みなとまちを歩く-「神戸散歩」1


京都、大阪、神戸と3都をめぐった。
最終3日目には、『街道をゆく』「21神戸散歩」の地を歩いた。

第1日 京都嵯峨 [渡月橋 西山艸堂 松尾大社 心斎橋(泊)]  
第2日 大阪 [司馬遼太郎記念館 喫茶美術館 心斎橋(泊)] 
第3日 神戸 [芦屋市立美術博物館 マキシン 南京町・老祥記 北野・英国館] 

* 第1日は→[雨の嵐山-「嵯峨散歩」1]
第2日は、大阪に行き、司馬遼太郎と須田剋太ゆかりの記念館と美術館に寄った。
神戸については、別な日に布引の滝などを歩いたことがある。→[みなとまちを歩く-「神戸散歩」2]

第3日 神戸 [芦屋市立美術博物館 マキシン 南京町・老祥記 北野・英国館]

* 神戸に行く前に芦屋に寄り道した。
大阪から阪神電車で芦屋で降りる。芦屋市立美術博物館には、バスで往復した。



■ 芦屋市立美術博物館
『ゲンビ New era for creations – 現代美術懇談会の軌跡1952-1957』展

兵庫県芦屋市伊勢町12-25
tel. 0797-38-5432
芦屋市立美術博物館

現代美術懇談会(ゲンビ)は、1952年秋に大阪で創立された研究会で、須田剋太も設立から関わっていた。
展覧会はゲンビに関する精細な紹介で、ゲンビが大阪市立美術館の講堂をつかったときの使用料の領収書まで展示されていた。こんな資料まで展示する企画者の目配りもだが、そもそもアーティストが集まったグループでこういう会計書類まで保存してあることに驚かされる。
ゆっくり見てたのに、その間に美術館の人のほかには、ひとりも出会わなかった。今、「具体」や「ゲンビ」では親しまれるのは難しいのかもしれない。存続で揺れたことがある美術館だが、がんばってほしいと思う。

* 阪神芦屋駅から三宮駅へ。コインロッカーに荷物を預ける。ロッカーはたくさんあるのに、あいてるのを見つけるの苦労した。さすが神戸。

■ マキシン
兵庫県神戸市中央区北長狭通2-6-13マキシンビル1階 
tel. 078-331-6711

須田剋太は『街道をゆく』「神戸散歩」で、『神戸トアロード帽子店』を描いている。
トアロードにはマキシンという有名な帽子店がある。絵のとおり入口の左右にショーウインドーがあり、ここのことだろう。

神戸 マキシン 須田剋太『神戸トアロード帽子店』
須田剋太『神戸トアロード帽子店』

1940年創業で、こういうオシャレな店が戦争に向かう窮屈な時期に生まれたということが不思議だ。店名は"maxim"で、「最上のもの」を意味している。あちこちのデパートにも店を出しているが、帽子はこのトアロードにある本店ビルの上の階で作られているという。
ショーウインドーをのぞくとすてきなのが並んでいる。
中に入るとしとやかにディスプレーしてあって、店内の空気が外と違うかのよう。
店員の女性も優雅な人で、妻はあれこれ相談したうえ、ひとつ買う。
『街道をゆく』の「仙台・石巻」で、司馬遼太郎は
娘さんがあたらしく洋服を買ったとき、それを着てあるく場所が、たとえ300メートルでもあるというのが都市である。(『街道をゆく26』「仙台・石巻」 司馬遼太郎)
と書いている。
神戸はマキシンで買った帽子をかぶって歩くのにいかにもふさわしい街だろうし、マキシンは神戸にあるべくしてある帽子屋といっていいのだろう。
帽子を買ったとき、店員さんに須田剋太という画家が『街道をゆく』の挿絵でここを描いていると、絵の写真を見せると、「いいものを見せてもらいました」と上品な笑顔をされた。

● 明石焼き

南京町に向かう途中で見かけた店に「神戸づくし」というのがあって入った。

明石焼き 神戸牛ステーキ、明石焼き、神戸ワインがセットになって1300円。単品の組み合わせだと1900円のがお得になっている。
明石焼きはたこ焼きと似たふうだが、タコがひとかけら入っているだけ。衣に卵をたっぷり使って柔らかくしあげてあり、たれをつけて食べる。

明石焼きのことを開高健はこう書いている。
細胞核として一片のタコが入っているきりで、それも口のなかへ入れてからモグモグと舌や歯でさぐってみなければあるともないともわからないほどの小ささである。ほかに何も入っていない。あたたかくて、柔らかくて、軽快な衣がくにゃくにゃと舌のうえでくずれ、ほのかな卵とダシの上品な味が靄となってひろがるだけである。ためしにおつゆにトウガラシをふってみると、あたたかい靄のなかから軽快な辛辣があらわれて舌をチクリとやり、すばやく消えた。これは戸外のものではなく、室内のものである。ごみごみした冬の夜風に吹かれて食べるものではなく、あたたかい部屋のなかでおしゃべりをしながら食べる、つつましい、こましゃくれたお洒落である。(『新しい天体』開高健)

僕にはなんだかとりとめのない食べ物というくらいの感じだったが、さすがに開高健の文章は繊細で的確。
1989年に開高健が58歳で亡くなったとき、司馬遼太郎が弔辞を読んでいる。

■ 南京町の門

門をくぐって南京町に入る。
大丸方面から入った門には、阪神淡路大震災で倒れて復旧したものと標示がある。
横浜の中華街と違って屋台が多い。
人がたくさん歩いているのは横浜と同じ。
通りを進んで十字路を左に折れ、海岸方向に向かう出口に立つ門が須田剋太が描いた絵だった。

神戸 南京町 須田剋太『南京町 神戸』
須田剋太『南京町 神戸』

● 老祥記

南京町の中心部に戻ると、長い行列ができていて、その先端は老祥記だった。

老祥記

須田剋太がこの肉まんが好きだったことを鶴見俊輔が書いている。
 須田さんは神戸の南京街にある「老祥記」の肉まんじゅうが好きだそうだ。肉まんじゅうを買いに行くと満員で、列の中に立っている他なく、そこから、店内で肉まんじゅうをつくっている主人の姿を見ていると、たのしいという。彼も自分もおなじだという感じをもつそうである。肉まんじゅうをつくるように一心に、画にうちこむところから、これらの画が生まれる。そのうちこみの深さにおいて、「老祥記」と須田さんとは、おなじ1つの根につながる。そういう直感を、須田さんがもっていられることに感動する。(『ある時』鶴見俊輔)

「神戸散歩」の旅で、司馬遼太郎は朝鮮の図書を収集・公開している青丘文庫を訪れている。
その設立者がみずからの生涯を語った記事が『朝鮮人』という雑誌に掲載されたことも紹介されている。
この雑誌は、同教授の奇特の志によって成立し、十二年継続されてきた。この第二十号をもって飯沼教授が定年になったため、以後、鶴見俊輔氏によって肩代りされる。両氏の志と労を多としたい。(『街道をゆく 21』「神戸散歩」司馬遼太郎)

老祥記の行列は、整理員がいるほどに長く、肉まんを食べるのは諦めた。

* 三宮駅方向に戻り、北へ、山の方向に歩いて、北野の旧外国人居留地に。

■ 北野・英国館

ここで須田剋太は『北野町』を描いている。
画面の右のはしに「英国館P」という看板があるので、それを探していくと、絵を描いた場所はすぐにわかった。
駐車場は「英国館」だが、絵の中心に描かれている建物は「洋館長屋」で、英国館は画面の右に隠れてしまっている。

北野 異人館 須田剋太『北野町』
須田剋太『北野町』

* 三宮に戻り、神戸新交通ポートライナーで神戸空港に行き、1時間15分飛んで羽田に帰った。
京都、大阪、神戸とまわり、ふつうなら東海道新幹線をつかうところだが、この旅は伊丹空港から入り神戸空港から帰った。


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参考:

  • 『街道をゆく 21』「神戸散歩」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1983
  • 『街道をゆく 26』「仙台・石巻」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1985
  • 『ゲンビ New area for creations 現代美術懇談会の軌跡1952-1957』 芦屋市立美術博物館 2013
  • 『新しい天体』 開高健 潮出版社 1974
  • 「ある時」鶴見俊輔 『私の曼陀羅-須田剋太の世界-』須田剋太編 光琳出版株式会社 1974
  • 2泊3日の行程 (2013.10/25-27)
    (→電車 -レンタカー …徒歩)
    第1日 伊丹空港-渡月橋…天龍寺・西山艸堂-松尾大社-ホテルフィーノ大阪心斎橋(泊)…大黒
    第2日 …近鉄日本橋駅→河内小阪駅…司馬遼太郎記念館…喫茶美術館…八戸ノ里駅→大阪城公園駅…大阪城…大阪城ホール…大阪城公園駅→地下鉄日本橋…たこ梅…ホテルフィーノ大阪心斎橋(泊)

    第3日 …心斎橋駅→梅田駅…阪神梅田駅→阪神芦屋駅=芦屋市立美術博物館=阪神芦屋駅→三宮駅…マキシン…義一…南京町…英国館…阪急三宮駅→王子公園駅…横尾忠則現代美術館…BB美術館…阪神岩屋駅→三宮駅→神戸新交通ポートライナー・神戸空港