みなとまちを歩く-「神戸散歩」2


高松空港から出発して、徳島、淡路島を移動したあと、『街道をゆく』「21神戸散歩」の神戸を歩いた。

 神戸市立中央図書館 
 神戸ポートピアホテル 
 生田川河口~布引の滝 
 関西学院大学 

*「神戸散歩」のそのほかのところは別の日に歩いた。→[みなとまちを歩く-「神戸散歩」1]

* 3泊4日の旅だったが、3日目の夕方、淡路島からバスで神戸に着き、夜8時まで開館している神戸市立図書館に行った。

 神戸市立中央図書館
神戸市中央区楠町7-2-1 tel. 078-371-3351

大きな1号館と小さな2号館が隣接している。
かつては新館と旧館といい、新館は1981年に開館している。
旧館は1995年の阪神・淡路大震災で被害を受け、建て替えられた。
その旧館=現・2号館には、震災関連資料室があり、青丘文庫が置かれている。

青丘文庫については、司馬遼太郎『街道をゆく』神戸散歩で、須磨区の「ゴム工場の一郭」にある朝鮮史の専門図書館の青丘文庫を訪れたことが書かれている。
大韓民国済州島出身、ケミカルシューズを作る会社を経営する韓晳曦さんが収集した朝鮮史関係資料の30,000点をこえるコレクション。
日本国内に散逸している資料を集めたほか、朝鮮総督府の貴重な資料が韓国の古本屋で量り売りされているのを発見して救い出してもきた。
「青丘」は、中国の書「續山東考古録」に朝鮮半島が「青丘國、海東三百里ニ在リ」と表現されていることからとった。
司馬遼太郎が取材で訪れたのは1982年で、「小柄なうえに人なつっこい阿波顔」の韓氏に会っている。

その後、資料は1986年に自宅に移して公開していた。
韓さんが高齢になって維持しにくくなり、コレクションは神戸市立図書館に1996年に寄贈された。
市立図書館も大震災の被害を受けたが、資料は無事で、震災後に新築された2号館に整備され、今も青丘文庫として公開されている。
司馬遼太郎が訪れた「ゴム工場」は、阪神・淡路大震災(1995)のときの火災で全焼したから、青丘文庫が開設された当初のままに置かれていたら、全滅しているところだった。
日本各地に埋もれていたり、韓国の古本屋で売られてたりしていた資料の数奇な運命ということを思う。
韓晳曦さんは1998年に亡くなられた。

青丘文庫は開館時間が短く、僕が行ったのは、すでに閉じた時間だった。
司書の方に尋ねて韓さんの個人コレクションが市立図書館に寄贈されたいきさつをうかがい、それに関わる新聞記事2つを教えていただいた。

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 神戸ポートピアホテル
神戸市中央区港島中町6丁目10-1  tel. 078-302-1111(代表)

司馬遼太郎は神戸で泊まったホテルについてこう書いている。
 神戸には、人工島の南端にあるホテルにとまった。
 部屋にいると、沖のただなかにいるようで気分がいい。まちの方向をみると、東から西へ連峰が緑におおわれてつらなっている。(『街道をゆく 21』「神戸散歩」 司馬遼太郎)


須田剋太が描いた挿絵に『神戸ポートピアホテル』と文字がかきこまれているから、人工島の南端のホテルというのはここのことだろう。
須田剋太『神戸ポートピアホテル』
須田剋太『神戸ポートピアホテル』

須田剋太らが眺めた景色を味わってみようと、高い部屋をとった。
高いというのは物理的にも、料金的にもであって、かわりに夕飯を質素にすませた。
六甲の山側を見おろす眺めはさすがのみごとさで、闇のなかの山と海を背景にたくさんの光がちりばめられている。


朝、薄明の時間に目が覚めて見おろすと、淡い紫色の市街を、ポートライナーの車両がおぼろな光を発してすーっと滑っていく。
飛行機の灯りが飛ぶ。
海の水の輝き。
都市の高所の魅力を満喫した。
(写真はもう少し遅い時間のもの)
神戸ポートピアホテルからの眺め

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 生田川河口~布引の滝

ポートライナーに乗って、海を本土側に越えたところの「貿易センター」駅で降りる。
東北方向に数分歩くと、生田川の河口にでる。
阪神高速神戸線の生田川のインターチェンジがあり、河口上空を複雑に高架道路がうねっている。

神戸 生田川の河口

「神戸散歩」によると、明治になり、しばしば暴れた生田川の付替工事を請け負ったのは、坂本龍馬の暗殺犯(と思いこんだ人物)を襲撃した加納宗七という人物であるという。
幕府が倒れて犯罪者でなくなると、実務能力に長けた加納は、布引の滝からまっすぐ最短距離1.9kmで海に落ちる新・生田川を短期間でしあげた。
さらに、旧河川敷については、河道を幅18mの道路にし、道の両側は造成して宅地として分譲した。今の神戸市役所の前の道がそれで、旧・生田川が神戸市街の骨格のひとつとなった。

市街のなかの直線で窮屈な眺めの水路のようなものだろうと予想していたのだが、河口側からさかのぼっていくと、気持ちのいい道だった。
小さい公園があったり、遊歩道があったり、明るく、散歩する人にもずいぶん行き会う。
山に向かうごくゆるやかな上り勾配の道で、視線の先に青い山系を望み、のびやかな気分になる。
東海道線と阪急神戸線の線路をくぐったりして、飽きず疲れず35分で新幹線の新神戸駅に行き着いた。

新幹線の線路をくぐると、その先はちょっとしたハイキング道になる。
ここから上流の生田川はまがりくねった自然の雰囲気の川になる。
六甲山系の山に向かうハイカーに混じって道を上がっていく。
まもなく雌滝。さらに少し上がると雄滝がある。
左の岩肌が、雪が降ったふうに白っぽい

須田剋太『布引の水』 布引の滝
須田剋太『布引の水』

さらに上がると展望台があって、市街の先に海が広がる。今日はこの旅で初めての文句なしの好天で、はればれした気分になる。
僕は新神戸駅からふつうに上がってきたのだが、『街道をゆく』でここを訪れたときの司馬遼太郎の文では、展望台で海を眺めてから、茶屋、滝となっている。
『街道をゆく』の取材は、現地ではタクシーを使うのが常だから、ここでもホテルからタクシーで展望台に直行してから、歩いて下ったようだ。

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   関西学院大学
兵庫県西宮市上ケ原一番町1-155 tel. 0798-54-6017

阪急に乗り、西宮北口で宝塚方面行きに乗り換え、甲東園駅で降りる。
関西(かんせい)学院大学の上ケ原キャンパスではちょうど学園祭の開催日で、臨時バスが運行されていて、それに乗って向かった。

正面に時計台=旧・図書館がある。
正門から入って、右に神学部、文学部など精神に関わる領域。
左に経済学部、商学部など実生活に関わる領域。
その2つの世界が出会う中心点に図書館が位置する。
建築家ヴォーリズ(1880-1964)は、そういう総体的な構成を考えて設計した。
学園祭の日であれば、学外者も堂々と入って見学できる、ちょうどいい-と思った思惑は外れて、人が多すぎる。たこ焼きやら、やきとりやら、ワッフルやら、模擬店がたくさんでていてにぎわっている。

関西学院大学
ヴォーリズ設計による正面の旧図書館を正面から眺めたいのだが、手前にある芝の庭がこれから始まるコンサートのために立入禁止になっていて、近づけなかった。

旧図書館に入ると、博物館に衣替えをする計画があり、その前企画ということらしい小さな企画展を開催中だった。
『関西学院所蔵の絵画Ⅰ』として、関西学院出身の吉原治良が1954年に起こした具体美術協会の作品を展示していた。
吉原は、「具体」の前には、須田剋太らと現代美術懇談会(通称ゲンビ)に関わっている。
須田剋太はこのあたりは地理的にも縁が深い。
須田剋太は1990年に亡くなり、西宮市営霊園甲山墓園に葬られた。
甲山というのは、上の関西学院旧図書館の後方に見えている山で、そこから続く丘陵の墓園に墓がある。

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参考:

  • 『街道をゆく 21』「神戸散歩」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1983
  • 「国内最大級の韓国・朝鮮文献コレクション『青丘文庫』神戸市へ 30年かけ全国で収集の三万数千冊 韓さんが寄贈」神戸新聞1996.10.15朝刊
    「韓国・朝鮮文献三万数千冊『青丘文庫』市に寄贈」朝日新聞1996.10.14朝刊
  • 『関西学院所蔵の絵画Ⅰ 誰もやらないことをやれ!-現代に受け継がれる吉原治良の精神-』関西学院大学博物館解説準備室 2010
  • 3泊4日の行程  (2010.10/31-11/3)
    第1日 高松空港 美馬市 徳島市
    第2日 淡路島
    第3日 淡路島 神戸市立中央図書館 神戸ポートピアホテル(泊)
    第4日 生田川~布引の滝 関西学院 神戸女学院大学 新神戸駅