秋の日射しの庭-大徳寺Ⅰ


『街道をゆく』挿絵原画展のために借りた作品を大阪に返却に行った。
そのあと京都に1泊して、大徳寺を歩いた。
午後は京都文化博物館別館ホールで通崎睦美さんの木琴コンサートを聴いて帰った。(通崎さんは子どものころ須田剋太に10年にわたって毎年肖像画を描いてもらっていたという縁がある。)

第1日 大阪で『街道をゆく』挿絵原画を返却~京都(泊)  
第2日 大徳寺~京都文化博物館で木琴コンサート 
  三門(金毛閣)  
  大仙院 
  高桐院 
  黄梅院 

第1日 大阪で『街道をゆく』挿絵原画を返却 京都(泊)

須田剋太の出生地、埼玉県鴻巣市では、毎年秋に須田剋太展を開催している。
2015年秋は、『街道をゆく』の原画展として、「33白河・会津のみち」と「34中津・宇佐のみち」の原画を展示した。僕が最近その道をたどって撮った写真を並べて、須田剋太が風景をどのように絵にしたかを見てもらうようにした。
『街道をゆく』の挿絵原画はすべて「大阪府」が所蔵していて、具体的には大阪府立江之子島文化芸術創造センターが所蔵・管理している。
作品の輸送には美術作品を扱う専門の運送会社に委託するのだが、借受と返却には、貸す側、借りる側が立ち会う。
借りるときには、これから展覧会を始めるための準備がほかにもあり、鴻巣市から大阪に日帰りした。
返却のときは、まだいくらか後始末も残っているけれど、京都に1泊した。
ちょうど都合のいいことに、返却の翌日に京都で須田剋太に縁がある人のコンサートがある。
午前中に大徳寺を歩き、午後コンサートを聴くことにした。
大阪で返却がすんだあと、京都で地下鉄烏丸御池駅に近いホテルに泊まった。

第2日 大徳寺 京都文化博物館で木琴コンサート

* 朝、ホテルをチェックアウトし、とりあえず広い烏丸通りに出た。
バスとか地下鉄とか、どういうルートで大徳寺に向かうか、はっきり決めていなかった。
どうしようかと決めかねているうちにタクシーが通りかかって、乗ってしまった。


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 三門(金毛閣)

広い大徳寺に入ってまず三門の前に立つ。
寺院の山門は、ふつうそれをくぐって中に入っていくものだが、ここでは閉じている。
さらにその手前に勅使門があって、それも閉じているから三門を正面から見ることはできない。

勅使門の右から生け垣越しに三門の写真を撮っていると、後ろから「いい角度で撮ってますね」と声をかけられた。 大徳寺 三門

爽やかな笑顔の僧侶が立っておられる。
須田剋太の絵をたどっているとお話しすると、いろいろ教えていただいた。

須田剋太『利休像』 須田剋太が書いた『街道をゆく』の挿絵には利休像もある。
三門の楼内2階に今もあって、このとおりの姿をしているといわれる。
秀吉が足もとをくぐって入らせるのかと怒って利休に切腹を命じることになった、歴史的由来のある像が、ふだん人目にふれずに現代にも存在している。
大きくて豪華な門も、高い位置に置いた自身の像も、茶の利休のイメージにそぐわない。

須田剋太『利休像』

大徳寺の歴史のことなど伺っているうち、蒲生氏郷の名が出てきた。
須田剋太が会津若松でその墓を描いている。
氏郷は大徳寺の茶に関わりが深かったといわれる。
(→[白河・会津のみちと震災3年目の福島(2014)]

須田剋太が描いた絵では、三門の手前にある勅使門は孤立している。
今は生け垣が加えられて三門の周囲を囲んでいて、三門には近づけなくなっている。

須田剋太『大徳寺勅使門』 大徳寺 勅使門
須田剋太『大徳寺勅使門』

須田剋太が描いた絵に、正面から三門を描いたのがあり、そういうことならと囲いの中に入れていただいて1枚だけ写真を撮ることができた。

須田剋太『大徳寺山門』 大徳寺 三門
須田剋太『大徳寺山門』

大徳寺で描いた他の絵についても場所を教えていただいた。
長くおひきとめしてしまって、と礼をいうと、気をつかうには及びませんというふうに「朝のおつとめが終わって2時間ほどあいたところ」と伸びをしてみせる。
話していてこれほどすがすがしい気分になってくるような方にお会いするのは初めてで、とても気持ちのいい時間だった。
お名前をおききすると黄梅院の僧で長田玄渉さんといわれる方だった。

大徳寺にはずいぶん前に一度来たような覚えがある。
塔頭のほとんどが非公開で、近づきがたい、ふつうには来てもしかたがないところだなという印象を受けた。
それで京都に来ることがあっても、大徳寺はずっと敬遠してきた。
大徳寺では、いつも公開されている塔頭もあり、期間を限って公開される塔頭もある。『街道をゆく』で司馬遼太郎、須田剋太が訪れているのを機会に、今日公開されている塔頭をいくつか拝観するつもりで来た。建物や庭の静的風景を眺めるだけと思っていたのだが、大徳寺の方にこんなふうに親しくお話しできるとは思いがけないことだった。
タクシーに乗ってしまったのを後悔する気分があったが、乗らなければこういう出会いがなかったろう。

* いくつもの塔頭がある間を道がつないでいる。
まだ朝早い日の光が低く射しこんでいる。

驚いたことに茶所があった。
内向きの寺だと思っていたのに、外から訪れる人のために簡素な建物を建て、なかでお茶を自由に飲んで休めるようにしてある。
敬遠していた気持ちが、そうではなかったと変わっていく。
大徳寺 茶所

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 大仙院

大仙院 直角に折れていく敷石道を進んでいく。
両側によく手入れされた庭。
ここは常時公開されている塔頭で、拝観料をおさめて中に入る。

四角い方丈の(玄関から近づいていって)右の辺と、左の辺から、対照的な庭を眺められる。


右の辺(東の庭)は、は建物に囲まれた狭い空間に木々と石が密に置かれている。
宝船に見立てられた自然石が重要な位置にある。枯山水の庭で実際の水はないが、滝が構成され、川が流れ出し、奥山の風情がある。
左の辺(南の庭)は、開放的な広い白砂の庭で、円錐形の砂盛が2つある。
右の庭から発した川は、左の庭の海原に流れだしている。
密で緊張した世界もいいが、明るい白砂の眺めはゆったり気持ちをゆるめてくれる。
砂盛は島だろうか。
石を置いて緑を加えるやり方もありそうだが、周囲と同じ砂を盛り上げているだけで、抽象的な美しさがある。

須田剋太がここで描いた絵が2枚あるが、どちらも密なほうの庭を描いている。
実景と見比べてみると、細部に違いがある。
狭い空間を描いて、なぜそのように違ってくるのか、よくわからない。
須田剋太『大仙院』
須田剋太『大仙院』


須田剋太『大徳寺大仙院』
須田剋太『大徳寺大仙院』

受付からちょっと離れたところに、本などを売る場所がある。
拝観に訪れた人と楽しそうに話している人があり、僧衣をつけておられる。
先に話していた人が去ったところで、須田剋太の絵を見てもらった。
いちばん大事なところを描いている、ぱっとつかんでいる、たいした絵だ-といわれる。
これまで須田剋太が描いた地をたどっていて、絵の場所をたずねるために、あるいは絵の中に描かれたことについてたずねるために、かなりの人に絵を見てもらった。
絵としてほめた人は初めてだった。
名刺をだすと、僕の恭伸という名を見て、うやうやしいという字だ、自分を小さくして相手をたてる、それが伸びる、いい名だといわれる。
かなりの年月を生きてきたが、名前をほめられたのは初めてだった。
そういう人が絵の場所をたどっていて、画家もいい人をもったともいわれる。
『街道をゆく』の絵をたどっていった先で絵についてたずねたりすると、『街道をゆく』の文章にしたがってたずねてくる人はよくあるとおききすることがしばしばあったが、絵をたどっている人は僕だけらしい。
はじめは旅のついでに絵の場所にも寄ってみるというくらいだったのだが、おもしろさにはまりこんで、絵の場所をたどることを中心にすえて旅するようになった。
妙なことにはいりこんでしまったと時たま思わないでもないのだけど、ここでよいことをしていると認めてもらえたような、励まされる気持ちになった。
僕の名刺を受け取ったあと、ご自分のはその場でお持ちではなかったので、わざわざ奥に取りにいかれていただいた。
手書きの文字を印刷してあって、尾関宗園さんといわれる。
ここでも思いがけず大徳寺の僧とお話しできて、ありがたい気持ちになって出た。

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 高桐院

高桐院(こうとういん)にいくと、竹林と塀の間を、石を敷いた道が直角に曲がりながら玄関に導かれる。

須田剋太『大徳寺高桐院』 高桐院の道
須田剋太『大徳寺高桐院』

須田剋太『高桐院』 高桐院の門
須田剋太『高桐院』

方丈から眺めると、奥行きの短い、横に広いパノラマの庭があり、楓が紅く色づいている。(下の写真は横から撮っている。)

大徳寺高桐院 楓の庭

脇の庭におりる。

ここは細川家の菩提寺で、細川家歴代の墓が並んでいる。
「湖西の道」で朽木の興聖寺に行くと、細川家のルーツの寺で、細川護煕氏が訪れたときの写真も拝見した。
細川家には思いがけないところでいきあたる。(→[琵琶湖を基点にめぐる-「湖西のみち」 ほか]
高桐院 細川家歴代の墓

細川忠興とガラシャ夫人の墓は独立していて、石灯籠を墓にしてある。

須田剋太『高桐院』 高桐院 細川忠興とガラシャ夫人の墓
須田剋太『高桐院』

須田剋太が描いたなかに五輪塔が並ぶ絵があるが、見わたしたところ、こういう眺めはない。

須田剋太『高桐院』
須田剋太『高桐院』
作業用具を腰につけている人が夫婦の観光客に説明されている。
その2人が去ってからたずねると、塀の下にしまってあった写真を取りだして見せていただいた。
そのうちの1つが出雲阿国の墓で、塀の向こう側、一般の墓と一緒にあるとのことだった。

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 黄梅院

黄梅院(おうばいいん)は『街道をゆく』には登場しないのだが、ちょうど特別公開期間にあたっているので拝観した。朝、三門でお目にかかった長田玄渉さんがおられるところ。

黄梅院では、千利休作庭の直中庭(じきちゅうてい)という庭に魅了された。
玄関を入って、「コ」の字形に庭を囲む回廊をまわりこんでいくと、書院からその庭を正面から眺めることになる。
一面、苔がおおっている。
瓢箪形の池があるが、周囲に背の低い木や草があって、池の存在をあいまいにしている。
向こう側にある回廊部分も木で隠されて、はっきりとは見えていない。
苔と木々の緑のなかに、もみじとさざんかと椿がいろどりを添え、すすきの穂先が日光をたくわえて輝いているいる。
よく晴れていて、見あげれば青い空に白い雲がある。
その下の庭はくっきりして、光と影がコントラストをつくっている。
畳の縁に座って眺めていると、日射しが庭にあふれ、かすかな風が葉を揺らす音が耳にはいる。
池の形は秀吉が瓢箪の形を望んだのだとか、加藤清正が朝鮮出兵のときに持ち帰った灯籠があるとか、歴史的由緒をとくに考えなくても、この庭にはなにか心ひかれる。
11月半ばの午前11時ころの日の射しぐあいが特別な景色を作ったろうか。
回廊部分に床暖房がはいっていて、足先が暖かくていいなと感じながらアプローチしてきたことも庭の見えように影響しているだろうか。
また違う季節にきてみようと思う。

* バスに乗り、京都市役所前で降りた。
昼を食べてから、午後は京都文化博物館の別館ホールで通崎睦美さんのコンサートを聴いた。
この会場での通崎さんのコンサートを聴くのは2度目。
今日は『今、甦る!木琴デイズvol.4「オンガクの時間」』。
リコーダー・本村睦幸さん、アコーディオン・松原智美さんが加わる。
楽しんで聴いて、地下鉄で京都駅にでて新幹線に乗った。


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参考:

  • 『街道をゆく34』「大徳寺散歩」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1990
  • 1泊2日の行程 (2015.11/21-22)
    (→電車 ⇒地下鉄 =バス ⇨タクシー …徒歩)
    第1日 新大阪駅⇒阿波座駅…江之子島文化芸術創造センター…阿波座駅→松尾大社駅…松尾大社…嵐電嵐山駅→四条大宮駅…京都芸術センター…京都ガーデンホテル
    第2日 ⇨大徳寺=京都文化博物館別館ホール…烏丸御池駅⇒京都駅