熊本とその水辺


有効期限が迫ったANAのマイルをムダにしないように使ってしまおう!と思い立ち、熊本行きの便を予約した。
『街道をゆく』第3巻の「肥薩の道」(1972)に重なる。

 1 熊本  
 2 八代 
 3 人吉
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 1 熊本 

* 1月なのに雲と雨(または雪)という予報に見舞われながら出かけた。
熊本空港に着くと雪が舞っていた。レンタカーを借りるときに、チェーンもトランクに入れておいてもらう。使わなければ無料、使うとあとで7,000円の追加料金がかかる。
でも走り出したら雪はやみ、晴れ間もみえてくるようになった。

熊本市街から北に向かって、田原坂(たばるざか)に行った。

■ 植木町田原坂資料館
熊本県熊本市植木町豊岡862 tel. 096-272-4982

田原坂は、西郷隆盛が起こした西南の役の激戦地で、坂というのは峠のこと。
上り坂を車で峠に向かうと、途中で数人ずつの自衛隊員のグループをいくつも見かけた。
田原坂資料館の近くの茶店で菓子と缶コーヒーを買って一休みしながら店の人に話をきいた。自衛隊は西南の役の両軍の戦いを教材にして、模擬戦闘をしているのだと教えられた。しかも今日は卒業演習だという。
兵器も輸送も通信も変わったろうに、まだ130年も前の戦闘が参考になることがあるのかと驚いた。

『街道をゆく』の「肥薩のみち」で、司馬遼太郎と須田剋太がここを訪れている。
激戦の銃弾を浴びた「弾痕の家」のことを司馬が文章に書き、須田も絵に描いている。

須田剋太『田原坂』 植木町田原坂資料館
須田剋太『田原坂』 資料館に復元されている「弾痕の家」

今は資料館の一部として復元されているが、同じものに見えない。あまり違うのでこの2つが同じもののはずということに気がつかなくて、資料館で事情を尋ねもしなかった。(右の蔵のような建物にも「弾痕の家」とかいた木の看板がかかっている。)
2011年4月に熊本市は植木町田原坂資料館基本計画を公表していて、また様子が変わっていくことになるようだ。

* さらに北にある玉名市の歴史博物館に行った。

■ 玉名市立歴史博物館こころピア
熊本県玉名市岩崎117 tel. 0968-74-3986

建築家・毛綱毅曠(もづなきこう)の宇宙論的建築は、ここでは円筒形と立方体を組み合わせている。立方体の屋根の上には4×4=16本の柱が立っている。(近づいて見ると、それぞれが展示ケースになっていた。) 玉名市立歴史博物館こころピア

菊池川に沿って発展した歴史をふりかえって、常設展示は「河と玉名の歴史」を基調にしていて、展示室中央には神秘的な船が置かれている。
円と方形を組み合わせた建築の全体の姿は、周囲を歩き回っただけでは把握しにくい。隣に玉名合同庁舎という高いビルがあるので、上の階まで行って見おろした。
反対の方角には、九州新幹線の新玉名駅が見えた。街の中心部からは離れて、田んぼの中にあった。あと2か月ほどで開業する。(開業したのは2011.3.12、東日本大震災の翌日だった。)

* 熊本市街に戻る途中、内陸部にそれて合志市(こうしし)の図書館に寄った。

■ 合志市西合志図書館
熊本県合志市御代志1661-265  tel. 096-242-5555
http://koshi-library.coda.ne.jp/index-main.html

天文台がある図書館というので興味があったが、天文台が開くのは土曜だけで、見られなかった。

『街道をゆく』「肥薩のみち」に、熊本市内に古くからある「酒本鍛冶屋」のことが書かれている。
熊本に来る前に所在を調べたがわからなかった。
この図書館で電話帳とゼンリンの住宅地図を見ても、やはり見つからなかった。
とにかく見当をつけて行ってみることにする。

* 図書館を出て、熊本電鉄菊池線が走る道に出かかると、菊池恵楓園が突き当たりにあった。(このあと行った熊本市現代美術館で、このハンセン病施設の人の作品を見た。)
熊本電鉄菊池線に沿って南下して熊本市内に向かう。


■ 酒本鍛冶屋

池田駅近くに酒本鍛冶屋があるはずだが見つからない。
司馬遼太郎は、400年15代も続くというこの鍛冶屋のことを相当の文字数を費やして『街道をゆく』に書き残している。
熊本京町台郵便局という小さな郵便局があったので入って、旅の途中でたまりそうな資料を送るためにレターパック500を買う。
酒本鍛冶屋のことを尋ねると「数年前に閉めた。信号のそばの、今はバイク店になっているところ。」と教えられた。
鍛冶屋の歴史は終わったが、司馬の文章が1つの記録にはなった。

* 熊本市街に戻り、熊本城公園の南、新町電停そばの本屋さんに行ってみた。

■ 長崎次郎書店
熊本県熊本市新町4-1-19 tel. 096-352-0021

通りの反対側で信号を待つ。
青になって渡り始めた横断歩道で、タバコをくわえてゆったり歩いていく中年の男性を追い抜く。
僕が店に入って中を眺めていると、「いらっしゃい」だったか言って、その人が階段を上がって行った。店主だろうか。
国登録文化財という建築の書店で、「官報販売所」という看板がかかっている。

スクラッチタイルの壁、2階の窓のアーチ、その付近の手すりのデザインや装飾など、いい味わいをしている。外から見た表情は古い上海あたりにでもありそうに思える。 長崎次郎書店

熊本では、鍛冶屋さんは閉めたが、こういう書店が残ってはいる。

● 紅蘭亭上通パビリオン
熊本市上通町1-15 http://www.kourantei.com/

紅蘭亭上通パビリオン 熊本名物に太平燕(たいぴーえん)というものがあるのを知った。
街の中心部の上通町(かみとおりちょう)の商店街に「太平燕」ののぼりがあったので入った。
通りから少し奥まったところにあり、中庭がある。
中国服の女性が迎えてくれる。
入口あたりに中国の骨董が並ぶ一画がしつらえてある。

ひとくち食べて「うまい!」。
春雨を麺に見立てたような中華スープで、エビ、豚肉、白菜、タケノコなどがのるが、欠かせないのが揚げ卵。
ほかほかと和む味で、食べていて気持ちまで豊かになってくるようだ。
アプローチも室内のデザインもすてきで、サーブする人も上質、看板料理の太平燕は申し分なくおいしい。さりげないがパーフェクト!だと思った。

■ 熊本城
西南戦争で激しい戦闘があった熊本城に行く。
黒い姿、石垣、太い柱など、みごと。
建設当時のものが唯一残る宇土櫓に上がったときに、ちょうど雪が降ってきた。日射しがあるところに雪が舞うから、映画にでも使えそうな景色になった。
三十数年前に復元した天守閣は、内部は近代建築。
すれ違う観光客の声はハングルが多い。
雪はまもなくやんで青空が広がった。

■ 熊本県立図書館・ 熊本近代文学館
熊本市出水2-5-1 tel. 096-384-5000
http://www.library.pref.kumamoto.jp/

水前寺公園に近い県立図書館に向かった。
体育館と共用の駐車場から歩いて行くと、どっしりした、落ち着いた構えの図書館があった。近代文学館とあわせて1988年に竣工している。
中も、外見から予想されるとおり、オーソドックスできっかりつくられている。

司馬遼太郎の『街道をゆく』には、徳島県立図書館長だった蒲池正夫(1907-1975)のことが書かれている。徳島新聞社論説委員から、1940年に徳島県立図書館長となり、1962年には郷里の熊本県立図書館長に移った。
郷土資料の棚に数冊の関連書があった。「図書館の自由宣言」成立に関わりがあったり、司馬遼太郎の文章にでてくるほどの人でもあるから、あれこれと資料などがあるかと思ったのだが、意外に少なかった。

■ 九州ルーテル学院大学
熊本市黒髪3-12-16  http://www.klc.ac.jp/

北に向かって、白川を越える。
大学には通りから曲がって坂を上がって入る。
もと九州女学院で、1996年から校名をかえて男子も入るようになった。
なぜかキリスト教系の女子大学は坂の上が多い気がする。神戸女学院とか、横浜のフェリスとか、長崎にもあったと思う。

2010年の暮れにあった武蔵野美術大学の図書館の見学会で知り合った、司書の水谷江美子さんに学内を案内していただいた。

九州ルーテル学院大学 本館はヴォーリズの設計による。一見した印象では、僕が思い描いているヴォーリズらしい感じが薄い。最近改修したそうなので、基本の意匠は元のとおりだけれど、建材を新しくしていくらか印象が変わったかもしれない。

中に礼拝堂があって、プロポーションがいいし、やさしくくるまれる感じで、こちらはいかにもヴォーリズという雰囲気を漂わせている。ずらりと並んでいる長椅子はとても重いという。
2階に上がると開館当初の机やオルガンなどが保存されている。
学内を回っていると、水谷さんが、すれ違う学生に声をかけたり、かけられたりしている。大学の方針として少人数教育ということがあって、お互いに顔と名前がわかっている関係っていいものだと思う。

■ 熊本県立劇場
熊本県熊本市大江2-7-1 tel. 096-363-2233

有料駐車場に車を置いて見学する。
前川國男の1988年の建築。(近くにはやはり前川設計1978年竣工の熊本県立美術館がある。)
重いが、閉じて威圧的ではなく、志の高さを感じる。
表と裏の出入り口を結ぶ長い通路の壁にマナブ間部の絵画『くまもと』がかかっている。

熊本県立劇場

■ NTT西日本九州病院 (元・熊本逓信病院)
熊本市新屋敷1-17-27  tel. 096-364-6000

熊本県立劇場から細い道をたどって歩いて行った。
元・熊本逓信病院で、山田守が設計し1956年に竣工した。
未来に伝えるべき日本を代表する現存する近代建築docomomo100に選ばれている。


熊本名物に太平燕(たいぴーえん)というものがあるのを知った。
街の中心部の上通町(かみとおりちょう)の商店街に「太平燕」ののぼりがあったので入った。
通りから少し奥まったところにあり、中庭がある。
中国服の女性が迎えてくれる。
入口あたりに中国の骨董が並ぶ一画がしつらえてある。
NTT西日本九州病院 (元・熊本逓信病院)

■ 熊本市現代美術館
熊本市上通町2-3 tel. 096-278-7500

熊本市現代美術館に行くと『舟越桂2010』展を開催中だった。
舟越桂の作品は静かな木彫の人物像だが、近年、奇形の度を増している。動物のような長い耳があったり、両肩に小さな山がのっていたり。でも「ここに人が存在している」という強烈な感覚があり、生半可な写実彫刻より、あるいは希薄な生身の人物より、よほど強く迫ってくる。
熊本市現代美術館 『舟越桂2010』展

『光の絵画』展というのも同時開催中。
合志市(こうしし)と熊本市のハンセン病施設の人たちの絵画を展示している。
熊本はハンセン病と縁が深い土地柄なことをこちらに来て知った。
舟越桂の父・舟越保武のダミアン神父像も展示してあった。

ダミアン神父はベルギー出身の神父で、ハワイのハンセン病患者を献身的に世話した。
僕がいた埼玉県立近代美術館でも舟越保武のダミアン神父像を所蔵していた。自身もハンセン病にかかった神父の像は、顔や手にぶつぶつのコブ状の斑点があり、口をうっすら開いて、ハンセン病の特徴をとく表現しているといわれた。その頃は奥まった応接室に置いてあり、とくに見たいという申し出しがあれば応接室に案内して見せるという扱いだった。今ではなぜそんなことが必要だったか、かえって怪訝に思えるほどだが、当時はまだハンセン病に対する偏見が強くあり、デリケートな配慮があって不思議でない状況だった。

その埼玉県立近代美術館に僕がいた頃の館長は2代目の田中幸人(たなかゆきと)さんだった。もともとが九州の人で、浦和に単身赴任していた。2002年の熊本市現代美術館の開館時に初代館長として移られた。
いつか現代美術館に伺ってみようと思っていて実行しないうちに、2004年に亡くなられ、それからでもまた年月が経ってしまった。
田中幸人さんはもとは毎日新聞の記者で、三井三池の争議の荒れた現場の取材なども経験している。
『漂民の文化誌』という本をだしているが、大量の文献を読み、実際に現場を歩くこともしてまとめた民俗学の著作で、視野が広い。
2002年の熊本市現代美術館の開館記念展では、堕胎を強制された女性のハンセン病患者が、わが子のかわりとして30年間ともに暮らしてきた抱き人形が展示されたという。
今も舟越桂展にあわせてハンセン病施設の人の作品を展示し、舟越保武でつなぐという複眼的企画をしている。初代・田中館長の志が受け継がれているといっていい。
僕は熊本に「現代美術」の「館」ができたのだと思っていた。
でもこの美術館は「現代」という社会につながる「美術館」なのだと考えをあらためた。
「現代美術(の)館」ではなく、「現代(の)美術館」。
すてきな美術館だと思うが、それにつけても田中幸人さんが生きていられる間に来るのだったと悔やまれる。独特の九州弁のイントネーションの話しぶりが懐かしい。

美術館の有料の展示室より手前、だれでもタダで気楽に寄れる位置に図書室がある。
「ホームギャラリー」という名称になっているが、壁面いっぱいに本が並んで、図書室といっていいだろう。
美術書だけでなく、ここにも「現代」の感性に通じるフィクションやマンガも選ばれて並んでいる。

内装のデザインをしたのは、壁に大きな絵を展示してもあるアブラモヴィッチ。
天井中央にはジェームズ・タレルの光の作品をしこんである。四角な面が青くボーと光りを帯びている。何か実体があるのか、空間が光っているだけなのか、(仮に手を伸ばせばモノにあたるのか、手が宙を舞うのか)判じがたい。
真下には、十字にクロスする台があり、陶製の枕が4個置いてある。
寝そべって青い光を眺めていてもいいし、本を読んでもいいし、ちょっと眠ってしまってもいい。
書架の一部にすき間があり、そこにも陶製の枕があるのは、そこにも寝そべっていいというサインになっている。
美術的しかけがしかけられているが、色調も照明も落ち着いたもので、心を静めて本にひたれる。
美しい図書館だと思う。 
こんな図書館の近くに住めたらいい。

● 和数奇 司館
熊本市上通町7-35 http://www.wasuki.jp/

熊本で泊まったのは、もとは割烹旅館だったのをリノベーションしたホテル。
部屋に行くには、建物内の廊下を通ってというより、路地を散歩して到るふう。

室内はゆったりしている。たたみ部分もあって和風だが、家具はおしゃれだし、新鮮な感覚にあふれている。
ベッドも、エアコンの効き具合も快適。
しかも食事なしの場合で5500円。
いい宿を見つけられてよかった。
和数奇 司館

● くまむら
熊本市上通町7−35 tel. 096-324-6467

和数寄司館の中のレストランもおいしそうなのだが、すぐ隣に路地があり、路地があると進んで行きたくなるクセがあって、すると「大皿料理」の店があって、夕食に入った。
カウンターに肉じゃがや焼きそばや魚の料理が大きな皿に盛ってある。焼酎を飲みながら、好みの皿から盛ってもらう。
名物の馬肉には、刺身もあるが、焼いたのにする。
最後に五島うどん。

カウンターの中のおかみによれば、熊本は元気だという。
宮崎では口蹄疫や鳥インフルがあり、新燃岳が噴火している。(このあと人吉に行ったとき、その先はそのために交通規制になっていた。)
たしかに、市内をレンタカーで走った印象でも、熊本は地方の県庁所在地のなかでも大都市だと実感的に感じる。市街地が広いし、道路も広いし、車があふれるほど走っている。
でも、3月に全線がつながる予定の九州新幹線については、福岡に人が流れてしまうということで反対だったという。

■ ふたたび熊本市現代美術館

ほろ酔いになったところで、夜まで開いている美術館に再度行く。
カフェの窓際に腰かけると、通りの向こうは鶴屋。「くまむら」のおかみによれば、熊本では鶴屋がブランド。贈りものには-中身が同じでも-鶴屋の包装紙が欠かせない。東京なら三越とか、熊谷なら八木橋とか、こういうしきたりのようなものは各地にあるらしい。

美術館のホームギャラリーに行って、中央の十字架に寝そべる。(しらふだった昼間はちょっとためらってしまった。)
真上にタレルの四角い空。

* 翌朝、早めに出て、レンタカーで白川と坪井川の河口に向かった。

■ 河口ウォッチング 白川・坪井川

加藤清正が熊本城を築城したとき、坪井川を内堀、白川を外堀に組みこんだ。
白川は阿蘇山を水源としている。上流から運ばれた火山灰が堆積して川底が浅くなり、洪水を起こしやすい。加藤清正は、合流していた2つの川を、石塘(せきとう)を築いて別に流れるようにした。
どちらの河も西に流れて島原湾に注ぐ。

白川にかかる小島橋から先は、川に沿った土手の上の道を行く。河川敷は広く、ゆったりした眺めになる。
北のほうを(体感的には右に)坪井川が並行して流れていて、このあたりは2つの川に挟まれた中州状になっている。地図でみると田畑がきれいな碁盤目状で、干拓地らしい。

白川から雲仙普賢岳の眺め 行く手にコブのような突起が見えていて、河口の先に小さな島でもあるのかと思う。でも、しだいに近づくと、上のほうが白く、雪を被っているかのよう。
迫力をもって近づいてくる。
ようやく、もしかするとと思い当たってカーナビの画面で白川の先を見ると、海を隔てて雲仙普賢岳があった。

先端部に着くと、防波堤が長く延びている。こちら側は芦の原。対岸は石油タンク。海の先には異様で偉容な普賢岳。
富士山が優美な形の貴族とすれば、こちらは削いだような険しさがあって山中の聖のようとでもいうか。ほかに似たような山を思い浮かばない独特な姿をしている。

2キロほど北の坪井川河口にも回ってみた。
こちらは小さな港になっていて、軽トラックが数台止まっていた。

■ 轟水源と轟泉(ごうせん)水道
三角(みすみ)半島のつけ根あたり、宇土市街の西に、湧水がある。
環境庁選定の日本名水100選に選ばれ、しかも現役最古の上水道の水源になっている。

轟水源と轟泉(ごうせん)水道 眺めたり写真をとったりしていると、車でやってきてペットボトルに汲んでいく人が、ひとり、またひとり。水を汲む前に、流れ落ちる口のあたりを手慣れたふうで掃除する人もいて、大切に使われている。


この水で育てた野菜を売る無人の販売所が、近くの道にいくつか小屋がけしている。

■ 宇城市立中央図書館(不知火図書館)+宇城市立不知火美術館
宇城市不知火町高良2352 不知火文化プラザ内

三角半島の南側、旧不知火町に行く。
不知火(しらぬい)というかわった文字と語感にひかれる。
旧暦8月1日ころの新月の夜に、海上にたくさんの光が現れるのを、不知火という妖怪とされた。蜃気楼のような光学現象らしいが、今は付近の環境条件がかわってほとんど現れないらしい。
和歌山市の西岸、雑賀崎(さいがさき)という岬の先端にある番所(ばんどこ)庭園では、春秋の彼岸の中日には、沈みかける夕日の回りから、さまざまのかたちの光が、花が降るように海に舞い散るという。
これをハナフリといって、ハナフリとか、シラヌイとか、そそられるが、なかなか見ることはできない。

せめて美術館と図書館の複合施設があるのに寄ってみた。
横長の建物の中央に入口があり、左が美術館、右が図書館。
美術館には開口部が少なく、図書館はほぼ全面透明なガラス壁。
図書館内には外からの光が入って明るいが、ルーバーでやわらげられている。過剰ではなく、気分がいい。

北川原温のデザインは、対照的な施設の周囲をぐるりと横組みのルーバーが取り囲んで ひとつの建築になっている。 不知火図書館+不知火美術館

美術館では収蔵品展を開催していた。
日系ブラジル人の画家で、日本とブラジルで活躍したマナブ間部(まべ)。
1930年代のアメリカ画壇で活躍し、30歳で亡くなった夭折の画家、野田英夫。
思索的な版画を創っている野田哲也。
独特な表現をするアーティストがずいぶんでている。

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 2 八代 

八代では伊東豊雄のミュージアムを見たいと前から思っていた。
天文民俗学の友人、茨木孝雄さんに熊本方面に行くと言ったら、八代神社に寄ることを勧められた。妙見信仰の必見の地なのだという。
八代では妙見と伊東豊雄を巡ることになった。

■ 八代神社
熊本県八代市妙見町405  tel. 0965-32-5350

正面に、妙見を象徴する亀と蛇を表した石柱が立っている。
11月中旬には妙見祭が盛大に行われる。笠鉾や流鏑馬など賑やかな行列の中でも、亀と蛇が合体した亀蛇(きだ=愛称ガメ)が親しまれている。
北斗七星をあしらったお守りを買う。
八代神社

■ 鎭宅霊符神社(ちんたくれいふじんじゃ)
神社の門を出て左に行く。
坂道を上がっていくと鎭宅霊符神社がある。
八代神社の末社で、鎭宅尊星(北斗七星)をまつる。
霊符は聖武天皇のころに版木に刻まれたが、それは失われ、今ある版は16世紀に彫り直されたものらしい。

八代市街を見下ろす高い位置にあって、白い煙を吐き出す高い煙突が見える。 鎭宅霊符神社(ちんたくれいふじんじゃ)

■ 盛高鍛冶刃物
熊本県八代市宮地町434 TEL:0965-32-4643
http://www.moritakahamono.com/

八代神社の門まで戻り、さらに通り過ぎて少し先まで行くと古めかしく、由緒ありそうな建物があり、そこが刃物屋さん。
鎭宅霊符神社のお札はここでわけていただけると茨木さんに教えられた。
(教えてもらわなければ、刃物の店に神社のお札があるなんて思いもよらない。)
友人のと自分のと2枚いただく。
想定外だったのは、とても大きい。新聞を広げたほどもある。そこに、さまざまな図版や文字が配置されていて、おもしろい。

細川藩の刀匠をしていたという伝統がある刀鍛冶で、店頭に並ぶ刃物がみごとな形と輝きをしている。
包丁を1本買った。
今のところはレンタカーで動いているから問題ないが、大きなお札と、包丁と、帰りの飛行機に乗るとき面倒なことになりそう。

この奥が工場。危険なので入らないように注意書きがでている。 盛高鍛冶刃物


■ 八代市立博物館・未来の森ミュージアム
熊本県八代市西松江城町12-35 tel. 0965-34-5555
http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/museum/index.jsp

伊東豊雄設計の有名建築で、建築雑誌などでこのミュージアムの写真を見て、郊外の草原の丘の上にでも建っているように思いこんでいた。
来てみると、八代市街のど真ん中で、八代城趾からも間近なところにあった。

土盛りをして芝を植えてある。
丘と一体になって、曲線的でなだらかで軽やか。
八代市立博物館・未来の森ミュージアム

かつてはこのあたりまでが海だったらしい。
道の向かい側にある熊本藩8代城代が母のために建てた別邸「松浜軒」は、松林が連なる海に面していたのでそう名づけられたという。

博物館でも妙見の亀蛇が人気で、妙見祭のときのガメの形の山車が展示されていた。ミュージアムショップで亀蛇ペーパークラフト200円、亀蛇ストラップ500円を買う。 妙見祭のときのガメの形の山車

『街道をゆく』の取材では、「入り日があかあかと天草の方角に落ちようとしているころ」に八代に入っている。これから球磨川をさかのぼって人吉に向かう途中で、あわただしく八代城だけを眺めている。
僕も街を歩くあいだに城を通り抜けて、郊外に向かった。

■ 郡築三番町樋門
僕は、人吉ではなく、八代市の西部、八代海に向かった。
そのあたりを地図で見ると、いかにも人工的な碁盤目状になっている。
八代地方でいう「郡築(ぐんちく)」は、干拓のこと。
20世紀初めの干拓事業で生まれた土地で、樋門は干拓地の水流を調整するためにある。

郡築三番町樋門 初期の水門で現存するのはこの三番町樋門だけで、1938年に造られた。
景色に東欧の映画を見るような寂寥感がある。

■ 河口ウォッチング-球磨川
車であとわずか南に走ると球磨川の河口になる。人吉盆地から流れてきた川がここで海に入る。

河口ウォッチング-球磨川 突堤の先では川が海に溶けこんでいく。
傾き始めた太陽が向こうにあって、キラキラ輝いている。

看板が立っている。ニューヨークの9.11以後、テロの脅威がある。密航や密輸が巧妙になっている。不審者、不審物を見かけたら八代港湾管理事務所か警察へ連絡するようにと書いてある。
関東地方の内陸に暮らしていると、こういう危機感は思い浮かばない。西の海では現実的な切実さがあるようだ。

新幹線の新八代駅に寄ると、乾久美子が作ったモニュメントがある。
キオスクには、「亀蛇あられ」「亀蛇豆てまり」「亀蛇黒みつ豆板」という菓子があった。荷物の増えついでにみんな買い込む。こんなにみやげを買うことは珍しい。

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 3 人吉 

* 海に近いところを移動してきたのだが、人吉へは山中の道になる。天気は下り坂で低温という見込みだったのだが、ありがたいことにすっかりはずれて、ときおり青空がのぞくし、寒くない。明るい道を車を走らせていて、気分も浮いてくる。

■ 願成寺
球磨川の上流、人吉に入る。
人吉は、鎌倉幕府の時代から明治維新まで、相良氏が670年にわたって支配していた。その相良氏37代の墓が、町の東の願成寺(がんじょうじ)にある。
すぐ近くに、くま川鉄道湯前線の駅があって、「相良藩願成寺」という駅名がつけられている。

無数といっていいほどの五輪塔が青く苔むし、ところどころにツバキや山桜の老樹が陽をさえぎり、雨滴が孔をうがった石畳がつづき、訪う人もなく諸霊がしずまっている壮観は、相良氏七百年という歳月の古びをよく物語っている。
(『街道をゆく 陸奥のみち 肥薩のみちほか』司馬遼太郎+須田剋太 朝日新聞社朝日文庫 1978)

ここで須田剋太が描いた絵がある。
(須田剋太『相良家墓地』)
(須田剋太『相良家墓地』

この絵をどこで描いたか、寺の中を探してみても、なかなかわからなかった。
石段が90度に曲がっていく特徴ある場所に立っても、そこでは絵のように五輪塔が並んでいない。
階段を見おろす位置で、左に目を向けると、それらしい五輪塔が並んでいる。
須田剋太が頭の中で風景を合成して描いたようだ。

願成寺の相良家墓地 願成寺

住職にこの絵が描かれたときの様子をおききしようと訪ねたが、司馬遼太郎と須田剋太には会われていないとのことだった。とくに住職に会わずに境内を歩き、絵を描いていったようだ。
石段の絵の場所についてきいてみると、他に階段がそのように見える場所はなく、「合成したね」と即断された。

■ 人吉城址
球磨川左岸に人吉城址がある。

高台にあって、右岸の城下町を見おろす位置になる。
広々してのびやかで気分がいい。
人吉城址


球磨川に沿った石垣の間を抜けると球磨川の川岸に出て、「水ノ手門跡」という解説板があった。江戸時代に7箇所の船着き場があったうちの最大のもので、年貢米がここから運び込まれ、蔵に入ったという。
石垣を7箇所も開いて船着き場にできたのは、戦乱がない時代だからこそだろう。

水ノ手門跡 水ノ手門跡から球磨川下流の眺め

■ 青井阿蘇神社
「青井大明神」という額を掲げる国宝の楼門について、司馬遼太郎は
京都あたりに残っている桃山風の建造物(西本願寺の唐門など)よりもさらに桃山ぶりのエッセンスを感じさせる華やぎと豪宕さをもっている
と評し、これほど遠い地にまで桃山の芸術的気分と様式が届いていることに感動している。

須田剋太画『人吉市青井神社本殿』 人吉市青井神社本殿
須田剋太『人吉市青井神社本殿』 2011年1月には屋根を葺き替えているところだった。

● 鍋屋本館
人吉市九日町22-2 tel. 0966-22-3131
http://www.nabeyahonkan.co.jp/

『街道をゆく』では、司馬遼太郎は人吉で泊まった宿のことをこう書いている。

 夕食をとった部屋の裏が小さい庭になっていて、そのむこうがコンクリートの壁になっている。水を防ぐためだという。庭下駄をはいて壁のそばまでゆくと、壁の向こうがいきなり球磨川になっているのにはおどろいた。
「あン川はおそろしかとですよ、水がほんにどこから出てくるか、思いがけなか所から出て参りますとですよ」
人吉には水害がつきものである。この宿も何度か浸っているという。

この宿に泊まってみようと思ったのだが、どこか確定できなかった。
観光協会に問い合わせたり、地図を見て球磨川に沿っているいくつかの旅館に直接電話もしてみたのだが、「わからない」「うちの旅館ではそんなことをきいたことがない」というふうな返事ばかりだった。
結局、鍋屋本館に泊まることにした。
人吉温泉で温泉の知名度を上げるために、何人かの文化人を各旅館に招待するという企画があり、司馬遼太郎がこの宿に泊まったことはあるという。
でも、『街道をゆく』の取材のときに泊まったかどうかは確認できないとのこと。
それでも由緒ある宿で、田山花袋、与謝野晶子、柳田国男から、より近いところでは、美空ひばり、瀬戸内寂聴なんていう人も訪れている。
宿に車で着いたときに、旗をもった番頭さん(というのか)が出迎えてくれた。
館内も昔ふうに落ち着きがある。
部屋からは球磨川の流れを見おろせる。
いい宿だった。

■ 球磨川下りの発着所

人吉で須田剋太が球磨川の風景を描いている。
人吉温泉側(球磨川右岸)から、川の流れと、対岸(左岸)の低い山並みを眺めている。
こちらの岸でコンクリートの堤防の上に人が立っている。
下駄をはいて着物(浴衣?)を着ているから、温泉客だろうか。
ところが不思議なのは、僕が堤防沿いを散歩した範囲では、堤防は上が丸くなっていて、サーカスの人でもなければ、とても上を歩けるようなものではなかった。

須田剋太画『人吉温泉の朝霧』 人吉温泉と球磨川
須田剋太『人吉温泉の朝霧』 2011年の堤防風景

翌朝の帰り際、球磨川下りの船の発着所を通りかかったので、ここなら堤防のことがわかるかもしれないと思って寄ってみた。
ほうきとちりとりを持って開業の準備をしている20代くらいと思える人に尋ねると、司馬と須田の取材時期よりあとにも2度の大洪水があり、堤防を高くつけ替えたという。
今の堤防もそれほど新しいもののように見えなかったから、まさか付け替わっているとは思わなかった。
およそ40年の間には、それほどのことがあるかと時の流れを感じた。

● 熊本空港 ヴェルデ(レストラン)

司馬遼太郎と須田剋太の熊本の旅は、人吉からさらに南に行って薩摩に入っていくのだが、僕は熊本空港に戻って帰る。
レンタカーにガソリンをいれなくてはならないが、空港内のガソリンスタンドが妙な位置にあって、見つけるのにやや手間取った。
車を借りるときには粉雪が舞ってチェーンを積んでもらった。雪道は慣れないから不安だったが、あとは青空が広がるほどの天気で気持ちよい旅になった。
待ち時間にレストランに入り、ビールと太平燕をとった。
ふつうの麺類ならさらっと食べ終えてしまうところだが、野菜が大量にのっていて、食べるのに時間がかかって、旅の最後にちょっとした食事をした気分になった。
飛行機から夜景は見えたが、どこかはほとんど判別できなかった。

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参考:

  • 『街道をゆく 3』「肥薩のみち」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1973
  • 『漂民の文化誌』田中幸人 葦書房 1981
    『感性の祖形―田中幸人美術評論集』田中幸人 弦書房 2005
  • 上記は北から南に道順を整理して記した。実際の行程は以下のようだった。
    3泊4日の行程 (2011.1/29-2/1
    ) (-レンタカー …徒歩)
    第1日 羽田空港→熊本空港-
    [熊本市より南]轟水源と轟泉水道-宇城市立不知火美術館・宇城市立中央図書館-
    [人吉] 願成寺-人吉城址-青井阿蘇神社-鍋屋本館(泊)
    第2日 -願成寺-球磨川下りの発着所-翠嵐楼-
    [八代] 八代神社…霊符神社…盛高鍛冶刃物-八代市厚生会館…成竜園…八代城…八代市立図書館…松濱軒…八代市立博物館・未来の森ミュージアム-やつしろハーモニーホール-郡築三番町樋門-球磨川河口-八代広域行政事務組合消防本部庁舎-新八代駅-
    [熊本市]熊本市現代美術館-和数奇 司館(泊)
    第3日 -白川・坪井川河口-熊本城-熊本市現代美術館…紅蘭亭-熊本県立図書館・ 熊本近代文学館-九州ルーテル学院大学-熊本県立劇場…NTT西日本九州病院(熊本逓信病院)-和数奇 司館(泊)…くまむら…熊本市現代美術館
    第4日 [熊本市より北]玉名市立歴史博物館-植木町田原坂資料館-合志市西合志図書館-
    [熊本市]酒本鍛冶屋付近-熊本市立図書館…緑亭-熊本県立美術館…熊本市立熊本博物館…長崎次郎書店
    -熊本空港・ヴェルデ→羽田空港