、そこからわかるかもしれないといわれる。あとでそちらをのぞいてみるかなということにする。

ところが、上記の新聞に寄稿したおそらく短いエッセーふうと思われる文章のほかに、そもそも奇兵隊についての文章があると教えられた。
郷土史家の小川五郎の著作をまとめた『防長文化史雑考』という本があり、その中に『奇兵隊と思永館本』という6ページの文章がおさめられていた。
戦いに勝って奪ってきた戦利品としての図書といういわれについての説明があり、思永館と奇兵隊の印が並んで押されて、「往々県下の諸文庫や蔵書家に愛蔵され珍重せられている」とある。
山口県内での所蔵状況も記録されていて、なんと山口県立図書館でも、3件247冊を所蔵しているのだった。
司書に教えていただいたところでは、図書原簿に明治末期や大正の初期に購入したという記載があるとのことだった。購入先もわかっていて、蔵書家か古書店かもしれない。
山口大学で奇兵隊蔵書の実物を見て終わりにしていたら、ここまでわからないところだった。

さすがに歴史のある図書館だと感じ入った。
さらに、古い資料をもつばかりでなく、山口市中心市街地で開催された「空き店舗活用プロジェクト」に参加して商店街に出張図書館をだしたり、山口商工会議所の観光キャンペーン「山口お宝展」にあわせて特別展示をしたり、元気がいいのは奇兵隊精神を継いでいるかもしれない。

■ 山口県警察体育館
山口市後河原片岡237

車を置いた憲政資料館に戻る途中に、古めかしくいかめしい大きな建造物があった。
戦前の1930年に、武道と精神鍛錬の場として建てられた大日本武徳会山口支部で、今は県警の体育館になっているらしい。
山口県警察体育館

朝、常栄寺に車で向かうときにも通りかかっていた。周囲の扉を開けはなって少年たちが剣道の朝練習をしていて、寒そうだなと思いながら通り過ぎた。中国地方の建築案内の本によると「建物内に一歩足を踏み入れるとその優雅な大空間に圧倒されそうである」とあった。朝、開いているときに見ておくのだった。

■ 維新百年記念公園
山口市維新公園4-1-1

宇部方面に向かう途中で、ふたたび湯田温泉を通り抜けたあと、道の途中に公園があったので寄ってみた。
2011年秋に開催される山口国体の会場になる陸上競技場を建設中で、長いフェンスを巡らした向こうに、高いスタンドの上部がのぞいていた。

* これから行く宇部市は、山口市の南西にある半島部のほぼ南端にある。
でも宇部市を通りこして、半島の西岸にでた。


■ きららガラス未来館
山口県山陽小野田市焼野海岸 tel. 0836-88-0064
http://www.onodaglass.jp/

海に面して隈研吾の設計によるシャープな建築があり、入ってみると、ガラス制作の工房と、展示施設と、ショップになっている。
工房では、赤く熱したガラスを次々にとりだして作品を作っているところだった。
きららガラス未来館(隈研吾)

● デル・ソル・ポニエンテ
山口県小野田市きららビーチ焼野 tel. 0836-89-0080
http://www.sol-poniente.co.jp/

今夜は宇部に宿をとってあるのに、通り越して西の海岸まで行ったのは、このレストランが目当て。
夕日がきれいで、隈研吾設計で、となると、遠回りになってもはずせない。
海側は一面の大きなガラスで、それを鉄骨と地元の土を焼いた有孔レンガで支えている。
この建築は「海/フィルター」と名づけられているが、水と一体になる感覚は、「水/ガラス」と名づけられた熱海にある企業の保養所を思わせる。
透明で、浮いている感覚のレストランということでは、高知県梼原町の「雲の上のホテル」を思い出した。

デル・ソル・ポニエンテ(隈研吾) 左に海がある。
ガラスの壁に夕焼けの雲と海が映っている。

あいにく空気がかすんで、対岸の門司あたりの陸地は見えるが、そこから近くにあるはずの北九州空港がわからないし、飛行機の離着陸も見えない。
間近の水と広い空がしだいに暗く沈んでいくのを眺めながら食事を楽しんだ。

● シーサイドホテル宇部(宇部海員会館) [河口ビューイング/真締川]
山口県宇部市港町1-12-12

宇部海員会館は船の形


宇部港に真締川(まじめがわ)が流れこむあたりに今夜の宿がある。
船を模した外観で、部屋の窓も船室のように丸い。


船室のような丸い窓から港が見える それで部屋からは、こんなふうに港が見える。
すぐ右が真締川の河口で、宇部港に流れこんでいる。

部屋にはお湯も冷蔵庫もないかわりに、ロビーのフロントわきに大きめの冷蔵庫があり、「名前を書いていれてください」と張り紙がある。
冷蔵庫の上には電子レンジ。
とても合理的。

すぐ近くでは古びた家がバーになっていて、そこだけわびしくネオンがともっている。さすが港町で、旅にはこういう風情もいい。
フロントをまかされているのは定年退職後らしいご夫婦。「海員会館は初めて?」ときかれて、「広島に泊まったことがある」といったら、「あそこは数年前に閉めた」とのこと。質素だが港に近いので翌朝早くの船に乗るのに便利だった。惜しい。
暖房が弱くて、ちょっと寒かった。毛布にくるまって眠る。
(追記:2018年4月撮影のGoogleのストリート・ビューを見ると、ホテルは解体され更地になっていた。)

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第3日 秋吉台から川べのレストラン  [秋吉台 宇部市立図書館 ノエル]

* 第3日は、『街道をゆく』からは離れるのだが、山口宇部空港から帰る前に、北部の秋吉台に行き、ふたたび宇部に戻って市内をめぐり、空港から羽田行きの便に乗って帰った。

■ 秋吉台展望台


2月の曇った朝の秋吉台はさむざむした風景だった。
秋芳洞は、地下の洞内を急流が音を立てて流れていて、迫力に圧倒された。時間の蓄積、自然の大きさに感じ入る。(写真は、川が洞窟から外に流れ出るところ。)
秋芳洞。洞窟から外に川が流れ出す。

 秋吉台国際芸術村
山口県美祢市秋芳町秋吉50番地 tel. 0837-63-0020
http://www.aiav.jp/home.php

音楽、美術、ダンス、演劇など、アート全般を対象にした施設で、アーティスト・イン・レジデンス(滞在型創作活動)を可能にする宿泊施設もある。
磯崎新の設計で1998年にできた。
2002年、山口市に情報芸術センターを建築中に見直しの動きが起きたとき、設計者が同じ磯崎新でもあり、こちらの建設費や稼働率がしばしば引き合いにだされた。

滞在型、広い分野のアートを対象にしている、磯崎新の設計といったことから、開館のころからアート関係ではしばしば話題にのぼり、注目されていて、僕もいつか行こうと思っていた。
ようやく実際に来てみてわかったことの1つは、「遠い」こと。
山口にも宇部にも遠い。大観光地の秋吉台からでも4kmほどだったか、遠いとまではいわなくとも、ついでに気軽に寄ってみるという距離ではなかった。
周囲を歩き回ったわけでもなく土地勘もないから不確かだが、谷間に位置して閉じた環境にあるようだ。施設内はよく整備されているとしても、アーティストにとって魅力的な土地に感じられるかどうか。

建築の見学はOKで、受付で手続きをすると施設についての簡単な資料を渡される。
鍵がかかっているホールだけは職員が同行してあけてくれる。
薄黄色で、秋芳洞の千枚田をイメージした座席に、上から垂れる鍾乳石をイメージした照明具。何だか絵解きみたい。
このあとは自由に施設内を見て回る。
スタジオでは楽器の練習をしている人がいた。
カフェでは、「いただ着ます」という展示をしていた。食材をイメージする服を作るワークショップの発表展示で、ちょっとおもしろい発想のがあった。

他にほとんど人がいなかったし、何だか寂しいところだった、という印象が残った。 秋吉台国際芸術村

* 40キロほど走って宇部市街に戻った。

■ 宇部市渡辺翁記念会館
山口県宇部市朝日町8-1 tel. 0836-31-7373

1937年に竣工した村野藤吾の代表作の1つで、国の重要文化財になっている。
「渡辺翁」と冠した公共施設名も風変わりで、ずっと見に行きたいと思っていた。
「渡辺翁」というのは、宇部市の発展の根幹となった宇部興産の前身となる沖ノ山炭鉱、宇部新川鉄工所、宇部セメントなどを創業した渡辺祐策(わたなべ すけさく1864 - 1934)のこと。
この会館は「渡辺翁」が関係した7事業各社の寄付で建てられた。

宇部線の線路のそばの公園の中に悠然とあった。
こういうホールなら公開のイベントでもしていれば入れるが、この日は政党の集会があり、残念ながら中に入れなかった。
宇部市渡辺翁記念会館

* 広い通りを南東に進んで真締川(まじめがわ)の橋を渡ると、右側に市立図書館がある。

■ 宇部市立図書館
山口県宇部市琴芝町1-1-33 tel. 0836-21-1966
http://www.city.ube.yamaguchi.jp/kyouyou/toshokan/index.html

ここにも宇部興産の恩恵が届いていて、「渡辺翁記念文庫」と「渡辺翁絵本文庫」がある。
「記念文庫」は高価な美術関係図書が中心、「絵本文庫」は幼稚園や保育所を対象にした読みきかせのための図書で、2006年に一括寄贈されたあと、毎年それぞれに50万円ずつの購入費が贈られている。

ここで『ときわ公園物語 常盤湖築堤三百年』という本を見つけた。ときわ公園は今の宇部市創成に関わる場所で、耕作に適しない土地の改良、石炭の発見、彫刻によるまちづくり、黒い石炭と対比した白鳥を中心にした動物との関わりなど、宇部に関わる物語が集約している。この本ではそうした章立てをして、縁の深い人が執筆している。こういう本は外にいてはなかなか目に入ってこないが、図書館の書架でいい本に出会えた。
レストランを予約した時間が迫っていて、読んでいる時間はなく、書名をメモして図書館を出た。
(あとで古本サイト経由で手に入れた。
『ときわ公園物語 常盤湖築堤三百年』ときわ公園物語編集委員/編 宇部観光コンベンション協会/刊 1998)

* 真締川をさかのぼった次の橋の角にレストランがある。

● ノエル
山口県宇部市小串402 BOX2 101 tel. 0836-31-1118

ノエルの薄いテーブル(石上純也) ここの目当てはこのテーブル。

デザインしたのは石上純也で、このレストランのテーブルを作ったのをきっかけに妹島和世の事務所から独立。注目作を次々に作って、2010年にはヴェネツィア・ビエンナーレの国際建築展で金獅子賞を受けている。
テーブルの天板は、真横から見たら一本線に見えるほど薄いし、脚もとても細い。合板と鉄板という固い素材を使っていても、これだけの大きさになるとへこんでしまう。構造解析をして天板も脚も曲げて作っておいて、置いたときに水平と垂直になるように作られている。単純で複雑、モノの驚きにみちているのに、モノとしての重い存在感がない。
建築家の意識では、天板は屋根、脚は柱に見立てることができるから、テーブルは原初的な建築なのだという。
今は料理を食べるのには使われていなくて、ワインの瓶や、グラスや、パスタをのばす器械などが置かれている。こういうテーブルを機縁に建築家が巣立っていくことがあるのかと感慨する。

そんなわけで、食事については(失礼なことだが)ついでにそこですませようくらいの感じだったのだが、料理を目当てに来てもいいほどにおいしいものだった。
 手長えびのシンプル焼き。
 マッシュルームのスープ。
 下関ふぐにシナモンほかのソース、つぼみ菜・菜の花添え。
 デザートに、妻はチョコのムワール。
 僕はクレームブリュレ。
素材をシンプルに生かしていて、味わいが深い。

サーブされる奥さんは好感だし、テーブルを見たいので遠くから来たことを話すと、料理を作るご主人もでてこられて、このテーブルについての大きな特製の図版集まで見せていただいた。
石上純也とは、東京で料理の修行中に親しくなり、宇部に戻ってレストランを開くのにあたってテーブルが作られたとのこと。
図版集には、そのMotonori Hirataさんへの謝意が記されている。
期待した以上の、楽しくたっぷり満ち足りた時間になった。

近くに犬彫刻があると教えられたので、橋を渡って対岸に行ってみた。
山口大学医学部と川を隔てた反対側が公園になっていて、大きな犬の首があった。
作者は犬の作品で知られる吉野辰海で、これほど大きな首だけというのはちょっと不気味だが、真っ直ぐ遠くを見つめてりりしくもある。

■ 興産大橋 [河口ビューイング/厚東川(ことうがわ)]

秋芳洞を流れる川は、やがて厚東川となってで周防灘に注ぐ。
ところが河口の両側は、宇部興産の広い私有地になっていて近づけない。
両端を結ぶ興産大橋も私道であり、渡れない。
そもそも北部の石灰岩産地とここの工場を結ぶ「宇部興産 宇部・美祢高速道路」が、30km近い私道で、とにかく私企業のスケールが大きい。
旅先では、できるだけ河口を見にいきたいと思っていて、こんな珍しい河口はぜひ見たいのだが、近寄りがたい。

朝、シーサイドホテル宇部の受付の人に教えてもらったところまで車で行ってみた。地図上では妻崎開作という地名になっている。
水門の先に、ゆるい勾配の橋がかすかに見えた。
厚東川の河口の興産大橋

明治30年の地図で見れば海岸線だったところに立っていることになる。
宇部は(宇部興産が、といってもいいのだろうが)海に向けて土地を広げてきた土地だということをあらためて実感する。

* 山口宇部空港の近くに常盤公園がある。
宇部興産の創業者、渡部祐策が土地を寄贈してできた公園で、宇部市の形成に関わりが深い
大きな池の周囲に緑地やミュージアムがあり、宇部は早い時期から彫刻をまちづくりの一環として位置づけてきた都市で、公園内にいくつかの彫刻が置かれている。
空港に向かう前に寄り道したいと思っていたのだが、あいにく鳥インフルエンザが発生して閉鎖されていて行けなかった。

山口宇部空港から羽田空港に飛ぶ。
半年ほど前に開業した羽田空港国際線ターミナルに寄って食事をして帰った。
県庁所在地の山口市の特異な風景。
『街道をゆく』から外れるが、宇部市も、市内をヤシの木が並ぶ広い通りが走り、市街の近くで高い煙突から煙がでていて、独特な都市の表情をもっていた。
「もう一度来たい」と思わせるところがいくつもある楽しい旅だった。


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参考:

  • 『街道をゆく 1』「長州路」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1971
  • 『時代を旅する書物たち』 山口大学図書館山口お宝展ワーキンググループ 2010
  • 「スローな図書館ライフのすすめ」根ヶ山徹 『山口大学図書館報』 2006.6 vol.73
  • 『山口正児全集』 山口正児 春秋社 1983-84
  • 『山口サビエル記念聖堂 山口カトリック教会 聖堂再建記念』 山口サビエル記念聖堂 1997
  • 『建築グルメマップ4 中国・四国を歩こう!』 市川幹朗編 エクスナレッジ 2002
  • 『写真集明治大正昭和 山口』 内田伸/編 国書刊行会 1979
  • 『写真集明治大正昭和 宇部』 上田芳江/編 国書刊行会 1979
  • RUNGRAPH DIGITAL DESIGN(ラングラフ・デジタルデザイン)
      代表者 : 田邊アツシ  http://www.rungraph.com
  • 『宇部興産創業百年史』 百年史編纂委員会/編 宇部興産 1998
  • 『ときわ公園物語 常盤湖築堤三百年』 ときわ公園物語編集委員/編 宇部観光コンベンション協会/刊 1998
  • 『ちいさな図版のまとまりから建築について考えたこと』 石上純也 INAX出版 2008
  • 2泊3日の行程(2011.2/18-2/20) (−レンタカー …徒歩 >飛行機)
    第1日 羽田空港>山口宇部空港−ピッツェリア・アンコーラ−山口大学学生食堂(昼)・山口大学図書館−山口情報芸術センター・山口市立中央図書館・トラットリア・アンコーラ…袖解橋…山口情報芸術センター−中原中也記念館−松田屋ホテル(泊)
    第2日 常栄寺雪舟庭−瑠璃光寺−憲政資料館(旧山口県庁)…山口県建設技術センター(旧・山口県立山口図書館)防長先賢堂…山口サビエル記念聖堂…山口県立美術館…めん房だしまる(昼)…御堀堂…クリエイティブ・スペース赤れんが(旧県立図書館書庫)…山口県立山口図書館…山口県警察体育館…憲政資料館(旧山口県庁)−山口きらら博記念公園スポーツライブラリー−きららガラス未来館−デル・ソル・ポニエンテ(夕)−真締川河口−シーサイドホテル宇部(泊)
    第3日 秋吉台・秋芳洞−秋吉台国際芸術村−宇部市渡辺翁記念会館−宇部市立図書館−ノエル(昼)−興産大橋・厚東川河口−ヒストリア宇部(旧宇部銀行本店)−山口宇部空港>羽田空港