秋田・象潟・八郎潟 (東北 2011-1)−「秋田県散歩」1


すてきな建築の写真を見ると行ってみたくなる。
秋田国際大学の図書館にひかれて秋田に行くことを思い立った。
『街道をゆく』の「29 秋田散歩」をたどりながらその図書館に行くコースを考えた。
司馬遼太郎と須田剋太にならって、
 ・まず秋田市から南に向かって象潟にゆく。
 ・それから秋田市街に戻る。(ここで目的の図書館を見る。)
 ・それから北に向かって、寒風山と八郎潟へ行ってみる。
司馬と須田はさらに先へ進むのだが、僕のこの旅は象潟−秋田−八郎潟までをたどったところで秋田から離れて、後半は、3.11の東日本大震災後の太平洋岸に向かった。

第1日 秋田  
第2日 象潟・秋田蚶満寺でゆかりの人に会い、国際教養大学図書館の美しい空間に酔い、秋田港近くに泊まる 
第3日 八郎潟八郎潟をめぐり、秋田市中心部に戻り、盛岡へ
第4日 [東日本大震災後の石巻と仙台(東北2011-2)]) 



 第1日 秋田

* 東北新幹線に乗り、盛岡で乗り換え、秋田へ夜になって着いた。
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 第2日 象潟・秋田:蚶満寺でゆかりの人に会い、国際教養大学図書館の美しい空間に酔い、秋田港近くに泊まる

* 秋田駅近くでレンタカーを借り、南に向かった。
山形県境に近い象潟に着き、蚶満寺(かんまんじ)の駐車場に車を置く。


■ 蚶満寺
秋田県にかほ市象潟島

景勝の地、象潟のこの寺に、『街道をゆく』「秋田県散歩」の取材で、司馬遼太郎と須田剋太が1986年に訪れている。
芭蕉が来た17世紀ころは海で、小さな突起が島として浮かんでいた。今も田の中にかつての島が小高い盛り上がりとして点在していて、かわった景観を見せている。

須田剋太「象潟水田」 象潟
須田剋太「象潟水田」

司馬と軍隊でいっしょだった人が蚶満寺の住職をしていて、司馬は秋田の旅のはじめにその古い友人を訪ねた。それでゆっくり過ごしたためもあるか、須田剋太はこの寺で挿絵用の絵を10点も描いている。
限られた1カ所でこんなにたくさん描いたのは珍しいかもしれない。

もちろん、寺に絵を誘う眺めが多いこともあったろう。
それに、たまたま住職が知り合いだったというものの、蚶満寺はたいへんな名刹で、いろいろな由緒がある。
北条時頼が植えたつつじ、親鸞が腰かけた石、西行が歌に詠んだ桜などが庭に点在している。
でも、長い説明はなく、ただ「西行法師の歌桜」というふうに、黒い文字で記した小さな白い板が立っているだけ。簡素で明快。
司馬はこの庭を案内されたときの様子をこう書いている。
あちこちを見せながら、当の熊谷はここが宇宙の中心だと思っているから、
「これは、いかがわしいんだが」
といったような、ちっぽけなことは言わない。たとえば、古梅の前にくると、
「これは、管秀才(かんしゅうさい)の梅だ」
とだけ、ぽつりというのである。
こんなふうに司馬を案内した熊谷能忍師は数年前に亡くなられた。
年月が経ち、代が替わっても、宇宙的におおらかな気風は今も受け継がれているようだ。

庭の樹木はよく手入れされているし、地面は今朝にも掃かれたろう跡がある。すっきりして、すがすがしい。
須田剋太が挿絵を描いた場所を、今の景色と見比べながら探していく。
鐘楼を背景に描かれた芭蕉の木や、高い木に囲まれた山門などはすぐわかるが、石仏が並ぶ絵になると、それらしいところがいくつもあって特定しがたい。
そんなことをしながら境内をあちらこちらさまよっていても、端正で落ち着いたたたずまいなので、何だか気分がいい。

須田剋太「覚林蚶満寺」 蚶満寺
須田剋太「覚林蚶満寺」

本堂にお参りすると、その内部もじつにすっきりしている。整然として、あるべきものだけが、きっかり置かれている。
あちこち旅しているうちに、ちょっとした文化財があると観光施設のようになっていたり、あるいは雑然と物が配置されて生活臭があったり、精神の場とはいいがたいような寺をしばしば見かけてきた。
庭といい、本堂といい、この蚶満寺は別格に感じる。

ところで「秋田県散歩」には、こういうことも書かれている。
背後で若い娘さんの声がした。はずんだ声だった。
「おぼえていらっしゃいます?」
 と、家内にきいている。家内もとびあがるような声で、
「チエコちゃんでしょう?」
と、いった。
 どうもおそれ入るほかない。二十五年前、熊谷智恵子さんに会ったときは、彼女はたしか、自分を、
「チーちゃん」
 とよんでいる二、三歳の幼女だった。
 それが参道まで出てきて私どもを待っていてくれていたのである。
 目の前にいるのはモデルさんのようにすらりとしたお嬢さんで、豆のような「チーちゃん」から家内はとっさに寄算掛算(よせざんかけざん)していまの熊谷智恵子さんを推定したらしい。
しばらく庭を気持ちよくさまよったあと、本堂の脇の玄関から訪ねてその智恵子さんにお会いできた。司馬遼太郎が幼児から25年を経て会ったあと、さらにちょうど25年が経っている。そのときどきそうであったろうように、今も魅力的な方だった。

このところ僕は『街道をゆく』で須田剋太が訪れた地をいくつか訪ねている。
それなりに由緒があるところでも、必ずしも司馬が文を書き、須田が絵を描くにあたって、いちいちそこの人に断わっているとは限らない。むしろ司馬と須田は、可能な限りは'週間誌に連載のための取材'というのではなく、'さりげない旅'を心がけていたようだ。
それで、いくつか挿絵を描いた場所を訪ねてきたが、実際に須田剋太に会い、絵を描いているところに立ち会った人には、初めてお会いできた。
須田剋太はひょうひょうとして、絵を描くのが早かったと言われる。

ちょっとだけごあいさつするつもりで寄ったのだが、家の中にも須田剋太が描いたところがあるのを勧められて見せていただいた。
禅室は修行の部屋で、三方を僧が座る場が回廊状に取り巻いている。
当時、この禅室を新しく作ったところで、父もぜひ見てもらいたかったのだろうと言われる。

須田剋太「禅堂蚶満寺」 蚶満寺
須田剋太「禅堂蚶満寺」

この日須田剋太が「父の肖像を描いているところを見ていた」と言われる。
須田剋太は『街道をゆく』の旅では、興に応じて、『週間朝日』への掲載に必要とされる以上の絵を描いている。
「須田剋太『街道をゆく』挿絵原画全作品集」という本が出版されていて、僕はそれを参考にして須田剋太の旅の跡をたどっているが、個人を描いてプレゼントしていったものは当然その中には収められていない。
時にはこういうこともあったのかと思う。

話をお聞きしたあと、もう一回り庭を歩いた。
風景や建築で「立ち去りがたい」という思いになるかどうかが、僕には感覚的な評価基準なのだが、この寺は去りがたい。
庭や本堂のたたずまい。
信仰の場の厳しい精神性と、(信仰者以外にさえも)優しい包容性がある。こういう風格はいったい何に由来するのだろうと謎に思えた。
教義によるだろうか。あるいは由緒ある歴史か。住職の個性あるいはその継承か。土地の風土も影響しているだろうか。
謎は解きがたいが、立ち去りがたい気分を何とかおさめて去る。

山門近くにある受付の女性が感じのいい人だった。庭の木のことなど教えていただいた。
駐車場にある売店の女性も和やかな印象の人で、本堂でも焼香に使っていた香りのいい線香を買った。

* 蚶満寺に向かって国道7号を走っていたとき、右側にかわった建築をみかけた。
和風のつくりを、そっくり鉄骨とガラスで覆ってあるようだ。
秋田市街に戻る途中で駐車場に入ってみると、旅館だった。


● にかほ温泉 旅館いちゑ
秋田県にかほ市三森字大苗代 tel. 0184-37-2000
http://nikaho-ichie.jp/


昼にはランチもだしていて、ちょうど昼どき。
高い吹き抜けの下の席で、気持ちよく昼を食べた。
温泉入浴のサービスつきなのだが、それほど時間に余裕がないのが惜しい。
にかほ温泉 旅館いちゑ

* 秋田空港に近い国際教養大学に向かう。

■ 国際教養大学図書館
秋田市雄和椿川字奥椿岱193-2
http://www.aiu.ac.jp/japanese/index.html

今回の秋田行きは、この図書館に行きたいというのがそもそものきっかけで思い立ったのだが、写真を見て惹かれていたとおりの、期待どおりの、すばらしい図書館だった。

国際教養大学図書館

平面図でいえば半円形の場に、立面図では階段状に書架と閲覧席が積層していく。
直径30cmの秋田杉の丸太が6本立ち、堂々として、ダイナミックで、気持ちも広々してくる。
高いところに窓を巡らし、外光がおだやかに館内に入っている。
書架が積層する迫力ある眺めは、司馬遼太郎記念館の高い書架の壁も思い出させる。

半円形なので、本を探して歩いていると体の向きが変わっていく。
階段を上下すると、体のレベルも上下に移動する。
固定した1方向に考えるのではなく、違う角度から考えたり、見おろしたり、見上げたりする。それはものを考えるのに基本的に必要な態度で、この図書館内の散歩は思考のメタファーでもある。
それに、ものを考えるには、座ったままより歩いたほうが頭が活性化する。

完全な円形をした図書館は、本に囲まれた美しい空間を作るが、方角がわからなくなるという宿命的な欠陥がある。
半円という解決は巧みだと思う。
しかも閲覧席からの視線が向かう不在の半円側は、緑の芝生にし、樹木が並ぶ。ほんとうによく考えられている。

しかも大学内で図書館だけがデザイン的に突出しているのではない。
図書館に入るまでに、キャンパス全体が落ち着いて配置されているのを見てきた。塀がなく、外からゆるやかにつながる。
図書館は、外来者も紹介や予約なしに利用可能だし、学内の寮で多くの学生が生活しているに対応して学生は24時間利用できる。

公立大学法人国際教養大学は、2004年4月開学。
この新図書館は、2008年4月開館。
プロポーザルで設計者に選ばれたのは仙田満氏。
「人が集まる建築ではトイレの数と質がだいじ」と強調される建築家で、それが理由で僕は前から信頼している。
この図書館で第24回村野藤吾賞を受賞された。

この図書館も立ち去りがたいところだった。
蚶満寺とこの図書館とで、今日はもうたっぷり満ち足りた。
これでもう日が暮れてもいい。
一日を楽しく思い出しながら、一杯飲みたいような気分だ。

■ 秋田市立新屋図書館(旧・国立新屋倉庫)
秋田市新屋大川町12-26  tel. 018-828-4215
http://www.city.akita.akita.jp/city/ed/al/default.htm

雄物川の河口近くの左岸に、1935年に建った米の倉庫が並んでいる。
最上川の河口にある酒田の山居倉庫と同様、米どころの重要な施設だった。
1990年に米の倉庫としての役を終え、解体されそうになった。ちょうどそのころ開学を予定されていた秋田公立美術工芸短大の一部に取り込まれ、生き残ることになった。

8棟あって、美大のアトリエや市関係の街おこし施設があり、南端の1棟が市立図書館の分館の1つの新屋図書館になっている。
図書館としては、倉庫南端の1棟のさらに南に現代建築の1棟を加えてある。(写真右奥)
秋田市立新屋図書館

増築部分は平屋だが、平面形としては国際教養大学図書館と同様、孤を描いている。
円弧が向かう先には新屋倉庫の南端の1棟の図書館棟がある。新しく加えた図書館は、自己主張的な形態ではなく、古い建築へのオマージュになっていて、穏やかで感じがいい。

新棟(本館)は通常の蔵書だが、旧棟(倉庫棟)には郷土資料や、秋田の酒に関する図書や資料の展示があり、地域色をいかしたいい図書館だった。

■ 河口ウォッチング− 雄物川

雄物川の河口に出る。
風力発電の風車が1基回っている。
砂浜をたどって川岸に向かうが、景色は荒涼として、もうほとんど海辺に向かっている感じを受ける。

雄物川の河口 水辺に出ると、左手に日本海が広がる。
向こう側(雄物川右岸)では10基ほどの風車が回っている。
川の中央部では水が海に向かって流れているが、足下では波が砂浜に打ち寄せてきている。

かつての雄物川は土崎港で海に入っていた。
1938年に、今、目の前にある放水路ができた。こちらが雄物川になり、元の流れは旧雄物川または秋田運河とよばれる。
ふつうの感じでは、'旧'が自然な感じで、'新'が人工的になりそうだが、旧・雄物川は港の施設があって人工的で、新・雄物川のほうが自然な景色にみえる。これは旧・荒川(隅田川)と新・荒川も同じで、川ではこういうあり方が珍しくないようだ。

* 新旧の雄物川を渡って、ようやく秋田市街に入る。

■ 秋田市体育館
秋田市八橋本町6-12-20 tel. 018-866-2600

秋田市体育館に寄り道する。
国道7号の東側に怪奇な建築が現れた。

司馬遼太郎は「秋田県散歩」で、秋田の景観におおいに落胆している。
秋田にくれば、農家や農村のたたずまいを楽しもうと思っていたのである。それほどあこがれてきたのに、新建材で建てかえてしまった農家が多く、それも一様にデザインがわるく、プラスチック製のビール箱を見るようで、楽しくなかった。
ついては、
(秋田へは、江戸時代にくるべきだった)
とまでいう。
ここでは農村風景のことをいっているのだが、都市景観も関心するようなものではなかったろう。
僕もそんなものかもと予想してきたのだが、旅館いちゑのがんばり、国際教養大学の美しい図書館、新屋倉庫をいかした図書館と大学−というふうに見てきて、(これまでのままではいけないという反省に立ってか)秋田は建築的な創造・蓄積の意志を強く持っているのではないか、と感じ始めていた。

ところでこの建築はすごい。
どういういきさつで街の中心部に(異形の建築を作る)渡辺豊和に大きな目立つ施設の設計をまかせることになったのかも興味深い。

秋田市体育館 インパクトはある。
今の街と調和しているとはいいがたい。
この建築の評価は、この存在、この衝撃がほかにどう影響するかにかかっているかもしれない。

中では高校バスケットボールの試合をやっていた。

■ 秋田市立土崎図書館
秋田市土崎港中央六丁目16-30  tel. 018-845-0572
http://www.city.akita.akita.jp/city/ed/tl/default.htm

旧雄物川に沿うように北上して、奥羽本線土崎駅前の土崎図書館に寄る。

土崎は1921年に日本で最初のプロレタリア思想の雑誌「種蒔く人」が発行された所で、図書館の前に雑誌の表紙のレリーフがある。
(『蟹工船』の小林多喜二も、すぐ北の大館の人。)
秋田市立土崎図書館

関連資料が見られるかと思ってカウンターで尋ねると、
「2階に『種蒔く人資料展示室』があるが、きょうは4時で閉めた」
とのこと。
明日の開館時間までホテルでじっと待ってる余裕もないので残念。

● ホテルルートイン秋田土崎
http://www.route-inn.co.jp/

今夜のホテルにチェックインする。
7階の部屋の窓から見おろすと、秋田港と旧雄物川河口が眼下にある。
こういう景色を見るために、市街から離れたホテルを選んだ。

■ 秋田市ポートタワーセリオン
  (河口ウォッチング− 旧・雄物川(1))
http://www.selion-akita.com/

ホテルのすぐ前、港近くに展望のためのタワーがあり、夕景色を見に上がる。
旧雄物川の対岸では、夜になっても製紙工場から白い煙が上がっている。

北のほうに向かっている川は、両岸ともコンクリートで、港の設備や物流の倉庫など、人工的なものばかり。さっき見てきた新・雄物川の河口とは対照的な眺めになっている。
北の方の水平線に光が並んでいるのは、男鹿半島南岸のあかりのようだ。
秋田港と旧雄物川河口

展望台へのエレベータは無料で、他には男女のペアや、親子連れなど、数組の人に出会った。

● すごえもん
秋田市土崎港西1-10-45 tel. 018-845-6831

土崎の街まではやや離れているし、店の数もあまりなかったようだから、すぐそばのベイパラダイスという商業施設に入った。
かなりの広さがある和食の店で、秋田のお酒を飲みながら夕飯をとる。
その1時間ほどの間、客は僕ひとりだった。金曜の夜なのにとても静か。市街から離れているから、車でないと来にくいところだ。
ポツンポツンと観光施設を点在させるより、ウォーターフロント一帯を面的に整備するのがよかったのではないかと思う。
かなりの距離を移動してきたから、僕としては静かに食事できたのはいいことではあった。

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第3日 八郎潟:八郎潟をめぐり、秋田市中心部に戻り、盛岡へ 

■ 河口ウォッチング−旧・雄物川(2)
翌朝、ホテルの部屋の窓から見おろすと、秋田港の眺めが夕べと少し違う気がする。気がついてみれば、岸壁に大きなフェリーがとまって、その向こうの風景を見えなくしていた。
船の横にShin Nihonkaiの文字と、青いカモメの絵がかいてあり、新日本海フェリーの船だ。
ブルーノ・タウトの足跡をたどる旅の企画が文化庁の賞を受け、NHKテレビの番組としても制作されたことがある。旅の企画者が実際に旅をするところを撮影するというものだった。
そのとき、タウトが船で敦賀港に来日したのをしのんで、新潟から敦賀まで船で移動してロケしたのだが、そのフェリーは、この秋田港から出た船だったということに思い当たった。
時刻表によれば、
苫小牧東港発19:30−秋田着 翌7:45 9:00発−新潟着15:30 16:30発−敦賀着 翌5:30
そのときは新潟−敦賀のこときり考えていなかった。こうして秋田から敦賀までのつながりにあらためて気がついてみれば、秋田の米が敦賀に行き、川をつかって京や大阪まで運ばれる北前船の歴史も実感的にみえてくる。
秋田市街から離れたホテルはもの寂しい気がしていたのだが、思いがけず懐かしい気分にもなり、よかったと思う。

* 秋田市から男鹿半島に向かって、ほぼ海岸沿いの道を車で行く。
途中でひとつ河口らしき流れを越える橋がある。
橋の手前で道をそれて、先端まで行ってみた。


■ 河口ウォッチング−船越水道(八郎潟)

ソラマメの形の八郎潟干拓地をぐるりと囲む水路の南端が海に接するところで、もとは陸地だったのを切り開いて、海と、内部の八郎潟調整池がつながっている。
眺めとしては、まったく河口で、左右の岸の先端から細い堤防が海に突き出している。堤防にはさまれたところは平たく静止した水面だが、堤防の外側では波が岸に寄せている。
ほかに何台か車が置いてあって、堤防の先端で釣りをしている人がいる。

船越水道(八郎潟) 写真は河口から内陸方面を振り返って撮る。橋の向こうに八郎潟と海を区切る水門がある。

■ 赤神神社五社堂
男鹿市船川港本山門前字祓川35
http://www.fun-ms.com/akagami/

男鹿半島のほぼ南西端にある。

長い階段を上がると5つのやしろが並んでいる。
中央のやしろだけ扉が開いて、お参りできるように整えられている。朝早くに階段下の神社の人が開くのだろう。
赤神神社五社堂

数ある円空仏のなかでも最適のロケーションにあるそうなのだが、円空仏がおさまるやしろは閉じられていた。

■ 男鹿市立鵜木小学校
秋田県男鹿市鵜木字松木沢境90 tel. 0185-46-2520

八郎潟を囲む西側の元から陸地だったところに、明治時代からある古い学校。
現校舎は1988年に建った。
細くうねる農村集落の中の道を抜けると、塀のない校地に独特の表情の校舎が現れた。楕円形の校舎棟と、体育館棟とを、互いの2階どうしを連絡通路で結んでいる。
男鹿市立鵜木小学校

設計したのは毛綱毅曠(もづな きこう 1941-2001)という建築家で、異形の建築をつくる。
しかもただ驚かしてるのではなくて、裏打ちになる大きな世界観を持っている。いいようによっては、世界観というよりほら吹きともいえるほどで、だからますますおもしろい。

■ 寒風山
男鹿半島の付け根にある山で、車で山頂真下まで行ける。
『街道をゆく』の「秋田県散歩」で、須田剋太はここの絵も描いている。

須田剋太「寒風山」 寒風山
須田剋太「寒風山」

着いて絵と風景を見比べてみたけれど、絵のように見えるポイントがない。
右の写真の、右の山の上まで行って見おろしても違う。
中央の鞍部を越える道の先まで行っても、それらしいところがない。
左の絵の下半分は崖かもしれないと見当をつけて、さらに先まで下ってみたが、山から離れてしまって山の姿がとても小さくなってしまう。
かなり高い位置から見おろさないと絵のように道が見えなそうだから、須田剋太の魂が上空まで飛んでいたろうかと思う。

■ 大潟村干拓博物館
秋田県南秋田郡大潟村字西5-2 tel. 0185-22-4113
http://ac.ogata.or.jp/museum/ 

干拓のことを説明する博物館。干拓前後の航空写真とか、干拓の工法とか、おもしろい。

● 大潟観光パレス
『街道をゆく』で司馬遼太郎と須田剋太は、寒風山を降りてから八郎潟にきて、「湖心のあたりの食堂」でカレーライスを食べている。
今は他に新しい店もあるが、当時あったのはここだろうと見当をつけて、僕も同じものを食べようかと行ってみた。

大潟観光パレス ちょっと寂れた印象があり、ちょうど昼時なのにしまっている。携帯の番号が書いてあるのでかけてみると、今は事前予約だけ受けているとのことだった。

干拓博物館の隣の道の駅に戻り、うどんを食べた。

* ふたたび秋田市街に戻る途中で、県立博物館に寄った。

■ 秋田県立博物館・旧奈良家住宅
秋田市金足鳰崎字後山52 tel. 018-873-4121
http://homepage3.nifty.com/akitamus/

博物館から少し離れたところに、博物館が管理する旧奈良家住宅があり、江戸時代中期の農家で、国の重要文化財に指定されている。
ここも司馬遼太郎と須田剋太が訪れている。
司馬遼太郎の関心は、管江真澄がここに逗留したことにある。漂泊者・管江真澄は秋田藩主に信頼され、生涯の著作を秋田に遺し、墓も秋田市内にある。
ここで須田剋太は大広間を描いている。柱やふすまや畳など、いくつもの四角形が画面に構成されている。

須田剋太「奈良家」 奈良家
須田剋太「奈良家」

右の写真は奈良家大広間のある住宅の外観。
ここでは須田剋太はほぼ見えるとおりに描いている。

* 秋田駅近くでレンタカーを返した。レンタサイクルに乗り換えて、夕方の電車に乗るまで、駅の近くを回った。

■ 秋田県立美術館・平野政吉美術館
秋田市千秋明徳町3-7

ちょっと寂れた印象があり、ちょうど昼時なのにしまっている。携帯の番号が書いてあるのでかけてみると、今は事前予約だけ受けているとのことだった。 平野政吉美術館

■ 秋田市立千秋(せんしゅう)美術館
秋田市中通2-3-8 tel. 018-836-7860

美術館のコレクションから、秋田蘭画を揃えて展示してあった。
秋田まできて海外の美術館の作品などを見てもしかたないから、ちょうどよかった。
藩主の佐竹曙山の絵がみごとだった。はじめ狩野派を学び、のちに蘭画を知って学んだという。
練習用らしい写生帖が遺っていて、その現物は、きれいな蝶や、色鮮やかな鳥のページを開いて展示してあった。でも全ページのコピーをおさめたファイルをめくって見ると、ゲジゲジとか、芋虫なんかも描いている。5本足の奇形のカエルもあり、生物学的興味がうかがえる。
「燕子花にナイフ図」にも驚かされた。縦長の紙に、スラリと端正な姿をした鉢植えのカキツバタが描かれている。それだけでも名品だが、左下に小さなナイフが斜めに置かれている。まるでシュールレアリスム!
花の手入れにナイフを使うのかもしれないが、それを画面に描きこむところに近代的感覚を感じる。
『街道をゆく』で、漂白の人、管江真澄が、秋田に滞在して、藩主に信頼され、藩主を信頼したことが書かれている。
秋田蘭画を見て、そういう伝統をなるほどと納得する思いもした。

* 東日本大震災から4か月目の仙台では、ホテルはとんでもなく高価なのしかあいていなくて、3日目の夜は盛岡で泊まって、次の日に仙台に向かうことにした。

■ 岩手県立図書館
盛岡市盛岡駅西通1-7-1 tel.019-606-1730
http://www.library.pref.iwate.jp/

岩手県立図書館 2011年の大地震の前に来たことがある。
大きなビルの一角が図書館になっているのだが、とても美しいし、運営も意欲的。
地震では本が倒れるくらいで大きな被害がなくてすんだ。
前と変わらずにあって安心した。

● ホテルルイズ
盛岡市盛岡駅前通7-15 tel. 019-625-2611
http://www.hotel-ruiz.jp/index.html

ホテルルイズから北上川 ここも前に泊まったことがあるところ。
駅に近い、川に近い、ホテルがきれい、スタッフの感じがいい、高くない、と僕にはパーフェクトな宿。
この日、かなりな距離を移動してきたが、窓から北上川を見おろしてほっとする。

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参考:

  • 『街道をゆく 29』「秋田県散歩」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1987
  • 新潟から敦賀へのフェリーについては
    [今日は遠くの図書館 新潟で水と図書館をめぐる]
  • このあとの仙台の旅は[東日本大震災後の石巻と仙台(東北2011-2)]
  • 3泊4日の行程 (2011.6/30-7/3)
    (→電車 −レンタカー =バス 〜自転車 …徒歩)
    第1日 東北新幹線盛岡経由→秋田駅…秋田ビューホテル
    第2日 −蚶満寺−いちえ−国際教養大学−秋田市立新屋図書館(旧国立新屋倉庫)−秋田公立美術工芸短大−雄物川河口−秋田市体育館−秋田市立土崎図書館−ホテルルートイン秋田土崎…秋田市ポートタワーセリオン(泊)…旧・雄物川河口…すごえもん
    第3日 −八郎潟−赤神神社五社堂−寒風山−男鹿市立鵜木小学校−大潟村干拓博物館−大潟観光パレス−道の駅大潟−秋田県立博物館・奈良家住宅−秋田駅〜秋田県立〜秋田市立中央図書館・明徳館〜千秋美術館…秋田駅→盛岡駅…岩手県立図書館…明明家……ホテルルイズ(泊)
    第4日 盛岡駅→仙台駅=石巻駅…石の森漫画館…石巻ハリストス教会…水澤屋旅館…日和山…石巻市図書館…庄屋…石巻駅=仙台駅…せんだいメディアテーク=大崎八幡宮=仙台駅から東北新幹線