敦賀から金沢 大きな周遊の旅


東海道新幹線の米原経由で敦賀に行き、越前~金沢と北上し、ほくほく線・上越新幹線経由で帰るという、大きくひと回りする旅をした。
大きな目的は、前に足早に通過してしまった敦賀を時間をかけてゆっくりまわることと、友人が出品している金沢21世紀美術館の展覧会を見ること。
行程は『街道をゆく』の「18越前の諸道」にも重なり、武生だけは「4 北国街道とその脇街道」の訪問地でもあった。
(第4日以後、石川県に入ってからは『街道をゆく』とは関係がない旅になる。)

 第1日 敦賀  
 第2日 越前から勝山 
 第3日 永平寺・東郷・丸岡城・三国
 第4日 加賀・小松・金沢 
 第5日 かほく・金沢 

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 第1日 敦賀

■ 敦賀駅

東海道新幹線に乗り、米原駅で北陸線に乗り継いで、敦賀駅に着いた。
ここには3度目。
最初のときは、三国に向かっていて通り過ぎただけ。
2回目は、5年前、NHKテレビ『プレミアム10 わたしの旅』のロケだった。ブルーノ・タウトが敦賀港に着いて桂離宮に向かった足跡をしのんで-そっくりそのままのコースはとれないので代用として-新潟港からフェリーに乗って敦賀港に着き、伊勢神宮に向かった。
敦賀港には早朝入港し、フェリー会社で用意された車で駅に着いた。そこで名古屋に向かう特急電車の発車時刻まで、3時間ほど待った。
僕の敦賀滞在経験はそれだけ。
その間に、朝食にする駅弁を買ったのだが、その売店の位置も様子も違っている。新しくコンビニふうになっていた。
駅を改築の途中で、待合室も一時的な仮設状態で、駅が完成するころには、また様子が変わることになる。
観光案内所でレンタサイクルを借りた。


■ 気比の松原=河口・合流点ウォッチング(1)笙の川河口

駅から北西に走ると海に出る。
笙の川という風雅な名は、中流域の細竹が笙(しょう)を作るのに用いられたことから名づけられたという。
細い河口に立つと、左手に名勝の気比の松原、右に敦賀港と背後のセメント工場の大きな建物や煙突が見える。
笙の川の河口

気比の松原に向かう防潮堤は、灰色のコンクリートではなく、景観に配慮してごつごつして自然の石ふうに作ってある。
気比の松原は、地図で見て想像していたよりずっと広かった。
気比の松原

■ 武田耕雲斎等の墓

ニシンの運搬が盛んだった頃にあったニシン蔵の1つが移築・保存されている。
『街道をゆく』の「北国街道とその脇街道」に、それはニシン蔵としての価値によるのではなく、幕末、水戸藩の烈士が捕らえられたのち、ニシン蔵に閉じ込められて非人間的扱いを受けたことを記念するためとある。
松原神社の境内に置かれた蔵には鍵がかかっていて、中に入れない。
ボタンを押すと解説が流れる音声案内装置があるが、壊れている。

須田剋太画『敦賀市にある武田耕雲斎らの幽閉されたニシン蔵』 敦賀市にあるニシン蔵
須田剋太『敦賀市にある武田耕雲斎らの幽閉されたニシン蔵』

近くに「水戸烈士追悼碑」があり、その近くにたくさんの若木が植樹してある。
白い標柱には、茨城県内の市議会議長などの名前が記してあり、今も水戸藩の人が訪れているらしい。

       ◇       ◇

市の中央部に戻る途中に晴明神社があった。
祈念石を公開しているとあるが、戸が閉まっていて、入れない。
通りかかった人にきくと、近くの人が管理しているが昼食をとりに家に戻ったろうという。
待ってでも見るべきか、星と民俗を専門にする友人の茨木孝雄さんにメールすると、見るべきと返事がきた。

● 丸仁 

それで僕も昼を食べに、近くの店に入った。
ソースカツ丼とおろしそばのセットで1,100円。
どちらもここの名物で、そばにはけずりぶしがモハモハと大量にのっていて、うまい。

■ 敦賀市立博物館
福井県敦賀市相生町7-8 tel. 0770-25-7033
http://museum.ton21.ne.jp/

もうひとつ時間稼ぎに入る。
晴明神社のすぐそば、元は銀行だったレトロな建築が博物館になっている。
北陸最初のエレベータが設置されたが、今は動いていない。
敦賀市立博物館

芭蕉が奥の細道の旅の最後に敦賀を訪れたことの関連資料が展示されていた。
『芭蕉翁色ケ浜遊記』には、芭蕉が海辺で地元の子どもたちとますほの小貝を拾い、盃に貝殻を浮かべる風流な遊びをしたことが記されている。
敦賀原発のすぐ近くの浜で、そんなことがあった。

■ 晴明神社
敦賀市相生町

午後1時過ぎに晴明神社に戻ると、入口の扉が開いていて、近所に暮らすらしい明るい女性が案内の席にいられた。

中に上がって、正面祭壇下の小さな戸からのぞきこむと、下にほぼ円形の石がある。安倍晴明が天文の奥義を究めるのに使ったとされ、「晴明の祈念石」と称している。手を戸の奥にさしこんで、賽銭を投げ、石の上に乗れば願いが叶うという。
奥まってあるものを写真にとっていいものか尋ねると、「テレビの取材もあるくらい。どうぞどうぞ。」とおおらか。

晴明神社 晴明神社の祈念石

他に母と20代らしき娘2人の一行と、やはり20代らしき女性1人。
願いが叶うパワースポットとして人気が高いようだ。

■ 気比神宮
敦賀市曙町11-68 tel. 0770-22-0794

旧敦賀港駅舎を見てから、自転車で駅に向かったつもりなのに気比神宮にでた。
ここで須田剋太が大鳥居を描いている。(写真左:

須田剋太『敦賀市気比神社』 気比神宮
須田剋太『敦賀市気比神社)

* 駅に戻ってレンタサイクルを返し、レンタカーを借りた。このあと最終日に金沢で返すまでレンタカーで回る。

敦賀半島の東岸を北上して敦賀原発(日本原子力発電株式会社敦賀発電所)に向かった。もちろん中に入ることなどできないが、どんな所にあるのか見てみたかった。
海岸の道沿いには小さな集落きりなくて、人口は少ない。
途中で、芭蕉が遊んだ恋ケ浜を通る。
敦賀駅から原発までおよそ18km、40分。


■ 敦賀原子力館
福井県敦賀市明神町1 tel. 0770-26-9006
http://www.japc.co.jp/gendenkan/tsuruga/index.html

原発手前から高いフェンスが敷地を囲み、正面入口には遠目にもいかつく大柄な警備員が数人威嚇するように立っている。

敦賀原発・立入禁止の標示 広い敷地がずっとフェンスで囲われている。

すぐ近くに敦賀原子力館がある。
原発が見える場所は撮影禁止にされている。
家庭の室内を再現して地震の揺れ方を体験させる装置があるが、休止中だった。3.11後に見ると、そもそも原発の広告施設に地震の体験装置があるなんて相当きついブラック・ユーモアに思える。
原発と原子力館の間の地下に、浦底断層という活断層がある。

■ 立石岬灯台

立石岬灯台 敦賀半島を原発からさらに北上すると、小さな港があって、そこで車道は行き止まりになる。
車を置き、歩いて10分ほど坂を上がると立石岬灯台がある。
背の高い草に囲まれて海は見えない。

NHKテレビ『プレミアム10 わたしの旅』では、新潟から乗ったフェリーが朝早く敦賀港に着いた。
船室で寝ていたら、フェリーが予定時刻より早く着きそうだとディレクターの人に起こされた。おおあわてで服を着て、デッキに出て、まもなく立石岬の灯台の灯りが見えてきた。
(あとでこの場面を見ると、眠そうで寒そうに映っていた。)

■ 敦賀新港フェリーターミナル

市街に戻って金ケ崎城跡を見てからフェリーターミナルに行った。
たびたび繰り返すが、NHKテレビ『プレミアム10 わたしの旅』では、早朝この港に着いた。
番組は、日本でのブルーノ・タウトの軌跡をめぐる旅だった。タウトがウラジオストックから敦賀港に着いたことを追体験してみようと、新潟港から敦賀港に船で入るコースを考えたのだった。
それで、1933年のおそらくひなびた様子だったろう敦賀港を思い描いていたのだが、実際に海から近づく敦賀港はいかめしい姿をしていた。フェリーが向かっていく港の背後には、おそろしく巨大な工場施設が構えていた。(あとでわかってみれば、セメント工場と、北陸電力敦賀火力発電所だった、)

フェリーから降りると、フェリーターミナルはすっきりした現代建築で、これもあとから調べてみると、1996年に竹中工務店の設計で新築、移転したものだった。 敦賀新港フェリーターミナル

ロケのときは、船から降りる状景を撮影されながら歩き過ぎたが、今日はゆっくり中を見て回った。これからフェリーが入港も出港もしない時間なので、窓口に係員の姿が一人見えるだけで、巨大な施設にあとは人を見かけなかった。

* 敦賀市内に予約した今夜の宿に向かう。
敦賀市内の呉羽町という地域に、東洋紡の工場や社宅が広い面積を占めている。
その隣に今夜の宿があった。


● ニューサンピア敦賀
福井県敦賀市呉羽町2 tel. 0770-24-2111
http://www.newsunpia-tsuruga.co.jp/

結婚式場やスケートリンクも備える大きな施設で、どこに置こうか迷うほど駐車場が広い。 ニューサンピア敦賀

食事無しで5800円で十分に快適。
レストランはちょっと高い。部屋からコンビニのマークが見えたので夕食と朝食を調達してくる。

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 第2日 越前から勝山

* 2日目は、敦賀湾と越前海岸に沿った海辺の道を北上してから、東(内陸部)に向かい、越前、一乗谷、宝慶寺、白山神社を経て、勝山に泊まる。

■ 越前陶芸村・福井県陶芸館
福井県丹生郡越前町小曽原120-61  tel. 0778-32-2174
越前陶芸村 http://www.echizentogeimura.com/index.cgi
福井県陶芸館 http://www.togeikan.jp/togeikan.html

周囲はありふれた日本の山里風景だが、越前陶芸村に入ると、工房や展示施設や料理処や喫茶の店がゆったりと点在していて、別世界になっている。
4月末のことで桜が盛りはすぎたが、今年は寒かったせいもあるか、まだかなりの花が枝に残っている。
福井県陶磁館の2階の窓から見おろすと、淡い新緑が視界の一面に見渡せる。春のやわらかな美しさに泣きたくなるような感慨がこみあげてきた。

『街道をゆく』の「越前の諸道」で、司馬遼太郎と須田剋太が陶芸村を訪れている。
福井県陶芸館は1971年に開館し、『街道をゆく』の一行がここを訪れたのは1980年だった。当時は須田剋太の絵にあるように、ごくふつうに棚に壺などが並んでいたようだ。
2009年にリニューアルされて、越前焼の食器に盛りつけるテーブルコーディネートの展示とか、照明方法とか、いかにも今のセンスになっている。(写真右)

須田剋太『古越前壺』 福井県陶芸館の展示室
須田剋太『古越前壺』

須田剋太はここで『上長佐古窯跡風景』を2点描いている。
どこかわからないので陶芸村の案内所で尋ねると、埋め戻したので今は地上に見えていないとのことだった。

* 越前町から東に走って越前市に入る。
市の中心部からはちょっと離れた図書館の駐車場に車を置く。

□ 越前市武生公会堂記念館
福井県越前市蓬莱町8-8 tel. 0778-21-3900

1929年に「武生町公会堂」として建った建物が、1995年頃、改修して佐伯祐三の美術館になることが計画されたが、作品の真贋問題が起きてとりやめになった。

武生公会堂 その問題は結局どう決着したかよくわからないのだが、今来てみると、美術館に予定された建物は歴史資料などを展示する博物館になっていた。

● うるしや
福井県越前市京町

『街道をゆく』では、「北国街道とその脇街道」(1972年)と「越前の諸道」(1980年)の2回、このそば屋を訪れている。
同じ店に2度行くのは珍しいし、司馬遼太郎は長い文章を書き、須田剋太は1回目に1点、2回目に2点の絵を描いている。
探し当ててみると「本日休業」の札がかかっている。休みなのは残念だが、古い店がまだ続いているようでよかったと思う。

須田剋太『うるしそば屋にて』 うるしや
須田剋太『うるしそば屋にて』

ところが近くに暮らしているらしい女性を見かけたので尋ねてみると、「先代が亡くなったあと店はやめている。訪ねてくる人があるから、"休業"としているようだ」という。
惜しいと思う。

ここでそばを食べるつもりだったので、それも困った。ついでにおいしい店はどこか尋ねると、
「そば屋なら、このあたりにもあるけど、それより何ていったか」
と、おすすめの店の名前がすぐでない。ちょうど知り合いらしき別の女性が自転車で通りすぎたのを呼び止めて、きいてくれて、
「そう、たかせやさん。駅につきあたって手前の道を右へ」
と、道順を教えてもらった。

● たかせや 
福井県越前市府中1-8-14 tel. 0778-22-0799

たかせやはすぐに見つかった。老主人?が、歩いて出前に出るところだった。揺らさないように、そっと歩いていく。
おろしそば定食690円を注文した。
そばのほかに、おむすびと味噌汁ときゅうりの漬物がついている。
山芋を大根おろしに混ぜてつゆに入っているので、ややトロッとした食感になる。蕎麦湯がはじめから盆にのっているのは僕は初めてだった。
ご飯系の定食に味噌汁は定番として、そばに味噌汁も珍しい。

たかせや・越前そば 左上に味噌汁。
右上がそば湯。
下の中央がつゆ。

近くの店よりあそこをとすすめてくれたのに納得するのおいしさだった。
店は新しそうなビルの1階にある。ビル内といっても、モダンでもなく、古さを演出しすぎるでもなく、適度に古びて落ち着いた、いい雰囲気だった。元の店を再現したのかもしれない。

* レンタカーを置いた駐車場にタクシーで戻って図書館に寄ってみた。

■ 越前市中央図書館
福井県越前市高瀬2-7-24 tel. 0778-22-0354
http://lib-city-echizen.jp/

扇状の閲覧室の要の位置に貸し借りのカウンターがある。
間接照明が柔らかく落ち着いた気持ちにしてくれる。
越前市中央図書館

隣に遊園地があり、小さな観覧車がある。
観覧車つきの図書館!
高松の宮脇書店本店には、屋上に観覧車がある。
観覧車に乗って読書したら気分がよさそう。

* 北陸道の福井i.c.を経て一乗谷に向かった。
海に面した敦賀市から出発したが、東の山中に入てきている。
一乗谷には2004年8月2日に来たことがある。
7月18日に集中豪雨があり、大きな被害がでたあとだった。
九頭竜線は全線不通になっていたが、そのときもレンタカーを借りていたので移動に支障はなかった。でもあちこちで被害の跡を見かけることになった。
一乗谷朝倉氏遺跡資料館では、休館して、玄関前に資料などを運び出して、洗ったり乾かしたりの作業をしていた。
今日通りかかると、8年も経っているから当然のことにふつうに開館していた。


■ JR九頭竜線足羽川鉄橋

一乗谷駅の東で線路が川を渡る地点では、鉄橋が途中でなくなっていた。
これも今は新しい橋が架かっているが、九頭竜線の全ての改修が終わって全線開通するまでには3年もかかっていた。

足羽川鉄橋・崩落している 足羽川鉄橋・改修後
2004年8月 2012年4月

『街道をゆく』の「越前の旅」で、司馬遼太郎は新聞記者時代の1948年に福井地震の取材に来たことに何度かふれている。
福井も災害の多いところのようだが、新たな悲劇が起きなければいいと思う。

■ 一乗谷朝倉氏遺跡

前に来たときにも、この城趾の城らしくない形態に驚いたものだった。
並行する丘の中央を細い一乗谷川が流れている。丘に挟まれ、川に沿った帯状の土地が城と城下町だった。
人里離れた桃源郷のような趣がある。こんな城ってありだろうかと思った。
今も観光資源としてやや浮き世離れしている。遺跡を見学するのに210円の入場料を払うのだが、その入口近くにごく小さな売店や簡単な食事どころがあるだけ。整備された遺跡にしては、ほかに土産物屋だの有料駐車場だのホテルだの、観光付随施設がいっさいない。
もちろん訪れる者にはそのほうがありがたい。

ここで須田剋太は3枚描いている。
門はそのままに描かれている。

須田剋太『一乗谷朝倉氏遺跡』 一乗谷朝倉氏遺跡・門
須田剋太『一乗谷朝倉氏遺跡』

庭に上がる階段登り口がちょっと謎。絵では(写真左:須田剋太『一乗谷朝倉氏遺跡』)、左にある案内表示が石に見える。目の前にあるのは、木の案内板(写真右)。

須田剋太『一乗谷朝倉氏遺跡』 一乗谷朝倉氏遺跡・階段
須田剋太『一乗谷朝倉氏遺跡』

春が関東より遅く、桜がまだきれいに咲いて、ときおりの風に吹かれて、ゆったり散っている。
山の新緑も爽やかで心地よい。

* 福井県の東のはじの大野市に向かう。
宝慶寺は大野市街の南部の山中にある。
司馬遼太郎は、『街道をゆく』の取材のとき、宝慶寺が今もあるかどうかとさえ危惧しながら向かっている。
ところが、今、宝慶寺に向かおうとすると、地図に「宝慶寺いこいの森」とあり、道路に「宝慶寺」を示す案内表示があり、ずいぶん開けている予感がする。


■ 宝慶寺(ほうきょうじ)
福井県大野市宝慶寺1-2 tel. 0779-65-8833

『街道をゆく』では、宝慶寺はひっそりと忘れられたような寺で、若い雲水が静かに厳しい修行をしているように書かれていた。
 歴史的な存在としての宝慶寺は存在するが、その寺が、いまもこの山中にあるのかどうか、ということについては、多少の不安をもっていた。(『街道をゆく18』「越前の諸道」)
ようやくたどりついてみる「有形文化財 宝慶寺」という(寺自身ではなく)福井県がかかげた高札があった。
 寺としての宝慶寺が、存在したのである。
 四脚門をくぐっても、道はつづいている。そのはてに楼門とは名ばかりの簡素な山門があった。その簡素さがえもいえず好もしいが、しかし印象といえば貧寒とした山寺であるというほかない。
ひたすら座禅をするという道元の思想を継ぐ寂円が、死ぬまで籠もって座禅を続けたという宝慶寺。
開祖道元の意にそぐわない大規模造営をした永平寺。
2つを対照し、宝慶寺を評価する立場で司馬遼太郎はこの寺のことを記している。道元の思想に心酔する須田剋太への親近の思いもこめられているだろう。

宝慶寺・周辺 僕が着いてみると、道を走ってきたときの予感どおりに、山門周辺は整備されている。大寺院というのではないが、立派に構えていて、「貧寒とした山寺」という印象ではない。


須田剋太『宝慶寺』 宝慶寺・山門
須田剋太『宝慶寺』

本堂に向かうと靴箱にたくさんの靴が入っている。中に入りかけると中学生の団体がいた。
座禅を終わり、寺での役職名を何というのか、トップの僧の話が始まるところだった。周囲に数人の僧が立っておられ、入って差し支えないと目で合図されるので、すみに座って話をきかせてもらった。

宝慶寺は山深いところにあるが、ここから永平寺のトップの僧が何人もでていると言われる。道元や寂円のことではなく、宗門内のシステムのことからこの寺の重要性を語るのことに、違和感を覚える。
それから講話になったが、殺人者の話だった。現実の殺人ではなく、宗教上のたとえ話としても、過激で残酷で、聞いていてちょっとつらくなる。
続いて別の僧の話が始まり、まだ長くなりそうなので、本堂を辞した。

司馬遼太郎の一行は雲水に案内されて、道元や寂円の画像を見ている。
須田剋太はここで(『須田剋太[街道をゆく]挿絵原画全作品集』におさめてある限りでは)9枚描いている。
僕もできれば須田剋太が見た内部や画像を拝見したかったのだが、諦めることにした。
『街道をゆく』は永平寺に批判的に書かれているので、その足跡をたどっているので拝見したいとはいいにくくもあった。

須田剋太『宝慶寺』 宝慶寺
須田剋太『宝慶寺』


須田剋太『宝慶寺』 宝慶寺・民家
須田剋太『宝慶寺』

* 宝慶寺を出て、大野市の北隣、勝山市に向かう。
午後、だいぶ時間が経ってきた。
明日は雨という天気情報で、晴れている今日のうちに白山神社を歩きたかった。
今夜は旅館で食事をとるから、そのためにもあまり遅くなりたくない。
何とか4時頃に着いた。


■ 白山神社
勝山市平泉寺町平泉寺 tel. 0779-88-1591

参道が広く、その両側に並ぶ木は大きい。その下を歩いていると巨人国のガリバーみたいに感じる。
広い杉林はひっそりして、地面は厚い苔で覆われている。

白山神社・玄成院庭園 玄成院庭園だけが有料だが、
「庭園拝観の方は、拝観料をお納めの上ご自由に御覧下さい 拝観料 お一人 五十円」
と記した札の前にむきだしの箱があり、前に払った人の100円玉や50円玉が数個見えている。
1980年に訪れた司馬遼太郎が「拝観料五十円というのも時勢ばなれした安さだが」と書いている。当時で時勢ばなれした額だったのに、30年ほど経ってもなお同じ額でいる。

2004年、集中豪雨のあとの旅のとき、ここにも来たことがある。
そのとき、発掘調査をしているという案内標示にしたがって発掘現場まで行ってみたことがある。8年経ってきてみたら、なお発掘調査の標示がある。こういう点でも(今も広いが)かつての白山神社のさらに並外れた大きさが感じられる。

発掘現場に向かうには、中央部に石を敷いた急坂を下った。そのとき、石の脇の細い溝をカラの一輪車を押して上がってくる人に出会った。

白山神社・落ち葉拾い 発掘現場から戻るのに石の坂道を上がっていくと、さっきの人が坂を後ろ向きに降りてくる。一輪車には杉の落ち葉があふれるほどに乗っている。境内の杉の落ち葉を清掃しているのだった。

たまの旅行者は厚い苔を見て「きれいだ」とのんきに眺めているが、ほっておけば苔は杉の落ち葉に埋もれているはず。こうした努力で美しさが維持されていることに思い至る。
それにしても境内は広く、杉の木は大きい。その葉の量を思うと気が遠くなるほどで、歩きにくい坂道を幾度も往復する人を見てシジュフォスの神話を連想した。
拝観料50円で固定されている背景には、近くに住む人たちのこういう努力がある。

須田剋太『白山神社』 白山神社:苔
須田剋太『白山神社』

門前には小さな土産物店と食堂がある程度で静か。
新しい建物ができつつあって、「史跡白山平泉寺旧境内ガイダンス施設新築工事」とある。2014年秋に開館すると、訪れる人が多くなるかもしれない。

須田剋太『白山神社入口』 白山神社・入口
須田剋太『白山神社入口』

* 今日は海辺からスタートして、山側のかなり奥深くまでかなりの距離を走ってきた。前半の2日が終わり 雨が降らないうちに白山神社まで回れてよかった。

● 板甚料亭旅館
福井県勝山市本町2-5-14 tel. 0779-88-0020

『街道をゆく』「越前の諸道」で、司馬遼太郎が、
ともかくも、私はこの宿にとまりたくて、宿泊地をわざわざ勝山にしたのである。」として泊まった宿。
僕も前の勝山旅行でこの宿の外観だけは眺めにきたことがあるが、泊まるのは初めて。
板甚旅館

2階のつきあたりの部屋に案内された。
窓を開けて風を通す。
4月下旬にもなって白山神社に雪が残っていたが、ここの窓から見おろす小さな庭にも雪がある。
「今年は寒くて梅と桜が一緒だった。庭の青桐がまだ芽をださない。」と女将がいわれる。

夕食は蔵でとった。
この宿は『街道をゆく』の取材のとき一行が泊まったところで、女将はそのときのことを覚えていらした。
そのとき何人だったのか尋ねると、2泊して、1泊目は11人、2泊目は10人だったというので驚いた。
司馬遼太郎と須田剋太のほかに、司馬遼太郎夫人、朝日新聞の担当者はいつものこととして、ときおり文章に詩人の○さんだとか、建築家の△さんだとかが登場することがあるから、そのときどき加わる人があることは承知していたが、そんな大勢になるとは予想外だった。
そんな人数でタクシーで移動すると、3台だろうか。
するとどういう分け方で乗るのだろう?
あるいは夜だけ集まった方たちかもしれない。

司馬さんもよく話すが、須田さんもたくさん話すふうだったという。
道路の舗装を剥がしてつかまったことを聞いたといわれる。ずいぶん前、浦和に暮らしていた時期のことだが、須田剋太にとっても若い頃の武勇伝として印象深い事件だったようだ。

須田剋太が着ていた分厚いジーンズのつなぎはおなじみのスタイルだが、旅に出て、夜のそこそこ長時間になる席では何を着ていたろう?としょうもないことが気になっていて、これはいい機会と尋ねてみた。
須田剋太は浴衣に着替えていたか?
残念ながら、女将の記憶からはそのことは消えてしまっていた。

蔵の座敷は3部屋ある。いちばん奥の、床の間のある部屋で食事が済むと、真ん中の部屋にテーブルを置き換えて、あとはもういいよと言われたという。
そのあと、集まった人たちで遅くまで話しこんだようだ。

(→須田剋太と浴衣について[向日葵忌2-河内])

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 第3日 永平寺・東郷・丸岡城・三国

■ 勝山

朝、『勝山』と題された絵の場所を見に行く。
平甚と同じ通りに面して、平甚から十数軒ほど離れていたか。
傘がいらないくらいの霧雨が降っている。

須田剋太『勝山』 勝山の街
須田剋太『勝山』

* 今日は勝山から九頭竜川沿いに下って、いくつか寄り道しながら、また海辺の三国に向かう。
勝山から出るとしばらく西へ九頭竜川と並行して勝山街道を走る。
ときおり川に近づく。
このあたりでは流れが速い。
川が急いでいる-というふうに見える。


■ 永平寺
吉田郡永平寺町志比5-15 tel. 0776-63-3102

『街道をゆく』の「越前の旅」で、はじめ司馬遼太郎は永平寺には行かないつもりでいた。しかし、「道元に対しても、道元につよい敬意をもつ須田画伯にも失礼なのではないか」と思い直して、平甚の寝床のなかで行くことに決めた。
ところが行ってみると思わぬ事態になった。

やがて永平寺に近づくと、客を吐きだしたバスが多くうずくまっていて、さらにゆくと、団体客で路上も林間も鳴るようであり、おそれをなして門前から退却してしまった。(中略)
道元の思想を造形化したただひとりの画家が、七十歳をこえてはじめて永平寺の門前に立ったのである。
 その画伯が、門前のふんいきからはねとばされるように九頭竜川の河畔にもどったのは、気の毒ともなんともいえない。

それでも須田剋太は永平寺で2点描いている。
白山神社の静けさとは対照的に、永平寺は門前町が発達している。
そのまだ入口あたりの店の駐車場に車を置き、 駐車料金400円を払ったついでに、須田剋太が描いた『永平寺門前街』の絵(写真左)を見てもらってどこかわかるだろうかと尋ねると、さすがにすぐわかって、間近の場所を教えられた。

須田剋太『永平寺門前街』 永平寺・門前町
須田剋太『永平寺門前街』

もう1点は、階段を上がると拝観料を納めることになる正面の入口。

須田剋太『永平寺にて』 永平寺・山門
須田剋太『永平寺にて』

須田剋太は、宝慶寺では参道など関連図を含めて10枚描いた。
白山神社では10枚。
道元に心酔する画家なのに、その宗派の総本山の永平寺では、わずかに2枚きりだった。

僕は前に来たことがあり、須田剋太と同様にここで引き返した。
空は雨模様だが、降らずにすんでいる。

* 夕べ泊まった平甚で、今ごろ気づいたことがあった。
須田剋太が「越前の旅」で描いた挿絵を眺めていたら、1カ所見落としていた。「東郷」と題された作品(下の写真左)で、細い川の中央に石灯籠があるように描かれている。あらためて『街道をゆく』の文章を確かめてみると、東郷を通っていた。

ただ、どうも道順が妙なことになっている。
『街道をゆく』の記述にしたがえば、勝山を出て大野から国道158号に入る。田尻という字を過ぎたところで158号からそれて、足羽川の左岸を行く。途中で左に折れると一乗谷川に沿った朝倉街道で、一乗谷の朝倉遺跡に向かうようになっている。
ところが、その数行先では、

道を折れてほどなく、美しい在所に入った。
とあって、その説明は東郷のこととしか判断しようがない、
東郷は足羽川の左岸を行く道の、一乗谷に折れる地点より先にある。折れて朝倉街道に入ったのなら、東郷には着かない。
司馬遼太郎が道を混同したか、東郷の美しい様子にふれるために、無理に挟みこんだのか。

細かなことを詮索してもしかたがないが、須田剋太が絵を描いてもいるし、どんなところか知らなかった地名なだけに行ってみたくもある。
時間をむだにしないためには、行程をできるだけきれいな一筆書きにしたいが、東郷に行くにはきのう通った一乗谷に戻ることになる。
ちょっと迷ったが、行くことにした。


■ 東郷

九頭竜線の越前東郷駅の南に、東西に走る細い道があり、中央部を九頭竜川から引いた用水が通っている。
暮らしに密着した用水らしく、流れの脇にベンチが置かれていたり、流れの中に植物を植えた鉢が置かれたりしている。
司馬遼太郎の文章では、
溝川にかかった可愛い橋のたもとに、背の高い石組みの上に載せられた石灯籠が建っている。
と書かれている。
灯籠も用水沿いの遊歩道のアクセントなのかと思ったら、用水の脇にある稲荷神社への参道が横切っていて、そのための灯籠だった。

須田剋太『東郷』 東郷
須田剋太『東郷』

* 空がいくらか明るくなっていて、まだ傘をつかわずにすんでいる。
ふたたび北に向かって、福井市の北、坂井市に入る。


■ 丸岡城
坂井市丸岡町霞町1-59 tel.0776-50-3152

小さな城だが、創建当時の天守が残る数少ない城のひとつ。(1948年の福井地震で倒壊し、1955年に部材を組みなおして修復再建されてはいる。)
雨は降っていないが、風が強い。石垣の上に上がる石段は急だし、手すりなんかない。先に見終えた老夫婦が手をつなぎあって降りてくる。手をつなぐ人がいない僕は風に飛ばされないだろうかと心配になるほど。
内部は質素で、小さな窓から光が射しこみ、現代アートの空間のようだった。

須田剋太『丸岡城』 丸岡城
須田剋太『丸岡城』

● 休憩所

丸岡城の休憩所で、また越前そばを食べた。休憩所なみの味だった。

■ 坂井市立中野重治文庫記念丸岡図書館
福井県坂井市丸岡町霞3-10-1 tel. 0776-67-1500
http://www.city.fukui-sakai.lg.jp/tosyo/

城の駐車場のすぐそばに図書館があるので寄ってみた。
城の近くにあることに配慮して、和風で、大きな瓦屋根がどっしりと安定感がある。
地域の特徴として中野重治文庫がある。(このあと図書館を車で出てまもなく、生家への標識があった。)
中庭を囲うように閲覧室があり、一部は吹き抜けで2階になっている。その2階の横長の閲覧席で、高校生くらいの女性2人が、顔をくっつけるようにして、楽しそうに話している。
ゆったり、のどか。
丸岡城の休憩所でランチしてきたあとでうっすら眠い。中庭に向けて置いてあるソファで、すこし昼寝をした。
図書館から駐車場に戻るときにはかなり強い雨になっていて、とうとう傘を使った。

■ 河口・合流点ウォッチング(2)九頭竜川・日野川合流点

足羽川は福井市街の西で日野川に合流する。
その日野川は、5kmほど下ると今度は九頭竜川に合流する。
九頭竜川の右岸から合流点に近づいた。
土手に上がる。
さいわい雨は降っていないが、風が強い。河口や合流点を見に行くと、天候が荒れることが多い。土手の上に置いて軽自動車が転落すると面倒なので、風の弱い土手の下に車を置く。

九頭竜川と日野川の合流点 手前・九頭竜川は青黒い水、向こうからの日野川は土色をしている。

さらに北に向かって走り、木部小学校付近の土手上の道で車を降りる。
川がゆるくカーブしていて、流れがゆうゆうと広がっている。
朝、勝山を出たあと見た九頭竜川は急流だったが、ここまで下るとゆったりしている。
司馬遼太郎は旅のあいだいつも川の流れを意識しているらしいことが感じられる。このあたりでも九頭竜川の流れに沿うためにこの道を通って三国に向かったようだ。

 武生の「うるしや」を出て、日野川が北へ流れてゆくのに沿い、やがて九頭竜川への合流点に達した。
 さらに下流へゆき、木部新保(きべしんぽ)というあたりで堤防にのぼり、大きくふとった九頭竜川を見た。(中略)
まことに木部新保で見るこの川は、『論語』のなかで孔子が川の上(ほとり)に立ち、「逝(ゆ)くものは斯(か)くの如きか、昼夜を舎(お)かず」とつぶやくくだりが、湧くような感情とともに思い出されてくる。ただ単に水が流れている。しかし時もまたこのように過ぎてゆく。

須田剋太『九頭竜川』 九頭竜川
須田剋太『九頭竜川』

* また海辺に達する。

■ 三国港=河口・合流点ウォッチング(3)九頭竜川河口

日野川との合流点から20kmほど下ると、九頭竜川が日本海に注ぐ河口で、三国港になる。
右岸からは防波堤が左に弧を描いて延びている。
明治時代にオランダから招かれたエッセルが設計し、デ・レーケが監督して1880年に竣工した。
国の重要文化財に指定されている。
今ならテトラポットを埋めそうなところにごつごつした岩が並んでいるのは、東尋坊から切り出して運んだものという。
電線が延びている先に灯台がある。
雨は降っていないが、強い風が吹き、空には暗い雲。
黒ずんだ海面には波がざわめいていて、何だか不安になってくるほど。
ここでも河口の荒天に見舞われる。

須田剋太が『三国港近く』とかきこんだ絵を描いている。(下の図)
港のどこかを描いたものと漠然と見ていたが、気がつけば電柱が数本並んでいるのは右岸の堤防。鉄塔とタンクらしきものは左岸の風景。九頭竜川の河口に向かって描いたのだった。

三国港の対岸(九頭竜川の河口左岸) 三国港・エッセル堤(九頭竜川の河口右岸)

須田剋太画『三国港近く』

須田剋太『三国港近く』

■ みくに龍翔館
坂井市三国町緑ヶ丘4-2-1 tel. 0776- 82-5666
http://www.ryusyokan.jp/

みくに龍翔館は、もと龍翔小学校を復元した博物館。
1879年に完成し、35年後の1914年に取り壊されている。
設計したのは防波堤と同じエッセルGeorge Arnold Escherで、当時の三国湊はこんな学校を建てる勢いがあった。
エッセルは、だまし絵で有名なエッシャーMaurits Cornelis Escherの父で、そんな縁から、三国ではトリック・アートのまちづくりをしている。館内にはそのコンテストの入賞作品も展示してあった。

『街道をゆく』「越前の旅」で、一行は千石船の模型を見ている。

 このあと、三国町の教育委員会へ行き文化遺産施設準備室の室長である林三郎先生をたずね、千石船の模型を見せてもらった。
 ゆくゆく明治の洋風建築を移築して、
「郷土資料館」
 という大きな建物ができるらしいが、まだ完成していない。(中略)
 まったくこの五分ノ一の模型にはおどろかされた。(中略)日本でただ一艘(そう)千石船を再現したというのは、三国町の快挙というべきものにちがいない。

文中の「郷土資料館」として完成したものが、みくに龍翔館のことになる。
千石船の1/5スケールの模型が完成したのが1979年。
『街道をゆく』の一行が訪れたのが1980年。
みくに龍翔館の開館が1981年だった。
今訪れると、入口を入ってまっすぐ進んだ正面中央に、この館のトップスターというふうに千石船の模型が置かれていた。

須田剋太『北前船千石船模型』 みくに龍翔館・千石船
須田剋太『北前船千石船模型』

■ 三国大野屋と宮太旅館

みくに龍翔館のある丘から降りて、えちぜん鉄道の踏切を渡り、みくに文化未来館に車を置く。
高見順の生家を見てから坂を上がると金鳳寺がある。ここは港をみおろす日和山でもあるのだが、日和山を一部崩して、その土で土地を広げたとあとできいた。

三国・日和山 鐘楼を兼ねた風変わりな石の門がある。
下をくぐって向こうに階段を降りる。

この街には2度目なのだが、前は須田剋太が来て描いた所ということを意識していなかった。
古い特徴ある建築がいくつも残っているうち、もと三国大野屋と宮太旅館が、須田剋太が描いた建物らしかった。

三国大野屋(上の写真)は、大野藩の物産を売る店で、今でいうアンテナショップ。
今は乾物屋らしい。木のガラス戸の向こうに、木のショーケースが並んでいる。袋入りの乾麺とかゴマとかの商品を置いてあるが、ふつうに店が営業中なのかどうかわからない。売る気があるのか、買いにくる客があるのか。
ここまで来る途中、大きな木の隣に、元は写真館というやはりレトロな骨董品店があった。そこもガラス越しにのぞくと骨董品が並んではいるが、やってるような、やってないような、妙な空気だった。
宮太旅館(下の写真)は営業中らしいが、ここも人が動いている気配がない。

須田剋太『三国港街』 宮太旅館
田剋太『三国港街』

細部が違うように見えるが、なかの建具の開け閉めの具合によるかもしれない。あるいは観光案内図に掲載された民家ふう建築はこれくらいだが、地図に公表されていないものを須田剋太が描いた可能性もある。
とうとう本格的に雨が降ってきて、町を歩き回って確かめる気にはならない。

旧森田銀行や三国湊町家館には人がいて、どちらも明るく説明してくれる。海岸沿いの家は、堤防がない頃、よく水に浸かったという。
木工会社の倉庫を改造した三国湊座に寄ってグレープフルーツジュースを飲んでひと休みした。

● あわら温泉 美松
福井県あわら市舟津26-10 tel. 0776-77-2600

前に三国に来たときは、海岸に立つ若えびすという宿に泊まった。
今回はあわら温泉にした。とびきり高額な部屋もある高級旅館らしい。ふつうなら縁がないが、素泊まり3900円、部屋はおまかせで、要望、苦情は受け付けないという条件つきというのにひかれた。
部屋に高望みはしないが、予想と違ったのは、周囲が温泉街ではなくて、田んぼの真ん中にある。あとは倉庫か工場からしい大きな建物があるくらいで、外に食事に出られるようなところではなかった。たまたま近くに1つコンビニがあって、夕食と朝食を調達した。
宴会場で盛り上がっていそうな時間に広い大浴場を独占して入り気分がよかった。

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 第4日 加賀・小松・金沢

* きのうの雨模様はすっかりなくなって朝からさわやかに晴れている。
今日は加賀、小松と北上して、午後、ようやく金沢市に入る。
(これ以後は直接須田剋太に関係する地はない。)


■ 塩屋港=河口・合流点ウォッチング(4)大聖寺川河口

あわら温泉から北東に走ると北潟湖に沿った道になる。
目にうるさい観光的施設や案内看板がなくて、眺めがとてもすっきりしている。
水面を感じながら走っていると、とても気持ちがいい。
北潟湖の北端は大聖寺川(だいしょうじがわ)に接続していて、川はすぐ塩屋港で日本海に注いでいる。

河口の地形が不思議で印象的だった。
右岸のコンクリート岸壁に立つと、対岸には白っぽい肌の上に木が生えた細い岩が、防波堤のように沖に向かっている。名称・松島の小島が並んで防波堤の代わりでもしているふう。
港には烏賊釣り船らしい小型の船が一列に並んでいた。
大聖寺川の河口・塩屋港

* 大聖寺川の河口が福井と石川の県境で、ようやく石川県に入る。

■ ユートピア加賀の郷(加賀大観音)
石川県加賀市作見町観音山1-1 tel. 07617-3- 2580

バブル期にできた仏教系のテーマパークが、規模を小さくして公開中。
近づくと金色の大観音が人家越しにそびえているのが見える。
拝観料500円を賽銭箱に入れて入る。
ほかに千体仏がずらりと並ぶ三十三間堂とか、釈迦生誕地のジオラマとか、けっこうワクワクする。
加賀大観音

創業者はただ今までにない目新しいテーマパークを作ろうとしたのか、まっとうな宗教的信念があったのか、わからない。

■ 九谷焼窯跡展示館
石川県加賀市山代温泉19-101-9 tel. 0761-77-0020
http://www.kagacable.ne.jp/~kamaato/


窯跡などというと、昔の窯がいつの頃か忘れられて地中に埋もれていたのが見つかったというのがふつうだろうが、ここはとても特殊だった。
第二次大戦中に、爆撃の目標になるからと破壊命令がでて窯が壊された。人家が建って年月を経たが、覚えている人があり、発掘され、文化財に指定され、保存されることになった。

内藤廣が設計した構造的な覆いがかけられている。(写真上)
隣に小さな小屋があるのは、窯が破壊されるのを惜しんだ職人たちが、廃材を使って小さい窯をこっそり作ったという。(写真下)
九谷焼窯跡展示館

九谷焼の窯

* さらに東北に走って小松市に入る。
市の中心部に芦城公園があり、その近くに文化施設が集中している。
車を置いて、歩いて回る。


宮本三郎美術館 ■ 宮本三郎美術館
石川県小松市小馬出町(こんまでまち)5 tel. 0761-20-3600
http://www.kcm.gr.jp/miyamotosaburo/

宮本三郎の絵としては戦争画『山下・パーシバル両司令官会見図』に強い印象がある。
1960年代の作と思われる裸の少女の熱を帯びた瞳も忘れがたい。
生地の小松の美術館に来てみると、日本の四季という4点の大きな作品が展示してあった。
「酪農(春)」「地曳網(夏)」「収穫(秋)」「伐採(冬)」。
穏やかに風景を描いていて、戦争画と裸体画との大きな落差に驚いた。戦後に再生するためには、日本の自然に沈潜する時間が必要だったのかもしれない。

■ 小松市立本陣記念美術館
石川県小松市丸の内公園町19番地 TEL 0761-22-3384
http://www.kcm.gr.jp/honjinkinen/

小松市立本陣記念美術館
黒川紀章が設計した美術館。
本陣というから、歴史的由緒に関わるのかと思ったら、本陣甚一という元・北國銀行頭取のコレクションによる美術館だった。

北澤楽天の2曲1双屏風『師宣語り武原はんの図』というのがおもしろかった。楽天というのは風刺漫画の人と思っていたが、こんな大きな絵も描いていた。

■ 小松市立図書館
小松市丸の内公園町19番地 tel. 0761-24-5311

小松市立図書館
入口を入ると吹き抜けになっていて、2階のガラス張り閲覧室が宙に飛び出すように迫ってくる。
さすがに空港に近い図書館。

小松の作家、森山治の記念室があり、川端康成や中野重治からの手紙や、福井中学で同級だった深田久弥が亡くなったときの弔辞などが展示されていた。

■ 小松市立空とこども絵本館
小松市小馬出町10-3 tel. 0761-23-0033

小松市立空とこども絵本館
ひとまわり見終えて芦城公園前の駐車場に戻ると、すぐ前にあるレトロな建物があらためて気になった。
「空とこども絵本館」とある。

入ってみるときれいな室内にたくさんの絵本。
小松空港が近いから、空への憧れを満たすように、空にかかわる絵本を集めた一画もある。
リノベーションした施設なのだが、元は何と驚いたことに警察署!
1931年に小松警察署として建てられ、一時市役所の庁舎になったあと、絵本館にかわった。国の登録有形文化財に指定されている。

● 喫茶フローラ 

喫茶フローラ 公共施設が集中していて昼を食べるところがなさそうなので、空とこども絵本館で話をきいたついでにおいしい店があるか尋ねてみた。
窓から向かいに見える喫茶フローラをすすめられ、そこにした。

オムライスのセット1000円は、サラダ、コーヒー、チーズケーキまでついて、なかなかよかった。

* 市の中心部から海に向かい、途中で梯(かけはし)川と前川の合流点に寄った。

■ 河口・合流点ウォッチング(5) 梯川・前川合流点

東から西へ流れる梯川(写真向こうの流れ)に、南から流れてきた前川(写真右下から左へ)が合流する。
河口から1kmほどの地点で、前川の先端部には、海からの水が上流を襲うのを防ぐ逆水門が設けてある。
梯(かけはし)川と前川の合流点

1934年には大洪水があり、10kmほど離れた手取川左岸から梯川右岸一帯にかけて巨大な湖になったという。

■ 安宅の関跡=河口・合流点ウォッチング(6)梯川

安宅湊口灯台

梯川の河口

梯川左岸は歌舞伎・勧進帳で名高い安宅の関があったところ。
河口近くに車を置き、住吉神社を抜けると、浜辺の公園になっていて、義経、弁慶、冨樫3人の像があり、勧進帳ものがたり館がある。
砂浜を歩いて河口に戻ると、安宅港口灯台がある。
長い砂浜、ゆったりと海に注ぐ川。
河口や合流点に行くと、雨が降ったり、風が吹いたり、荒れることが多いのだが、めずらしく静かな眺めにあった。

* 10kmほど東に行くと手取川の河口がある。

■ 河口・合流点ウォッチング(7)手取川河口

手取川は、地質関係の本や展示でしばしば目にする注目地だから、河口にも期待してきた。

手取川の河口
川幅が広く、水が堂々と海に流れこんでいて風格さえ感じる。
でも右岸に岸壁を作り、公園にして、すぐ背後は北陸道が高架を走っている。

自然と人工物との配置が窮屈で、ゆったり景色を眺める気分になれない。
それぞれの人工物が全体の構成を考えないまま、成り行きでできてしまったのかもしれない。

* 海岸線を離れて金沢に向かうが、市の中心部に入る手前で1つ寄り道する。

■ チカモリ遺跡・金沢市埋蔵文化財収蔵庫
金沢市新保本町5-48 tel. 076-240-2371

縄文晩期の遺跡。平坦な住宅街の公園の一角にある。

直径90cmほどと推定される栗の木を割って円形に配置した遺構が発掘されている。天文と祭祀に関わるストーンヘンジのようでそそられて見に行ったが、今のところ住居跡という説が有力らしい。
どちらにしても板の間をさまよっていると遠い時代へ運ばれる遙かな気分になる。
チカモリ遺跡

すぐ隣に、発掘された木を保存のために水槽に保管している収蔵庫があり、公開されている。大きな水槽の中の木材も長い時間を孕んでいて見応えがある。

● すみよしや旅館
石川県金沢市十間町54 tel. 076-221-0157

すみよしや旅館 ここには前にも泊まったことがある。
創業360年の風情があり、金沢城のすぐ北という位置も便利だし、食事がおいしく、しかも高くない。
今度も食事も楽しみで予約したのだが、金沢21世紀美術館のレセプションの招待状を受け取ったので、朝食のみに変更した。

古い風情があり、設備は今の水準に更新してあり、快適だった。

■ 金沢21世紀美術館「工芸未来派」展
石川県金沢市広坂1-2-1  tel. 076-220-2800
http://www.kanazawa21.jp/


「工芸未来派」展に、友人の陶芸作家、野口春美さんが出品されている。
この展覧会のためだけに旅に出たのではないが、日程的には、明日から始まるこの展覧会を最終目的地にして長いコースを経てきた。
金沢21世紀美術館

「日本の伝統という呪縛を離れて工芸が現代の課題をになう美術としてありうるか」というテーマを立てて、館長の秋元雄史氏自身がキューレーションするという力の入った展覧会だった。
レセプションには12人の出品作家がそろった。作家も秋元館長も熱くなっていて、こんなふうに盛り上がっている集まりに触れたのは何だか久しぶりな気がした。

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 第5日 かほく・金沢

* 今日は、金沢市より北にあるミュージアム2つと、金沢市中心部からやや遠い図書館をレンタカーで回る。
車を返してから、もう一度金沢21世紀美術館に寄って帰る。


■ 海と渚の博物館
石川県かほく市白尾ム1-3 tel. 076-283-8880

かわいそうな博物館だった。
「海と渚の」なのに、渚との間に自動車道があって、渚に行きにくい。
波音ではなく、車が高速で過ぎる音が聞こえてくる。

チケット売場では、有料入館者が珍しいらしく、係員が発券に手間取っている。
絵画愛好団体などが使用料を払って作品を展示するところがあるが、博物館の一部の解説パネルの前にまでその作品が置かれている。
内井昭蔵設計ののびやかな建築がいかされていなくて惜しい。
海と渚の博物館

■ 西田幾多郎記念哲学館
石川県かほく市内日角井1番地 tel. 076-283-6600

高台にガラスとコンクリートの大きな建築があって、遠くからでも目立つ。
安藤忠雄の設計で、コンクリートの壁や床や階段がつくる造形や、そこに生まれる光と影の美しさなど、安藤忠雄の特質が存分に生きている。
数日間移動し続けてきたので、じっくり哲学の展示に見入る気がしなかったが、西田幾多郎の書がとてもよかった。独学という。柔らかく、自在な線の動きに魅惑された。

西田幾多郎記念哲学館 西田幾多郎記念哲学館・内部

■ 金沢海みらい図書館
金沢市寺中町イ1番地1  tel. 076-266-2011
http://www.lib.kanazawa.ishikawa.jp/umimirai/

金沢市内に昨年(2011年)新しく開館した図書館。
大きな白い箱に、6000個の丸い穴があいている。
中は1階+2·3階の吹き抜けで、その吹き抜けの大空間に丸い穴からの光がいい具合に入って、とても気持ちのいい図書館だった。

金沢海みらい図書館 金沢海みらい図書館の内部

* レンタカーを返してから、バスに乗り、夕べ行った金沢21世紀美術館へ再度向かう。

■ 金沢21世紀美術館[世界を変えた書物]展
金沢工業大学ライブラリーセンター http://www.kanazawa-it.ac.jp/kitlc/

金沢工業大学の図書館(ライブラリーセンター)は、システムとしてハイテクで先端的である一方で、書物への敬意を持ち、「工学の曙文庫」と名づけて、工学系の稀覯書を体系的に集めている。[世界を変えた書物]展は、その蔵書から構成した展覧会で、世界(の見方)を変えた書物が、項目を立てて数冊ずつ置かれている。
ニュートン、ケプラー、ガリレイ、レントゲン、キュリー、アインシュタイン...
科学史の中の有名人たちが実際に生きていた時に出版された本が目の前にある!

ガリレオ・ガリレイ『星界の報告』 ガリレオ・ガリレイ『星界の報告』ヴェネツィア 1610年 初版。
望遠鏡による天体観測を図版もあわせて出版し、コペルニクスの仮説を可視的に実証した。

■ 金沢21世紀美術館『工芸未来派』展

金沢21世紀美術館 『工芸未来派』展の一般公開は今日から。
夕べの内覧会でも見たけれど、もう一度たんのうし、秋元館長と野口春美さんの対談をきいた。
旅の終わりがとても充実した時間になった。

* 弁当とビールを買って金沢駅から電車に乗った。
発車してもまもなく日が沈んでいく。
十日町を抜けて越後湯沢に向かうほくほく線の眺めが好きだが、その頃にはすっかり暗くなっていた。


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参考:

  • 『街道をゆく18』「越前の諸道」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1982
    『街道をゆく4』「北国街道とその脇街道」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1974
  • 『ザ・ロード~わたしの旅~』NHK総合テレビ プレミアム10 2007.6.29放送
  • 『街道をゆく』の行程
    「越前の諸道」
    大阪駅(湖西線)福井駅-宝慶寺-勝山泊(板甚)-平泉寺-永平寺-二本松山古墳-松岡町-東郷-一乗谷-丸岡城-福井市泊-武生(うるしや)-木部新保(日野川と九頭竜川との合流点)-三国港-丹生山地-越前陶芸村(福井県陶芸館・草月陶房)-福井-平等(たいら窯)
    「北国街道とその脇街道」
    琵琶湖北岸の海津から北上-「愛発の関」-敦賀敦賀(気比の松原 金ケ崎城趾 松原神社境内のニシン蔵)-木ノ芽峠-武生で折り返す-余呉湖(よごのうみ)・ 賤ヶ岳・木ノ本
  • 4泊5日の行程 (2012.4/24-28)
    (→電車 =バス -レンタカー ~自転車 …徒歩)
    第1日 (東海道新幹線・米原から北陸本線)→敦賀駅~笙の川河口~武田耕雲斎等の墓・松原神社~丸仁~敦賀市立博物館~晴明神社~旧敦賀港駅舎~気比神宮~敦賀駅
    -敦賀原子力館-立石岬灯台-金ケ崎城-敦賀新港-ニューサンピア敦賀
    第2日 -越前陶芸村・福井県陶芸館
    -越前市中央図書館…越前市武生公会堂記念館…うるしや…たかせや(タクシー)越前市中央図書館
    -一乗谷朝倉氏遺跡-宝慶寺-白山神社-中上邸イソザキホール-板甚料亭旅館
    第3日 -永平寺-東郷-丸岡城…坂井市立中野重治文庫記念丸岡図書館-九頭竜川・日野川合流点
    -三国港突堤・九頭竜川河口-みくに龍翔館-三国図書館…日和山…旧森田銀行…元三国大野屋…宮太旅館…三国湊町家館…三国湊座-あわら温泉美松
    第4日
    -大聖寺川河口-ユートピア加賀の郷-九谷焼窯跡展示館
    -宮本三郎美術館…小松市立本陣記念美術館…小松市立図書館…小松市立空とこども絵本館…喫茶フローラ
    -梯川・前川合流点-安宅の関…梯川河口…安宅港口灯台
    -手取川河口-チカモリ遺跡-すみよしや旅館…金沢21世紀美術館
    第5日
    -海と渚の博物館-西田幾多郎記念哲学館-イーオン-金沢海みらい図書館-金沢駅=金沢21世紀美術館=金沢駅(北陸本線・信越本線・ほくほく線・越後湯沢から上越新幹線経由)